記憶
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記事:Seiko(ライティング・ライブ東京会場)
子供の頃からずっと、父はとても怖い存在だった。
周りを圧倒するような存在感があり、たとえ怒っていなくてもいるだけで怖い。
父が家にいる時は、何か言われるのではないか、怒られるのではないかと、
わたしはいつも内心緊張していて、心が休まらなかった。
二つ下の弟が晩酌をしている父の膝の上にちょこんと座り、父の顔をさわったり、
抱きついたりしているのを見て、よくあんなことが出来るものだと思っていた。
どれだけ怖いんだという感じだ。
最近、あるきっかけから、
自分の幼い頃のことを思い出したり、考えたりする機会があったのだが、
それが、ちょっと意外なことに、
少なくともわたしの幼稚園までの記憶の中の父は、全く怒っていなかったのだ。
むしろ優しい。
思い出すどの場面でもニコニコ笑っていて、わたしはよく一緒に遊んでもらい、
父に甘え、大好きなお父さんと言う印象だった。
驚いた。
え? お父さんはずっと怖かったよね? 違ったの?
ではなぜ? いつから? と思った。
小学生のわたしにとって、父は既に怖い存在になっているので。
ここからはわたし自身の話になる。
小学生になったわたしは、いつの頃からかおねしょをするようになった。
それもかなり頻繁に毎日のように。
そして、これもいつの頃からか、
おねしょをすると父に怒られるようになった。
その頃のわたしは、夜は8時には寝ていたので、
父は自分が寝る前に、わたしの布団が濡れていないか確認する。
そして濡れていると怒られて、時には夜の庭に放り出された。
父の怒る声とわたしの泣き叫ぶ声と、結構な修羅場だったのではないかと思う。
わたしの中で、おねしょをするのは怒られること。
ゆえにそれは悪いことだった。
どうして治らないのか。
〇年生なのに困るなぁと言われた。
おねしょをする自分は恥ずかしい存在で、
でもどうしてしてしまうのか分からずに、
治せない自分が悪いのだと思っていた。
確か5年生になった頃、自然にしなくなったと思う。
長年の悩みから解放され、当時のわたしも、もの凄くホッとした。
わたしにとって、とても恥ずかしい記憶だった。
思い出して子供の頃の自分が可哀そうになってしまう。
おねしょなんてどうってことないよって、
笑って言ってもらいたかったのかな。
きっとそうだと思う。
そして話は冒頭に戻り、
父が怒るようになったのは、
わたしのおねしょがきっかけだったのだろうか?
と、記憶の旅の中で思ったわけだ。
父も、突然連日おねしょをするようになった小学生の我が子に
心配したり戸惑ったりしていたのかもしれない。
わたしが順調に成長することが大切だったのかもしれない。
安心したかったのだろうか。
それが、あのような怒りになって表れたのだろうか。
そして小学生になったわたしは、学校は楽しかったけれど、
一方で、度々怒る、厳しい担任の先生に圧倒され、
仲の良かった友達から仲間外れになったり、
しつこくからかってくる男子が嫌でとか、
今思うと、結構ハードな環境にいたようだ。
そんなことも思い出した。
大人になった今だって、
もしも会社の上司が怒鳴り怒る人で、
同僚女性に突然無視されるようになり、
男性社員がしつこくからかってきて、
家に帰れば夫が怖い。
これは気が重いだろうと思う。
そのストレスでわたしは夜尿症になったのではなかろうか?
それをきっかけに父も怒るようになり、
わたしは怒られることに怯えて家でも安らぎがなくなり……
よくない循環にはまってしまっていたのでは?
大いにそんな気がしてきた。
夜尿症は、精神的なストレスが原因だと、だいぶ前に知ったので、
わたしもきっと何か原因があったのではないかと思っていたのだ。
何年も前に友人から、当時幼稚園児だった下のお子さんが
「最近おねしょをするの。それはいいのだけれど、そうすると旦那がものすごく怒るの。
ものすごく怒って、臭い、汚い、って子供に言うの。それが嫌で仕方がないのよ」
と打ち明けられたことがあった。
ご主人が怒るその理由はわからなかったけれど、
わたしは友人に、自分も子供の頃、おねしょをしてよく怒られたことや、
わたしもしたくはなかったのだけれど、どうしようも出来なかったこと。
だから出来れば怒らないで、「どうってことないよ」みたいに対応してあげて欲しいと伝えた。
そんなことが誰かの悲しい思い出になる必要はないよ。
その後、友人からは何も聞かなかったけれども、平和に解決したことを祈る。
ところで、私の父は13年前に亡くなった。
亡くなる半年ほど前、家族で実家に遊びに行ったことがあった。
その時、すっかり穏やかな優しいおじいちゃんになっていた父に
「俺は最近なぁ、夜、布団に入ると昔の事を思い出すよ。
どうしてあんなに厳しくしたのかなぁ。
そう思うと寝ていて涙がでてくるよ。
悪かったなぁ」
と突然言われて驚いた。
父がそんな風に心を痛めていたなんて知らなかった。
「そんなこともういいよ。何とも思っていないよ。
わたしはお父さんとお母さんに育ててもらって本当に良かったよ」
父にはそう伝える事ができた。
その半年後に突然逝ってしまったので、
この会話が出来て、お互いに良かったなぁと思う。
父はよく、
「子供叱るな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ」
と言っていたのだが、
あれは自分の後悔の気持ちもあったのだろうか。
晩年の父は、わたしが幼稚園児だった頃の記憶と同じ、
いつも笑っている、優しい父だった。
***
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