二十歳の記念に何をしたかはいくつになっても忘れない
記事:Mizuho Yamamoto(ライティング・ゼミ)
今年成人式を迎えたのは、3.11の震災の日に中学3年生だった子たちだ。長年教職にいた経験から、成人式というとあの子たちの年代だというのがすぐ頭に浮かぶ。単なる日本人の二十歳の若者ではなく、何十名ときには300名くらいの顔と名前が浮かぶので、より身近に感じる。それだけ「ジブンゴト」になる。
生徒は律義なもので、中学校卒業学年の先生を招いての懇親会を企画してくれるので、都合がつく限り参加する。お昼の市の公式行事の後、高校の同窓会をしていったん帰宅して着替えて夜の中学校の懇親会となるのが、どうやら私の住む市のパターンのようだ。今日これを書いている今も、夜は、懇親会に招かれているので、早めに書き上げねばならない。
懇親会では、スマホで昼間の衣装を見せてくれる。女子は振袖がほとんどで、たまに袴姿もあり。男子はスーツか、これまた袴姿。みんな満面の笑みで、素敵な衣装を身にまとい俳優さん勢ぞろいの新春カレンダーという感じ。見ているこっちも満面の笑みになる。
しかし親御さん、準備大変だったろうなぁ。
過ぎ去った自分の成人式を思う。
「振袖なんかいらないよ。試験中で、成人式には戻れないから。成人記念の海外旅行代をもらえたら嬉しいな」
旅行会社のパンフレットで見つけたアメリカロサンゼルスとサンフランシスコの旅。振袖購入費の当時の平均の半分以下の値段。2月の一番安い時期を予約して、その分のお金を郵便局の通帳に振り込んでもらった。それでも、定年退職(50歳!)後の就職先を辞めた父が失業中の我が家には、大きな負担だったと思う。
成人式当日は、一人で京都の下宿にいた。同じ下宿の友人は、成人式出席のため帰省中。
玄関を出てほんの20歩でぶつかる三十三間堂の西壁。その向こうで伝統行事「通し矢」が行われていた。よくテレビニュースに取り上げられる、振袖に袴姿にたすき掛けのきりりとした二十歳の女性が、びゅんと矢を放つあの行事だ。
そしてその日は、拝観料無料の日でもある。
小雪の舞い落ちる中、ジーンズにコートをひっかけて、三十三間堂に入った。しんしんと底冷えのする堂内にずらりと並ぶ千手観音。
何列にも重なるその観音様はみんな少しずつ違う顔をしていて、自分の大事な女性に似た面影の観音様が必ずいると言われている。迷いなく、母の面影を探した。私の母は、西洋人と間違えられる顔立ちで、東洋的な観音様の顔立ちから探すのは難しかった。
これかなぁ、と思う観音さまを見つけ、
「お蔭で成人式を迎えることが出来ました」
心の中で対話した。
それから二十数年後、訪れたパリのルーブル美術館で、「フランスの貴婦人」とタイトルの付いたヴァン・ダイクの絵には、思わず
「お母さん!」
と声をかけたくなった。そのときはもう母はこの世にいなかったが。やっぱり私の母は西洋の顔だったんだと妙に納得して懐かしかったのを覚えている。
さて、二十歳の記念のアメリカ旅行。
振袖着用成人式参加と旅行の両方を手に入れた友人と大阪国際空港を出発。新婚旅行の夫婦を送り出すように、友人たちが見送りに来てくれた。キャンデーのレイまで用意してくれて。
新婚旅行客の多いツアーで、カップルの生態を観察するのは刺激的だった。ひたすら二人の世界に浸り、いつも集合に遅れる夫婦。夫そっちのけで、よその奥さんとガールズトークで盛り上がる妻たち。夫たちは寝てるか、雑誌を読んでいるかでちょっと気の毒。
一番仲良くなったカップルは、向こうで式を挙げるという。
「式の後、立会人のサインがいるねんけど、あんたら来てくれる?」
クイーンメリー号での船上挙式に二つ返事で列席を決めた。
朝はホテルにリムジンでお出迎え。
カップルより緊張して乗り込む私たち。
美容師だという新婦は持ってきたドレスを素敵に着こなし、ささっと長い髪をまとめる。
アメリカ人牧師と何となく打ち合わせて、私たちだけが証人となる結婚式。誓いの言葉と誓いのKissと、そして出番の立会人のサイン。
羽ペンを持つ手が震え、何とか書いた筆記体のサイン。こんな私たちのサインでいいのかしら? と恐縮しつつ滞りなく終わった式。
二十歳の私から見ると、人生の大先輩に思えた新婚カップル。日本に帰ったら写真を両方の親に見せて、レストランで食事して終わり。
お金は、結婚後の生活にかけたいという2人。
新婚さんも様々なんだなと、人生勉強。
ロサンゼルスでは、当時東京にディズニーランドが建設されるという話はこれっぽっちもなく、とにかくやっと来た! とご飯も食べずにアトラクションを次々に制覇し。1日の滞在でここまでチケットを使い果たしたのは、あなたたちが初めてとツアーガイドに感心される始末。当時の日本の遊園地とは、比較できないサービス精神。お客様を喜ばせるディズニーの徹底したサービスに、アメリカの心を見た。当時の日本では、乗り物に乗るにも家族が友人が引き離され、5人家族が2人と3人に分けられ他人と一緒にさせられて当然だったのに、
“We are together !”
これで家族は、友人は、自分たちだけで1つの乗り物に乗り込むことができる。何てことだろう?
“We are together!”
魔法の言葉。
二十歳の瑞々しい感性に、染み渡ったアメリカ旅行の体験。英語が話せたらもっと楽しいだろうなぁ。半年前から京都YMCAに通って学んだ英会話。しかし足りない。受験英語
からまだまだ抜け切れていなかった。
帰り際ロサンゼルス空港で隣に座った老婦人に、
“Are you going to Seattle?”
と尋ねられ、「be going to=現在進行形」だと頭に浮かぶが、答えられない。時制はいいから答えなければ……
“Japan”
ひとこと言うのがやっとだった。
二十歳の記念のこの旅行が、私の英語への目覚めのきっかけとなったことは間違いない。
振袖は購入すれば娘に引き継げるが、私に娘はいない。息子2人である。
英語学習への意欲は、次男に引き継がれ、なぜか彼は今、千葉で中学校の英語の先生をしている。
二十歳の記念に何をしたかはいくつになっても忘れない。それが案外、自分自身の「核」を作っていることを、成人の日が来るたびに思い出す。
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