彼女は涙ながらに詫びている様に見えた
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記事:山田THX将治(ライティング・ゼミ書塾)
「隼人さん、ごめん。一生懸命に走ったけど、これが限界」
純白の彼女は、涙を流しながらそう言ったのだろう。
競馬の世界で、サラブレッドが一生で一度しか出走できないレースがある。それを、クラシック・レースという。
代表的なレースは、ダービーとオークスだ。オークスは、牝馬限定の競争だ。
どのクラシック・レースも、三歳馬(人間なら高校生位)の時にしか出走出来ないレースだ。
5月23日に行われた今年のオークスでは、サラブレッドには珍しい純白の“白毛馬”が注目されていた。
純白の牝馬に相応しく、サンスクリット語で“純粋”“輝き”を意味する『ソダシ』と名付けられた彼女は、オークスの前哨戦・桜花賞を見事に勝ち上がり、オークスに参戦していた。
サラブレッドの白毛馬は、遺伝子的に誕生数が少ない。実際に競走馬として登録されているのは、全馬体色8種の中でわずかに0.04%という少なさだ。
そんな中での桜花賞勝利だったので、当然、注目が集まることとなった。オークス前にはグッズが発売され、それも即完売状態だった。
ソダシはオークスでも、一番人気に推されていた。
そんなソダシの鞍上は、37歳の吉田隼人という騎手に託された。
もうベテランの領域に入る吉田隼人騎手は、武豊騎手や福永祐一騎手程有名ではないが、堅実な騎乗振りで定評がある騎手だ。ただ、目立つ活躍が無かったせいか、有力馬への騎乗がなかなか叶わなかったことも事実だ。
オークスは、2,400mの長丁場で競われる。三歳牝馬には、過酷なレースだ。
どの出走馬にも未知の距離なので、騎手の腕前が問われることと為る。
出走前私は、一番人気のソダシにマイナスポイントが有るとすれば、血統的な距離適性と共に騎手の経験だと考えていた。
ブラッド・スポーツ(血統の競技)と言われる競馬では、血統が重要な論点と為る。ソダシの血統は、贔屓目に見ても長距離向きとは言えなかった。
また、鞍上の吉田隼人騎手も、これまで長距離戦で活躍した実績が無かった。
そんな不安を抱えたソダシと吉田騎手は、何やら相談している様な歩みで、本馬場に登場した。
純白の馬体にサラブレッドとしては“別嬪さん”に分類されるであろう美しい顔立ちのソダシは、その馬体色や容貌を少しでも際立たせようと、手綱や鞍帯等の馬具が全て純白に染め上げられていた。
新緑の芝生に、その純白の馬体は見事に映えていた。
吉田騎手は、時折ソダシを立ち止まらせ、今日の戦略を伝えている様だった。
彼が彼女の首をさすり耳に顔を近づけると、ソダシは、
「うん。解かった!」
とでも言う様に、首を大きく上下に振った。
定刻の15時40分、18頭の若牝馬は一斉にスターティング・ゲートを飛び出した。
周りを囲まれるのを嫌ってか、純白の少女は一気に先頭に立つ勢いだった。
ベテラン騎手は、
「ちょっと待て! もう少し我慢しよう」
と、言いたげに手綱を絞った。
「大丈夫!」
ソダシは、素直に従った。
流れる様に進んだレースは、4つのコーナーを回り最後の直線に入った。
「いい調子! もう少ししたらダッシュだ」
吉田騎手は、手綱を通じでソダシに伝えていた。
残り400m、馬群がばらけたところで吉田隼人騎手は、ソダシにゴーサインを送った。
ソダシはそれに応え、白い馬体を一気に先頭に押し出した。
歯を食い縛り、必死の形相に見えた。
鞍上の吉田騎手は、前屈みに為り、
「ソダシ! 頑張れ!!」
と、応援しながら追っている様に思えた。
ところが残り200m、ソダシの足色が鈍って来た。必死の形相が、泣きながら駆ける美少女の様だった。
吉田騎手は、鞍上から彼女の様子を察し、無駄な追いをするのを止めた。怪我を恐れてのことだ。苦労を知っているベテランならではの自制だった。
結局ソダシは、1番人気に推されたものの、8着でゴールした。
スタンド前に戻る数百mの間、ソダシの呼吸を整えようと吉田騎手は意識的にゆっくり走らせた。ゴーグルの奥は、多分、涙で曇っていたことだろう。
大切な愛馬の懸命な走りに、感極まった結果だ。
競走馬は走っている間、瞬きをしない。
大きなその目は、最高速で60kmを超える風圧にさらされることに為る。
当然、涙が飛ばされ、泣いている様に為ってしまう。
スタンド前に戻って来たソダシの目は、激走の証として涙に濡れていた。
その表情はまるで、
「隼人さん、ごめん。言われた様に走ったけど、これが限界」
と、言っている様に見えた。
鞍上の吉田隼人騎手は、ソダシの気持ちを察してか、彼女の首を優しく撫でながら、
「よくやった。よく頑張った。有難う。有難う」
とでも言っている様だった。
汗が浮かんだ純白の馬体が、5月の陽光の中、実に美しかった。
その姿は、他のライバルよりも数段輝いていた。
***
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