運転すると人は文章を忘れる《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》
2021/09/13/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
文章から離れたくなったら、車に乗るといい。
私達と文章を切り離すことはそう容易ではない。誰かと話をするのも文章だし、仕事で作成したレポートも文章だし、Webコンテンツや紙面媒体だって文章をベースに出来ている。私が今こうして書いているのも文章だ。これがなくなってしまったら一体全体どうなってしまうのか、そんなIFを問いかける今回のお題、まずその大前提で私は頭を抱えた。人間から言語すべてが取り去られたら猿に戻るしかない。いや、でも手話で会話できるゴリラとかいたな。書き文字がなくなって口伝で全てを済ませる世界? 歴史の最初からその前提だと文明の進化が大変だけど、現代社会から書き文字がなくなる程度なら意外と何とかなりそうだな。言葉は存在するけど文章として組み合わせられないなら「オレ オマエ スキ」とかそんなカタコトでコミュニケーションするのだろうか。そんなことを考えながら買い物に出かけようと車を運転していて、狭い道で対向車と鉢合わせた。
私と対向車の運転手の目が合う。
狭い道ではあるが、マンション駐車場の入り口など、ところどころ退避できるエリアがあり、そこをうまく活用すればすれ違いはさして難しくない。位置的には対向車よりも私の方が退避スペースに近い。アクセルを踏んで進み始めた私のヴィッツを見て、対向車はその動きを止めた。退避スペースにうまいこと頭からヴィッツを寄せて停止すると、今度は対向車がにじりにじりと動き始める。
あと少しですれ違うというところで、対向車の運転手がふわりと片手を上げて見せた。
「…………」
私も同じように手を上げ返す。
すれ違いは成功し、対向車はバックミラーの中であっという間に小さくなり見えなくなった。私も再びハンドルを切り、もといた場所へ戻り狭い道を進む。私と対向車の運転手は一度も言葉を交わさなかったが、お互いの意図を汲み取り、事故を起こすことなく過度に難しい状況になることもなくすれ違いを終えることが出来た。合図らしい合図はお互いに手を上げ合った時だけだ。だが合図をもって私が先に行く云々を決めたわけではない、あれは単なる挨拶で、感謝の表明で、同じ目的を達成した同志によるハイタッチのようなものだ。この暗黙の了解とささやかな合図は、運転手だけに許されたコミュニケーションツールなのだ。
運転手どうしが何らかの合図を送り合っていると気が付いたのは、確か子供の頃に路線バスに乗った時だった。バスの運転手は、反対車線などに別のバスがいると、お互いに手を上げ合って挨拶する。それは同じ会社のバスでもそうでなくても分け隔てなく挨拶している。初めてバスの運転手の挨拶を目撃した時は、その秘密の符丁めいたやりとりが無性に格好よく見えて、運転手のすぐ後ろの席を陣取って挨拶する瞬間を今か今かと待っていたものだった。
同じころだったと思うが、車酔いが酷くなり助手席に乗せてもらうようになると、車を運転している父も同じようにどこかに挨拶していることに気が付いた。最初は運転に必要な動作なのかと思っていたが、どうも違うようだ。バスの運転手のように手を上げる時もあれば、ライトを一瞬ピカリと光らせることもあるし、三角マークのボタンを押して、数秒で消す時もある。でも父はバスの運転手のように、すれ違う同じ車種の車に挨拶しているわけではなさそうだ。
「どうして今、ピカッてしたの?」
まだチャイルドシートが義務化していなかった時代、好奇心と一緒にシートベルトからはみ出してきた娘に、父は笑いながら答えた。
「あっちの車が困ってたから、曲がっていいよ、って合図したんだよ」
「合図かあ」
「見ててごらん」
父は合図の度に私に教えてくれた。それによれば、左右に曲がるときにつけている矢印とチッコンチッコンという音は、そうしないと曲がることが出来ない、ハンドルのロック解除のようなものだと思っていたが、どうもそうではなく周囲の車に曲がることを知らせるためのものとのことだった。高速道路で時速100kmを超えた時になるキンコンキンコンは、すごく早いから気をつけての合図だそうだが、父は運転が上手なので気にしなくてもいいらしい、本当だろうか。三角マークは車をちょっと停めてるだけですよ、と知らせるために停車中に使うが、道を譲ってもらった時に感謝の気持ちを込めて点滅させることもあるらしい。
車に乗ると、めちゃくちゃ合図しまくってるじゃないか。
