メディアグランプリ

母は海に眠る……いや起きているかもしれない

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記事: 辰巳葉子(ライティング・ゼミ)

「ねぇ、これ食べていい?」
「テレビ見てもいい?」
「遊びに行ってもいい?」
って、幼い頃の私はなんでも母に許可を求める子どもだった。

「いいよ」って母に言われると、なんだかホッとして行動するような子どもだった。

父と母と私の3人家族の夏休みは、父の故郷の辻堂の砂浜に行く。
おばあちゃんの家に泊まって、親戚中で地引き網を仕掛けるのが夏の大イベントだった。
何艘かの船で沖合に網を仕掛けて、その網を親戚中で引っ張る。
網にかかる魚はたくさんいたけれど、子どもたちはおもちゃバケツいっぱいにシラスをもらう。
そのシラスの中に混じって、小さいタコやイカの赤ちゃんが入っているのを見つけるのが1番の楽しみだった。

海を眺めると左の方向に江の島が見える。
まだそれほどサーファーも多くない時代で、浮き輪やビーチボールにつかまって海を漂って日焼けをするのが夏休みだった。

私から見たら、その場所しか考えられなかった……。
色あせてきているが、湘南の海は思い出がたくさん残っている。

あの時からどれくらいの時間がたったのだろう……。

長いあいだバラけていた父と母と私がもう1度集まったのは、母の病室だった。
突然母を襲ったのは、退院の見込みはなく、自宅での介護は到底無理な重症レベルの障害だった。
たくさんのパイプや管がカラダにつながれている母の前で、再び家族が始まっていく。

カラダから自由を奪われた母は、パイプや管がカラダから外れる頃、覚悟を決めたようだった。
リハビリに励んで、バランスボールにのったり、残された両腕の筋力アップをして、車いすにひとりで乗れるところまで回復をしていった。

仕事帰りに母に会いに行く私を気遣い、「毎日来なくていいよ」といった。
私をみて「病気になったかあさんより、あなたのほうがガッカリしてるわね」ともいった。

8階の病室の窓から車いすに座り、帰り道の坂道を下っていく私の姿が見えなくなるまで手を振って見送る母が小さく見えた。久しぶりの母の姿だった。
「毎日来なくていいよ」っていわれたけど、嬉しくてきっと明日も行ってしまう。
本当に小さな小さな回復だけど、確実に感じる時を過ごしたのはこの時だけだった。

8年以上にわたる闘病生活では、なだらなか曲線を描くように、母の体調は悪化していった。
いくつもの病院や介護施設を転々として、最後にたどり着いたのは病院が併設されている療養型の介護施設だった。
それでも母は行く先々で介護士のイケメンと仲良くなり、○○さんのお姫さまだっこが上手だとか、△△君に優しくしてもらったとか、周りの人に恵まれた入院生活を送っていた。

そして、なんども危篤状態になった。
食事ができなくなった時に、病院から延命治療で高栄養点滴に切り替えるかと聞かれたときも、
「もういいよ……」と母は断った。
「食べものが口に入らなかったら、もうお迎えが来てるんだよ」
「やっと順番がきたんだよ」とほっとしたように母は笑った。
わたしも安心して母の意見に賛成をした。

そろそろ私はやらなくてはいけない大仕事がひとつ残っている。
「ねぇ、かぁさん。 どんなお墓がいい?」
という、このひと言がいえない。どうしても聞けない。
でも聞いておきたい。母の希望はかなえてあげたい。
もっと前に聞いておけばよかったと言われるけれど、そんなチャンスは今までになかった気がする。あの障害を負ってから必死で前しか見ていなかったから、ちょっとでも気持ちが砕けるようなことは言えなかった。

母が過ごす部屋は4人から6人部屋で、薄い抗菌カーテンで仕切られただけの小さなスペースが母のすべてだった。窮屈な空間で息が詰まる思いをしているといつも感じていた。

もっと広々としたところに連れ出したいと車いすに乗せて公園に行くのが楽しみだったのは、もうかなり昔のことだった。もういろんなところが硬直してしまって、車いすに座ることができない。

広い空が見渡せる場所や桜の花が満開になるところ、気持ちのいい風が吹くところ、そんなところにお墓を作りたいとずっと思っていた私だが、母にはなかなか言い出すことができなかった。

なんども危篤状態になる中で、病院からは逢わせたい人には逢わせてあげてくださいと何度も言われた。

話すこともなかなか難しくなっている母だったが、突然に口が動いた。
母「葉子の好きにしていいよ」
私「ん? なにを?」
母「いろいろ。 お葬式とかお墓とか」
私「うん。 わかった」
って、小さい頃と全く同じだった。
母に「いいよ」って言われると、なんだかホッと安心してしまう。
あれこれと説明をする必要は全然なかったんだ。
母はおおらかで最期まで強かった。

そんな母には広々とした海を渡ってほしい。
母のお墓は海洋散骨にすることにした。
私にはその場所しか考えられなかった……その場所はすこし色あせた思い出の湘南の海だ。

江の島からクルーズ船に乗り込む。
母の遺骨は細かく粉砕して海に溶けるように加工されて、これもまた水に溶ける和紙の中に収まっている。
沖合25キロの地点、富士山を拝み江の島が背後にかすんで見える。
船は旋回して汽笛をあげる。
母の好きだった花の花びらが投げ込まれたあとに、遺骨も旋回しながら海に吸い込まれて解けていった。
そしてもう1度、今度は少し長めに汽笛が鳴った。

母は海に眠る……いや起きているかもしれない。
今頃はハワイ沖か? 太平洋のどこかだろうか?
自由に行きたいところに行き、カラダの痛みから解き放たれているだろう。

時々海を見たくなる。
そんな時は「葉子の好きにしていいよ」っていってもらいに海に行くことにしている。
 

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-07-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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