引っ越したのは遠くて近い場所
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:小川大輔(ライティング・ゼミ4月コース)
最近、父と会っていない。僕が実家から離れた場所で一人暮らしをしながら仕事をしているのもあるが、父も赴任先が変わって引っ越してしまったからだ。僕がたまに実家に帰っても話す機会がない。
「ちょっと、お父さん、聞いてる?」
「おう」
ブオッ!!!
「うわっ! くっさ!!」
波動砲のような大迫力のおならを全力でぶっ放す父は社交的なのだが、家の中では結構無口であまりしゃべらない。体格も僕とは正反対で体重は100㎏を超えるほど太っている。テレビの前でゴロゴロしている姿をみると太ったアザラシがいるのかと勘違いしてしまう。家の外ではよくしゃべるから、僕の友達と僕以上に仲良くなってしまうような、そんな不思議な人だ。
さらによくわからないのが、家の中で過ごすアザラシ状態の姿とは裏腹に、仕事では顔が広くかなりの実力者だという。家族の僕からしてもまったくもって謎の人である。
そんな父が大好きな物、それが野球だ。特に高校野球が死ぬほど好きで、夏の県大会が始まると仕事中に「営業に行ってくる」と言って会社を抜け出し球場に足を運ぶ。
「この前、球場でお前の父ちゃん見かけだぞ」と何度言われたかわからない。ああ、父よ、いったい何をしているんだ。恥ずかしいじゃないか……。これから7月になればまた高校野球が始まるから、どうせ観に行くのだろう。まあ、そういう僕も高校野球は大好きだから、都合があえば一緒に観に行こう。
父とは電話以外では車の中でよく話をした。話をすると言ってもほとんどが野球の話。運転するのが父で僕は必ず助手席。
「今年はあの高校強いな」「あの選手はすごい」「今年プロに入ったあの選手は○○高校にいた選手だな」
僕と同じくらいかそれ以上にマニアックな父とは延々そんな話が続いて尽きない。たまに仕事の話やちょっと真面目な話になると、「ふんふん」とほとんど聞いていて、話をさえぎったりせず、絶妙なタイミングでものすごく深いことを言ったり、論理的に話したりしてくれた。そういう時は「社会をよく知っているんだなあ」とアザラシのイメージは消える。
父と車。それは僕にとってもおそらく家族にとっても切り離せない。あの父の車にはたくさんの思い出が詰まっている。赴任先が変わったから仕方ないが、引っ越してしまったらなかなか車の中で話ができなくなる。今度会ってくれるだろうか。住所がいまいちわからない所だから聞かないといけないし、僕と同じであまり部屋はきれいにしてないんだろうけど。
僕が高校の時こんなことがあった。僕は野球部に所属していたのだが、当時グラウンドに雨天練習のできる場所がなかった。そのため、建設会社に勤めていた父が他の親御さんたちと一緒に簡易の雨天練習場を設置してくれた。その時の費用が100万円だったそうだ。練習試合のあと試合を見に来ていた父の車で家に帰る途中、僕は喉が渇いたので自販機によってくれるよう頼んだ。すると突然、「100万円忘れたーー!!」父は雨天練習場の建設費用100万円を受け取ったらしいのだが、それが入ったカバンをグラウンドに忘れてきたと言って慌てて引き返した。幸い盗まれずにあったからよかったものの、あの時僕が自販機によってくれと言わなかったらどうなっていたのか……。父よ、大丈夫か?
100万円入ったカバンを置きっぱなしにするなんて伝説的じゃないか。
ある夏の日、車の中で父は言った。年齢にも外見にもそぐわないアロハシャツを羽織って。
「ワシは結婚して子どもを持つ気なんてなかった」
何の話題を話していてこんな言葉が出てきたのかは覚えていない。しかも今助手席に座っている自分の子どもに向かってだ。
「そうなん? じゃあなんで子どもがいるの?」僕は聞き返す。
「ワシが生きた証が残るから」
なんて言ったらいいかわからなかった。ただ父は普段こんなことは言わない。父らしくないなと思った。そして心のどこかでそんなこと言わないでくれと思った。
なぜならその時、父は末期の癌だったから。「自分が生きている間に伝えておこう」そう思っているのならやめてくれと。
それからすぐだ。父が天国へ引っ越してしまったのは。
その日の夜、僕は家から出て家族に見えないように古い階段に座った。
「父さん、父さん」
涙が止まらなくなった。泣いて、泣いて、泣いて。それでも涙は止まらない。涙ってこんなに出るんだなと思った。
空っぽになった車。それを見るだけでまだ父は生きているのではないかと錯覚してしまう。ふと気が付くと夜なのに周りが妙に明るい。上を見ると雲一つない夜空に命の輝きのように光る満月。
「あ、父さんが死んだからだ」
とてもとても美しい満月の日、父の魂は天へと昇って行った。
明日は父の日。生前、あげた靴を気に入って履いてくれてたのはいいけど、マンホールに落とさないでよ……。しかも「同じのをもう一足くれ」ってどういうこと?
暑くなるから夏用のシャツをあげたとき、一番大きいサイズでしかも伸縮するのに「ワシには小さい」って言って着れないっておかしくない? あの大きさなら絶対着れたよね?
父が天国へ赴任して引っ越した場所はとても遠いけど、僕ら家族の胸の中というとても近い場所でもある。いつでも父には会える。父もきっと大好きだった高校野球をみるように僕ら家族を見ている。なぜなら、父は口には出さなかったけれど家族に対する深い愛情があることは肌で感じ取れていたから。
父さん、たくさんの思い出と溢れるような優しさをありがとう。もっともっとたくさん話したかった。いっしょに過ごしたかった。
あれから今年で12年。
世界一尊敬し、大好きだった父は今でも胸の中で生きている。
***
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