運転手、つまり車側から出している合図だけではない。信号や道路標識も、みんなが安全に運転するための合図なのだそうだ。運転手とは大してみんなとおしゃべりもせずに無言でハンドルを動かす係とばかり思っていたのだが、道路や他の運転手と合図を送り合い、ずっと話し続けていたのだ。私はそれが面白くて、父の車の助手席に乗る度にあれやこれやと質問しまくった。
合図出すの、格好いいな。
私もいつか免許を取って車を運転しよう。運転手だけに許された秘密の合図を使って、細い道をうまくすれ違ったり、対向車に道を譲ったりするんだ。18歳になると早速自動車教習所に通い始めたが、生来の不器用さのせいで車という機械を自分の思い通りに動かすこと自体にとても苦労した。車の運転って難しいんだなあ、お父さんはすごいなあ。そんなことを思いながらなんとか卒検に合格し、晴れて免許証と初心者マークを取得した。
免許を取得して半年程だろうか、サークル新歓の季節がやってきた。私が参加してきた手品サークルでは、一泊二日の新歓合宿を開催して新入生どうし、新入生と上級生の交流を深めるイベントがある。仮入部状態の新入生に本入部する決心をさせるために、サークル員は新入生獲得のために全学年協力して新歓合宿を成功させなければならない、例えば免許を持っている人は、レンタカーを運転して合宿会場まで新入生やサークル員を運搬する、など。免許取得してほどない私も多分に漏れずレンタカーを運転する係になった。道のりを確かめてみれば、大学近辺から首都高速道路に乗り、県央道に出て、合宿会場近くで高速道路を降りるそうだ。免許を取得してから数えるほどしか運転したことがなかった私にとっては、チャレンジと言える難しい行程だった。県央道もだが、首都高がやばい。しかも友達や新入生を乗せて運転するなんて、助手席に座る人が運転が得意な人とは限らない。これは今のうちに練習して慣れておかないと大変なことになるぞ。両親に事情を話すと、合宿前に父が首都高での運転の練習に付き合ってくれることになった。
「ばっかやろう危ねえだろ!」
「とっととウィンカー出せ!」
「今ミラー見たのか!?」
「いきなり突っ込んでんじゃねえ!」
車内は罵詈雑言の嵐となった。私に車の秘密の合図を教えてくれた時のように穏やかにアドバイスしてくれるのではないかとなんとなく思っていたが、父は顔を真っ赤にして怒り狂い、運転なんてやめちまえ! と吐き捨てた。私は必死にハンドルを切り、アクセルとブレーキを踏み、父の言うままに何度も何度も首都高速に乗っては降りて、乗っては降りて、を繰り返した。普段とはあまりにも異なる父の剣幕に、最終的に首都高乗車OKの免状が出たのかどうなのか覚えていない。たぶん文句なしの合格ではなくて、しぶしぶだったか、あるいは勝手にしろと突き放されたのかもしれない。合宿当日は父以上に大騒ぎしながらレンタカーを運転し、無事に同僚と新入生を送り届けることが出来た。
父が運転以外の車にも乗るようになってから、運転のスタイルもいろいろあるのだということを知った。私のような初心者が危なっかしい運転をするのは言うまでもないが、ある程度熟練した運転手でも、人によって個性が出る。普段はあっけらかんとしている人が丁寧すぎるほど慎重な運転をしていたり、ブツブツ独り言を言いながら乱暴な運転をする人もいる。日頃粗野な振る舞いなので、運転もさぞかし雑なのだろうと思いきや、要所要所でしっかりと確認をするような運転だったりすると、この人意外とやるな、と一目置いたこともある。普段の性格と運転している時の性格が変わり、その様子が面白くて、他人が運転する車に乗車するとつい運転手の様子をつぶさに観察してしまう癖がついた。
車の運転にはたくさんの合図があって、運転手どうしでコミュニケーションをとっている。車の運転時は平時と性格がガラッと変わるのは、運転手どうしのコミュニケーションは文章を使わない、非言語のコミュニケーションだからだろうか。動物がお互いの視線を交わし、互いの匂いを嗅いだだけでいろいろな情報を読み取るように、合図を通していろいろな物事を読み取る。原始的な、動物的なコミュニケーション方法だから、その人が日頃文章を使って考えた結果としての文化的な行動ではなく、もっと本能に近いところのむき出しの個性があらわになっているのではないか。
新歓合宿での運転から何年も経ち、他人を乗せて運転するのにも慣れてきた頃、またしてもサークル員を乗せて遠出したことがあった。帰り道の高速道路は車同士が密集するがある程度速度をもって流れている程度の混雑具合だ。私は同じような景色が続く運転にうんざりしながら、電光掲示板に示された渋滞情報を確認する。視線を戻した瞬間、想像よりもはるかに前の車が目の前に迫っている!
