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人生において、何かを始めることに遅すぎることなんかない

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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:シダタカシ (ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
これは別に大した成功体験の話ではない。
それでも、ぼくが20代にたくさんの経験をして学んだことだ。
人生は、いつからでもリスタートできる。そんな話だ。
 
26歳の春。
ぼくは住む家がなく、大学の時の友人の家に転がり込かりこんだ。
有名どころの金融業者5社から、計250万円ほどの借金。
それから、スーツが2着、靴2足、数枚の下着とネクタイと歯ブラシ。
これが僕のすべてだった。
 
それまでは、先輩が学習塾を運営していて、その手伝いをしながら一緒に住んでいたのだが、塾の経営上のトップが、とんでもない犯罪者だと分かり、先輩と一緒に夜逃げ同然に家を飛び出したのが、その年の3月末。
住む家がなく困っていて、大学の友人に助けてくれと連絡をした。
快くぼくを受け入れてくれた友人は、しばらくの間ただ同然で住まわせてくれた。
これで、しばらくは住むところには困らないが、それでもお金は必要だし借金も返さないといけない。だから、必死に働いた。
当時の住まいは蒲田だったので、昼間は羽田空港のお土産屋。夜は居酒屋。
時給がいいところを探して、寝る間を惜しんで働いた。
そうして、少しずつ借金を返済していくところからが、ぼくの人生のリスタートだった。
 
23歳の春。
ぼくは大学を卒業してすぐに、埼玉の大手ハウスメーカーに就職した。人とコミュニケーションをとるのが嫌いではなかったのと、「一生に一度の買い物のお手伝いをする」というキャッチ―な売り文句にまんまと乗っかり、そのハウスメーカーの営業職として埼玉の独身寮に入り、社会人1年目を意気揚々とスタートさせた。
ただ、社会人1年目のよくある話で「思っていたのと違う症候群」に、早々とかかってしまうのである。ハウスメーカーの営業職として「思っていた」のは、来店するお客さんに理想の家を提案し、お客さんと共に家を作り上げ「シダさんが担当でよかった、ありがとう」と言われるような、華々しい姿。
しかし、実際は違っていて、来る日も来る日もチラシ配り。
そして、時々ぼくの巻いたチラシに引っかかったお客さんがいると、先輩や上司が勝手に話をまとめてくるという、つまらないものだった。
そんな「思っていたのと違う症候群」の僕の目の前に、ある時、あの人が思っていた姿で現れたのだ。
仕立てのよさそうなストライプのスーツと高級そうな腕時計にピカピカに光った革靴。甘い香りの香水に、程よく日焼けし引き締まった顔。ブラックコーヒーを飲みながら、爽やかな笑顔で「人生を変えてみないか?」と誘われたら、簡単に落ちるに決まっている。
大学を出たての子羊のような小僧は、あっという間に魔の手に落ちたのだ。
 
24歳の春。
せっかく、入った大手の会社をあっという間に辞めて、その人のいる会社で働くことになった。ここからバラ色の社会人生活がスタートするのだと思い、いざその会社がある新宿へ。
しかし、開けてみるとなんてことはない。
完全に超優良ブラック企業。
「フルコミッション」聞こえはいいが、基本給0円。
売れたら儲かるが、売れなきゃ食っていけないという世にも恐ろしいシステム。
商材は50万円の教材のみ。気合いと根性だけがものをいう世界。
売れない奴はゴミ以下だと朝礼で言われ、
今じゃ完全にアウトな売り方で、その商材を売っていく。
「思っていたのと違う症候群」の甘い考えの、ただの24歳の小僧が、漠然とした「成功者」というものにあこがれ、簡単になれると思っていた。できるわけがない。
というわけで、あっという間に借金小僧のいっちょ上がりである。
 
25歳の秋。
このまま続けても、借金は増える一方だし、どうしたもんかと悩んでいた。
そんなところへ、タイミングよく塾を手伝わないか? という先ほどの先輩の誘い。
断る理由もなく、居候しながら手伝いを半年ほど続けていたのだ。
 
話を26歳に戻そう。
ぼくは、他にもたくさん仕事をした。
専門学校の営業、広告代理店の手伝い、セキュリティー会社でSP、住宅賃貸の営業、六本木での水商売、日雇いのバイトまで入れたら両手両足じゃ足りないほど。
いちいち覚えていないが、どれも半年と続かない。
がんばろうとするのだが、うまくいかないのである。
根が楽天的なぼくでも、さすがに悩んでいた。どうしたもんかと……。
そんな時だった。
一緒に住まわせてもらっていた友人と食事をしていたときだった。
「お前は生き方を真剣に考えたほうがいい」という言葉にハッとさせられたのだ。
 
ぼくは、ずっと「成功」というものに憧れていた。「成功」とは、なにかも分からず、なんとなくバリバリ仕事をして、たくさんお金を稼いで、いい服着て、いい車に乗って、
カッコよくて、女の子にモテる。そんな姿を想像していたのだと思う。
でも、ホントの「成功」ってそんなことじゃなかったのだ。
自分の人生をどう生き、どういう自分でいたいのか、
その姿を目指して生きていくことの過程の話なのだと、なんとなく気づいた瞬間であった。
そこから、真剣に考えた。今までのこと、これからのこと。
そして、バカみたいだけれど
「このまま死んだら何にも残らないじゃん。オレ」
という、ホントに当たり前のことにようやく気が付いたのだ。
衝撃だった。
「オレは何のために生きているのだろう?」
 
そこからだった。自分の人生が少しずつ変わりはじめたのは。
「これからは、自分のためではなく人のために生きよう」そう思うようになったのだ。
そして、大学生のころ一瞬だけ「先生」になりたいと思っていたことを思い出した。
 
27歳の春。
ぼくはもう一度大学生に戻った。
といっても、借金は返し続けなければならないので、働きながら通信大学に通うことにした。
小学校の教員の免許をとるために。
朝5時から昼間の3時まで仕事をして、そのあと図書館で勉強。
そんな日々が、2年ほど続き、ようやく小学校の教員免許を取得した。
 
30歳の春。
借金がようやく無くなった。
そして、小学校教員免許取得から1年後。
小学校の教員として子ども達の前立つこととなった。
ようやく、ちゃんとスタートラインに立てた気がした。
 
時々、当時のことを振り返って人に話をするときがある。
そんな時、決まって「よく27歳から先生になろうと思ったね?」と言われる。
確かに、「遅すぎる」とか「今からで大丈夫かな」とかいう不安は少なからずあった。
しかし、それでもがんばれたのは、自分の生き方を決めて、そこに対して進もうとする自分が、きっと誇らしかったからなのだと思う。
 
「人生において、何かを始めることに遅すぎることなんかない」
これは、自分が経験してきたからこそそう思える。
「自分の人生を自分の生き方で進もうとする」
きっとそのこと自体に意味があるのだから。
 
44歳の初夏。
スタバにて。
 
 
 
 
***

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2021-05-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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