絵本は心のマトリョーシカを開く鍵
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:廣瀬千晶(10月開講ライティング・ゼミ平日コース)
数年前、子供用の絵本を何冊も読み、オリジナルの絵本を描き上げたことがある。
絵本を描くことにしたのは、新卒で入った会社を1年半で退職した頃だ。大学を卒業したばかりの私にとって、会社は奇々怪々な所だった。
まず、会社では時間を順守し、一度やると言ったことはやり抜かなくてはならない。時間や約束を破れば社員としての信用は減る。すると仕事は任せられなくなり、その分会社が生み出す利益も減る。恐ろしいシステムである。
また、失敗を上司から注意されても、本音を言ってはいけない。返事は「申し訳ありません」の一択だ。本心では「そもそも、ワークフローが失敗を誘発する仕組みになっているのに、なぜ私の責任なのだろう」と思いつつも、まずは反省している旨を伝えなくてはならない。
私は会議の時間や締め切りを神経質なくらい守り、確実にこなせる分のタスクしか引き受けなくなった。上司から多少理不尽なことで注意されれば、無心になって何も言い返さず、ひたすら謝っていた。
そんなある日、身体全体が重く感じられ、布団から起き上がることができなくなった。自分を叱咤して何とか身支度をし、玄関までゾンビのように歩き、靴を履こうとしゃがむと、ピタッと身体が石化して動かなくなった。
原因は分からないがそんな症状が続き、結局会社を辞めることにした。
絵本を描き始めたのはこの頃である。会社をなし崩しに辞めたものの、しばらく身体が上手く動かず、真夏の部屋で横たわって、白い天井を1日中見つめていた。
そんなときふいに思い出したのは、この言葉だった。
「君の世界観って、絵本っぽいよね。」
昔、派手な喧嘩をして別れた、元彼の一言であった。なぜ今思い出したのだろう。彼とはものすごく派手に揉めた末にお別れした。この一言を言われたのは、付き合いたてのラブラブ期だった。おそらく、険悪な仲になる前の、穏やかな私を現した一言だったのだろう。
しかし私は、絵本が嫌いだった。絵本には、優しい嘘しか描かれていないと思っていたからだ。大抵の絵本は、ハッピーエンドである。喧嘩で始まれば仲直りで終わる。悪者が出てきたら退治され、平和が訪れる。しかし、実際に生きていると、喧嘩すれば気まずくなり、仲直りせず疎遠になるケースが多い。また、悪者はうまく悪事を隠し、何でもない顔をして生きるのが常だ。
元彼は、本来の姿ではない、ぶりっこの私を指して「絵本っぽい」などと言ったのではないか?本来の私は、世間知らずで、上司に言いたいことも言えず、無責任に退職した暗い人間なのだ。なぜだか分からないが、無性に腹が立ってきた。
―――ならば、私らしく、ひねくれていて馬鹿馬鹿しくて無責任で、暗い絵本を描いてみたらどうだろう。
そんなことをしても何の意味も無さそうだが、ほとんど衝動的に、グーグルで「絵本 教室」と調べていた。すると、絵本を一冊描き上げるのを手伝う”絵本の教室”なるものが、いくつかヒットした。早速その中の一つに申し込みをした。
絵本なんて、もう二十年くらいまともに読んでいない。どうせ平和でぬるい物語ばかりだろう。しかし、教室にお金を払って絵本を描くからには、参考までに何冊か読んだほうが良いと思った。
適当に絵本の人気ランキングを検索し、近くのの図書館で借りれるだけ借りた。さっそく、数冊の絵本をパラパラとめくってみる。3冊ほどめくり終わったが、内容が頭に入ってこない。例えば、大きなカブが抜けなかったが最終的には抜けたとか、話の筋は理解できるのだ。しかし、何の感情も動かされず、何の教訓も読み取れない。久々の絵本体験は、まるで霞を食べているかのように、何の実感もなく終わった。絵本をヌルいと思っていた私だが、ヌルいという情報すらも読み取れなかったのだ。これでは、自分が絵本を描くときの参考にできない。
目だけで情報を受け取るのが良くないのだと思い、今度は小さく声に出して読んでみることにした。すると、不思議なことに気づく。一文読むごとに、わたしは誰かに何かを問いかけているのだ。
―――なぜ、この話は存在しているんだろう?誰が、このお話を語ってるのだろう?なぜ、おじいさんはこんな服を着ているんだろう?なぜ、犬と猫はおじいさんたち人間を手伝ってくれるんだろう?なぜ、カブが抜けないのに、誰も諦めないのだろう?―――
もう一つ発見があった。声を出して読むと、実際の自分の声とは別に、心の声が聞こえるのだ。
―――この絵本、つまらなさそうだ。絵が全然かわいくない。でも、このキャラクターはかわいい。この黄色は好きだ。この青色も良い。意外にあっさり終わったな。この話はもう一回読みたいな。―――
これがきっかけで、天地がひっくり返るくらいの衝撃とともに気づいたことがあった。私はこれまでの人生でずっと、自分の本音が受け入れられる場所を探していたという事実だ。どこでもよいから、素直に、分からないとかつまらないと発言できる場所を渇望していたのだ。
思い起こせば幼少期から、本音が言えず、素直に振る舞えない子供だった。事情があって両親と暮らすことができず、戦前・戦時の価値観を持つ田舎の祖父母のもとで育った。家の中を走り回ったり、大声で話したり、食事中におかずを落としたりすれば、ゲンコツを喰らった。祖父のゲンコツは死ぬほど痛く、自分が人間であることを忘れ、殴られ人形かと勘違いするほどの衝撃だった。元々おしゃべりで活発な私は、自分を守るため、礼儀正しく大人しい人間として振る舞うようになった。常に他人を恐れ、ビクビクして表情が暗い子供になっていった。
そんな私は、学校でも友達ができなかった。嫌なことをされてもやり返さず、ひたすら心を閉ざし、自らぼっちになることを選んでいた。そんな生活は高校まで続いた。
私は常に「これ以上傷つきませんように」と願っていた。そのために、本音や素直な感情を、何重もの盾で包んでいた。気づかぬうちに私の心は、幾重もの層を持つマトリョーシカのようになっていたのだ。外の層は、「大人しい」とか「真面目」といった人格で覆う。すると、他人から攻撃の標的にされにくい。万が一攻撃されても、大人しくて真面目だからと、手加減される。その代わり、内側の層に「ワクワクする」とか「遊びまわりたい」といった自然な気持ちを隠し、絶対に安全なときだけ表に現すのだ。
そんな息苦しい習慣の反動からか、私は、誰かが外側の層を破ってくれないかと望むようになった。誰か、内側に隠された、本当のマトリョーシカを見てほしいと思うようになっていた。
新入社員のころの私は、会社に入りさえすれば、私の潜在的な力が発揮でき、魅力的でいきいきした人間になれると思っていたのだった。本当の自分を、会社が引き出してくれると思い込んでいた。もちろんそんなことはありえない。企業が求めているのは、社会的な常識を守り、利益を生み出す人間だ。私は素っ頓狂な理由で会社員になってしまったのだ。
絵本を一人で声に出して読むと、自分の心の声が聞こえるのは自分だけだと、ありありと感じることができた。
マトリョーシカの外側を破るのは、私の心の声が聞こえる人間だけだ。それは他の誰でもない、私なのだ。
***
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