父の怒鳴り声が聞こえた気がした。
何か思いつくよりも前に、力いっぱいブレーキを踏み抜いていた。シートベルトが動作して肩に食い込み、同乗者が悲鳴を上げる。吸い寄せられるように前の車が迫り──目の前でぎりぎり止まった! だが次の瞬間、背後から強烈な一撃に車体が大きく揺れる。悲鳴、ブレーキ、もう一度衝撃。最後に今度は前方から衝撃。同乗者全員が恐怖に沈黙する中、言葉にならない意志が壊れんばかりにブレーキを踏み続けていた。4台玉突き事故の前から2番に巻き込まれてしまったのだが、事実を理解したのは車から降りて随分経ってからだった。私達の車が一番の損害で、フレームがひしゃげてドアが閉まらなくなり大破していた。事故処理や事情聴収があったが震えて興奮していたことしか覚えていない。
ブレーキを踏み抜いたのは、咄嗟の判断とも言えないような本能だった。
あの時聞こえた父の声は、かつて首都高の練習の時に怒り狂った父のものだが、言葉ではなく動物の雄叫びのような声だった。咄嗟にその幻聴に反応した私も、言葉で考えるよりも先に反射的に行動していた、というのが正しい表現だ。事実、首都高の練習の時は何度も何度も「ブレーキ踏め! 殺す気か!」と怒鳴られて首を縮めていたし、事故の検証では私の車のブレーキ痕はしっかりあったと立証され、過失割合は低かった。
車の運転は、言葉を使わない合図によるコミュニケーションをたくさん必要としている。それは日頃言葉でのコミュニケーションに頼りがちな人間の文化的な部分を引き剥がして、本能をむき出しにする。父はあの日、私の危なっかしい運転に対してむき出しの本能で怒り狂っていたのだろう。それが私の本能に届き、私自身意識しないままに深く刻み込まれていた。そのおかげで、大事故という極限の瞬間に、ブレーキを踏み抜くという正しい行動を選択することが出来たのだ。
あの恐ろしい事故のことは今でも時々思い出しては身がすくむような気持ちでいる。それは車に乗って対向車に合図をする時、何気ない道でブレーキを踏んでいる時、いろいろな場面でフラッシュバックするので、気を引き締めるには十分すぎるトラウマとなった。
運転が上手い人の様子を観察していると、一つ一つの動きが滑らかで判断が早いように思える。それは動作や確認を言語で考えるのではなく、本能で判断するような状態だからなのではないかと推測している。しばらく運転していないような人の危なっかしい運転では、「右を見て、左を見て……」と文章で考えてしまっているので、ガチャガチャして煩わしいような感覚がある。文章で考えず、ほぼ無意識ともいえる状態で運転しているのは、運転手も同乗者もとても心地よい。人間もまた動物で、お互いの気配を察しながら非言語のコミュニケーションが出来るのだという事を思い出させてくれるからだ。
文章を忘れて、本能レベルでの安全運転をこれからも心掛けていきたい。
□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
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