大人になれる場所 ―憧れと現実の狭間―
記事:春納言(ライティング・ゼミ)
近所のスーパーで毎週火曜日のセールを楽しみに生活している自分にとって好景気なんて決して自覚はないけれど、政治家の先生たちの胡散臭い演説も信じてみようかと思える場所がここにある。
デパートだ。
一時はやれ合併だ再編だと世間を騒がし、不景気のあおりを全面に受けてしまったのかと思っていたが、いざ訪れてみるとそうは感じさせない強さ。
平日の真昼間にもかかわらず今日も賑わっている。
郊外型ショッピングモールが最上級だった田舎娘の私にとって、大学進学とともにやってきた東京はどこへ行っても見上げるくらい巨大なデパートがある衝撃的な世界だった。
ショーウィンドウの一流ブランド、並ぶインポートのコスメ。
こんなセレブな世界があるのかと。
私の中の最上級がいとも簡単に、かつ驚きの速さで崩れ去った瞬間だった。
ここにいる間、私は違う自分になれる。
お上りさんの田舎娘なんかじゃない、そう思わせてくれる幻想のような空気に触れていたくて。
早く本物のシティガールになりたくて。
こうして何かあると(いや、何もないときのほうが多いのだけど)デパートへ足を運ぶようになった私だが、財布にお金は3千円。指差すグロスはその2倍。
買わされないかと冷や冷やしながらも、コスメカウンターに座ってメイクをしてもらう時間は特別だった。
少しだけ、大人になったような。
シティガールに憧れていた私も、気がつけば25歳。
思い描いていた社会人はとても大人だったけれど、いざ自分がなってみるとこんなもんか。
気持ちはまだまだ子供のまま。
財布の中身が3千円から3万円になったことだけは大人の階段を登ったようだけど、相変わらずの気持ちでデパートへ向かう私はまだまだ大人にはなりきれていないらしい。
だからきょうも気分だけは大人に浸りたくてやってきた。
年明けから休みなしで働いたんだ、ちょっとくらいいいだろう。
いつもの化粧品フロアをめぐり、買えやしないGやLのマークが眩しいカバンをひとしきり眺めたところでふと見かけた催事場の広告。
そういえば先週から恒例の美味しいものを集めた物産展をやっているんだった。エスカレーターのそばにあるスペースには大きくポスターまで貼り出す力の入れ様。
このあいだ、社内でも話題になっていたな。こんなときでも思い出すのは会社のこと。
我ながらビジネスライクだと心で笑いながら、滅多に上がらないが催事場まで行ってみることにした。
エレベーターのドアが開いた瞬間、広がる光景はやはり不景気とは縁遠い場所だった。
漂う食欲をそそる香り、聞きなれない方言交じりの声に賑わう人々。
きっと休日はもっと増えて、狭い通路は大渋滞になるんだろう。
そういえば今日はまだなにも食べていない。
せっかくだから人気の何かをたべていこうじゃないか。
北海道の有名なチーズケーキ、青森のリンゴジュース、繊細ですぐに壊れてしまいそうなキラキラスイーツ・・・
目移りするとはこのこと。きっと女子は間違いなく飛びつくであろうものばかり。しかしそうじゃないのが今日の私。
実に可愛げがないが、空腹には勝てそうもない。キラキラスイーツよりも、私の心を掴んで離さない、まるでジュエリーのような輝きを放つものがそこにはあったから。
「これ、ください」
ウニイクラカニ、海鮮弁当。
2000円也。
座るにも一苦労なレストスペースの端っこで、駅に吸い込まれる電車を眺めながらお弁当を開く。
ぷりぷりのウニ、輝くいくら、あふれんばかりのカニの身。
あぁ、幸せ。
夢だったんだ、デパートの物産展で海鮮丼を食べること。
私はまたひとつ、大人になった。
いったい人は何をもって大人になるのだろう。
結婚は16才からできるし、選挙権だって18才に引き下げられた。
ハタチになれば成人式。「責任ある大人になる」なんて代表挨拶の常套句だが、社会に出たってお金を稼いだって、気持ちが大人になれたかと言えば胸を張ってYESと言える人はきっと少ない。
明確な大人の定義があればと思う反面、気持ちは子供のままなんて逃げ道を作っておきたい自分もいる。
できることなら難しいことなど考えずに好きなように生きていたいし、逃げ道を保険に守りに入っていた方がずっと楽だ。
しかし、年を重ねればやれ仕事だ結婚だと考えなければならないことはどんどん増えていく。ライフプランニングなんてかっこいい響きは外側だけで、結局のところたくさんの責任としがらみを自覚させられるだけである。
輝く大人に憧れていたはずなのに、気付けばそこから逃げている自分がいた。
大人の定義はないけれど、もしかしたら逃げようとしているその時が大人に片足を突っ込んだ瞬間なのかもしれない。
憧れていた大人にはまだ遠いけれど、2000円の海鮮弁当を食べられるようになった私は、あの頃より間違いなく大人なんだろう。
1階のフロアで化粧品だって買えるようになったし、身につけるものだってきちんと選べるようにもなった。
そう思うと、いつまでも自分は子供だと逃げてはいられない。
デパートは私を大人にしてくれる。
いや、大人になっていることを気づかせてくれる。
ひと昔前に流行った「お・も・て・な・し」じゃないけれど、仮面を被り切れない田舎娘もひとりの女性として扱ってくれるようなホスピタリティーにあふれているデパート。
だからいつの時代もデパートは人々の憧れで、不景気を感じさせないような空間が広がっているのだろう。
憧れていたキラキラした大人になれている自信はまだないが、とりあえずコスメカウンターで生まれ変わったつやつやメイクで外に繰り出せば、きっと外見くらいは素敵な大人に見えるだろう。
夢だった物産展のお弁当でお腹も満たされた私は、外も中も、今だけは不景気も吹き飛ばす無敵の大人である。
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