九州男児は、上げ膳据え膳なのか?
記事:たけちゃん(ライティング・ゼミ)
秋刀魚が、お皿の上に綺麗な姿のままで、横たわっている。その上に積み上げられた大根おろしの山の上半分が、醤油が浸って茶色くなっている。
旬に出すここの秋刀魚は格別である。おまけに価格もリーズナブル。こんな値段で、この味で、尾頭付きで出てくるなんて、有り難いことだ。
今日は、午後から月初めの営業会議だった。長引いてしまい、事務所を出た時には、午後8時をまわっていた。もうずいぶん前からお腹が鳴っている。
今日の営業会議も散々だった。今月のノルマの達成方法について、営業全員10人の前で説明させられた。説明は、5分程度で終わったのだが、その後、所長、主任から、怒鳴られているとしか思えないような大声で、質問を浴びせかけられた。
「相手の営業への商談はどうなっている!」
「部長には、事前に打診をしているのだろうな?」
「おまえ、安易に考えていないか?」
そのひとつひとつに答えるだけで、汗が額からこぼれ落ち、頭がくらくらしてきた。
きっとそれに頭を使いすぎたから、こんなにお腹が減ったのかもしれない。
いまいる居酒屋は、事務所の隣のビルの1階にあり、営業会議の後は、必ずといっていいほど、同期の田中と来ている。随分前から顔なじみだ。
ただ、今日は、いつもと違っていて、アシスタントの直子ちゃんも一緒だ。
女っ気がない、僕らにはめずらしい。たまたま、正門のところで出会わせてくれて、さらに、友達との夕飯の約束をダメにしてくれた神様に感謝したい。
さて、この目の前にある秋刀魚なのである。
私と直子ちゃんの前のものは、もう骨だけになっている。田中の秋刀魚なのである。
まったく手をつけていない。
「おまえ、秋刀魚嫌いだったのか?」
「そんなことはないよ!」
と田中は苦虫をつぶしたような顔で答えた。
「じゃぁ食えよ! うまいぞ!」と秋刀魚の乗ったお皿を田中に近づけると直子ちゃんも「こんなにおいしい秋刀魚! もったいないよ!」と満面の笑顔で、勧めている。
「実は俺……」と田中の声のトーンが小さくなった。
「骨がついた魚の身を取り分けられないんだ。」
「うそっ!」「まじ!」と直子ちゃんの声と俺の声が共鳴した。
「まさか、生まれてから今日まで、やったことないって言うなよ!」
と半分冗談のつもりで俺は田中に言った。
「恥ずかしい話だけど、やったことがないんだよ! やろうとしたことはあるけど、出来る気がしなくて、恥ずかしくなってやめてしまった。だから、できない」
「じゃぁ、秋刀魚を尾頭付きで食べたことないのかよ?」
と言うと、田中は、照れくさそうに笑いながら言った。
「食べる時は、母さんが取り分けてくれるんだ。我が家は、父さんも母さんに取り分けてもらっている。秋刀魚だけじゃない。鯛もヒラメも骨が付いた魚は全部、母さんが身を取り分けてくれるんだ」
「まじ! 上げ膳据え膳なのかよ」
「まぁ、そう言うことだ」と田中は伏し目がちにそう言った。
俺は、ものすごく興味が湧いてきた。隣の直子ちゃんも同じようだ。
それから、根ほり、葉ほりと田中に質問をした。話を総合するとこういうことらしい。
田中の家は、福岡市内の旧家で十数代も前からの家系図がある家なのだそうだ。
そんな家だから、男尊女卑の考え方が染みついていて、田中の小さい時、爺さんも上げ膳、据え膳だったそうだ。そういう環境で暮らしてきた田中は、当然の如く、上げ膳、据え膳で育ち、就職するまで実家にいたので、魚の身のとりわけもやってもらっていたらしい。
ところが、大学生になるとコンパなんかで、居酒屋に行く機会が増え、たまに骨付きの魚がでてきてしまい、できるだけそれは残して、他のものを食べていたようだ。
「九州男児は、上げ膳、据え膳なんだから、しかたないんだよ!」と膨れ面で
俺と直子ちゃんに田中は言った。
それを聞いて、俺は田中に言ってやった。
「でもさ、俺の親父は大分で育ったんだけど、上げ膳、据え膳じゃないぞ!」
「九州男児は、みんなそうだろ! お前の親父がおかしいのと違うか!」
と言い切る田中に俺は、言った。
「俺の親父は、高校卒業と同時に上京して、お金がないから、狭いアパートで自炊していたんだよ。 そんな状況なら、上げ膳、据え膳なんてこと言えなくなるよな。」
田中は、納得したような、しないような顔をしている。
「要は、環境が変れば、生活習慣も変わるってことだ。 だから、お前も環境が変わったんだから、生活習慣を変えないとな!」
「さっそく、チャレンジよ!」と直子ちゃんに言われ、しぶしぶ田中は、魚の身を取り分け始めた。
最初は、ぐちゃぐちゃだったが、それから居酒屋に行くたびに、秋刀魚を注文して、練習させるものだから、今では、惚れ惚れするくらい、綺麗に取り分けられるようになっている。
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