真逆のファザーコンプレックス
記事:辰巳葉子さま(ライティング・ゼミ)
永六輔さんが83歳で亡くなったニュースをきいてなんだか少し不安になった。
父親の歳が永六輔さんより少し上だからかな。
いつ何があってもおかしくない歳なんだけど、自分の父親だけは絶対死なないみたいな気持ちがどこかにある。わたしの前からいなくなったりしないと思い込んでいるところがある。
父親とわたしには長いブランクがある。
というか、顔をちゃんと合わせるのも高校卒業前までで、ひとり暮らしを始めてからあるときまでは、いつも母というフィルターを通しての伝言板だった。
物心ついてから、ちゃんと話をした記憶がなかった。
高校受験や大学の進路や就職先にも、とくに口を出すこともなく、父からの要望も聞いたことがない。昭和ヒトケタの父親って、そんなものかなって思いこんでたけど、友達の父親の話を聞くとびっくりするくらい違う。
母親から聞く父親は、せっかちで自分勝手。
思い通りにならないと、口をきかなくなってしまう。
人つきあいが苦手で友だちがいない。
趣味がない。
ここまで聞くと、娘ながらがっかりしてくる。
「全然いいとこないじゃん」だ。
母が入院した。
ひとり暮らしのわたしと、そしてひとり暮らしが始まったばかりの父親と待ち合わせて母に会いに行く。
母がいる病院まではバスに乗る。
バスはいつも混雑して、満タンに人を乗せる。
前方にあるカラダの不自由な優先席に座った父親。
わたしは最後尾まですすんで立っていた。
次の停留所でちょっとぽっちゃりした女性がバスに乗り込んできた。
蒸し暑さで汗を拭きながら、歩きにくそうにバスに入ってきた女性に、父親は席をゆずったのだ……
「おとーさん、あなたこのバスの中で1番年上だよー!!」と心でつぶやいてしまった。
身動きできないほど混雑してるバスの中だから、わたしにはどうにもできなかったよ。
「なんだか、いいとこあるじゃんね」とまたつぶやいてた。
母を介さずに父に接すると見える風景が変わる。
でもわたしの中の幼い頃の父の記憶はこうだ。
わたしの父は顔が四角い。ちょっと古いけど国民的人気シリーズ「男はつらいよ」の寅さんみたいに四角い顔だ。そして腰が悪いから、寅さんみたいに腹巻をしていた。
寅さんと違うところは、表情が少なくて愛想笑いができないから顔が怖くみえるところ。
小学校の授業参観に父親がきたときに思った。
クラスのどの子の父親よりも顔が怖いと。
真逆のファザーコンプレックスだと思う。
父親が自分の父親であることがばれないように、必死にふるまった記憶がある。
父親は若いころたくさん働いて、ヤンチャをしたつけが今まわってきている。
カラダのあちこちはだいぶ傷んできていて、もう走ったりできない。
そのおかげかゆったり歩いたり、丁寧にカラダを動かすので、ちょっと動作がきれいに見える。
内臓には病気をいろいろ持っていて、年に1度は入院治療をする。
そんなこともあり、自己管理ができるようになっている。
よほどのことがない限り、私には頼らずに自分で何とかしようとする。
母が亡くなったときの父の瞳をわたしはおぼえている。
猛禽類のように瞳が小さくなった。
悲しいのではなく、清々しいくらい澄んでいて、ものすごく遠くに焦点があっているようだった。
「かあさん、まだあったかいな……」とだけいった。
飄々としている父だった。
わたしは長いこと、父親は自分勝手な人だと思っていた。
笑わない人だと思い込んでいた。
意思の疎通がない親子だと、ずっと思っていた。
母の遺影を探したときに、父親と遊ぶ幼いころのわたしの写真がでてきた。
写真の中のわたしは楽しそうに笑っていた。
忘れていた記憶は写真に写っていたんだ。
父親はつまらないひとという母親の解釈に、わたしが装飾して思い込んでいたんだとわかった。
この頃、父とはよく話をする。
年寄りらしくおなじ話をなんども、なんども。
会うたびにおなじ話をなんども、なんども。
楽しそうににこやかに笑って、
その話の中にはいつも母親がいる。
長い時間のブランクがあって、
お互いに年をとって、だから今の距離感の父と娘なんだと思う。
月に1度会いに行って、父の家から見えるレストランでランチをする。
父と月に1度ビールを飲む日だ。
蒸し暑い日、ビールを飲んでから、入れ歯を忘れた……と、家に戻る父親の後ろ姿。
お店の人も笑っている。
こんなにおもしろい人だったんだね。
おとーさん。
おなじ話をなんども、なんどもしよう。
会うたびにいつも、おなじ話をなんども、なんどもして、
それでまた笑おうね。おとーさん。
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