味噌汁こぼしちゃった
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:淵江沙帆(ライティング・ゼミ6月コース)
3連休の中日。夫と久しぶりの遠出。
都心から少し離れた複合型アミューズメントパークに行くのだ。動物園や、遊園地、プールが一体になっているところで、私は洋服の下に水着を着て、その水着の下には溢れるばかりのワクワクがあった。
車の助手席に乗る。
「これからお出かけをするのだ!」という実感が高まって、嬉しくてつい身体を左右に揺らしてしまう。なんだかよくわからない歌まで自然と口からこぼれてしまう。「やいやいやー」なんて歌いながら、喉が渇いているような気がして、ペットボトルの水に手が伸びる。身体を揺らしたまま、キャップをひねって水を飲もうとした、その瞬間。
「もう! よそ見してるから!!」
私を咎める母の声が聞こえるような気がした。
ハッとして、身体を揺らすのをやめる。慎重にキャップをひねる。水が喉を流れるように、幼い頃の記憶が蘇った。
あれは私が4、5歳の頃のことだった。
日曜の夜、「これから家族で食卓を囲もう」そんな時だった。専業主婦の母がキッチンで食事を作り、平日は忙しく働く父がテーブルの前でのんびり食事が並ぶのを待っていた。3つ離れた兄と私は、食卓の正面にあるテレビでアニメ『ちびまる子ちゃん』を見ていた。
当時の私は、いわゆる「いい子ちゃん」だった。
母に褒められるのが好きで、母が喜びそうな言葉を口にしては、従順に行動していた。
その日も私は一人で忙しそうにキッチンと食卓を往復している母を見かねて、「お母さん、私、お手伝いするよ」と声をかけた。母にいい子だと思われたかった。褒められたかった。ちょうど『ちびまる子ちゃん』が終わってエンディングテーマが流れていた。
「ありがとう、お味噌汁、テーブルに運んでくれる?」
母が忙しそうにしている中で、ちらっとこちらを見て笑う。
「今日も母の役に立てたのだ」と嬉しくて、気持ちが高揚した。「ありがとう」と言われて得意な気持ちになった。
片手に一つずつ、出来立ての、あたたかい味噌汁のお椀を持って食卓へ向かう。
テレビでは『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『おどるポンポコリン』が流れていて、画面には楽しそうに踊るキャラクターたちが映し出されていた。
「いい子ちゃん」の延長で、母を笑わせるのが好きだった私は「ひょうきんな子」でもあり、この曲が大好きだった。
自然とテレビに目が向いてしまう。
母の役に立てたことによる高揚感と『おどるポンポコリン』が私に与えるワクワク感で、体全体が揺れてしまう。
バシャッ
気をつけていたつもりだったのだ。幼いながらに。指が滑ったのか、何なのか。気がついたときには、無残にも、目の前の床に味噌汁が広がっていた。
「もう! よそ見してるから!!」
母の怒号が響き渡る。
ものすごいショックだった。母の作った温かい味噌汁が、私のせいで台無しになってしまった。母の手によって、床に広がった味噌汁が雑巾に吸われて、味噌汁じゃなくなっていくのを見るのが辛かった。母の愛情が、私のせいで、ゴミとして捨てられていくのだと思った。母の役に立ちたかっただけなのに。
心に抜けない何かが刺さったようだった。ぎゅうっとなってわんわん泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。
「トラウマ」ってほどではないけれど、何かにつけてこの時のことを思い出す。
母に褒められようとして失敗し、叱責されてしまった哀れな幼い私を想うと、あのときの母に対して、何よりもまず火傷の心配をして欲しかったと愚痴りたくなる。幼い子に熱々の味噌汁がかかったのだ。「大丈夫?」と声をかけ、「今度は気をつけようね」と、優しく諭して欲しかった。そうすれば、あの時の私も少しは救われただろう。
ただ一方で、当時の我が家の様子を振り返ると別の感情が湧いてくる。
父は仕事が忙しくてほとんど家にいなかった。忙しい中でも合間を縫って兄と私を連れて遊んでくれたし、旅行にも連れて行ってくれたけれど、本当にほとんど家にいなかった。まだ「働き方改革」が声高に叫ばれる前のことだ。朝早くから家を出て深夜に帰宅する父はかなり疲れていたと思う。休日も眠り込んでいる姿がよく見られた。
そんな父の代わりにほぼ全ての育児と家事は担っていたのが母だ。
忙しく働く父をなかなか頼れずに、幼い私たちを家でたった一人抱えながら、母はどれだけ苦労をしたのだろう。
あの日だって、たった一人で忙しそうに4人分の食事を作っていた。
「もう! よそ見してるから!!」と私を叱った母。優しく「大丈夫?」と声をかけられなかった母。そこから滲む母の余裕の無さ。心労。父の代わりに、つらい気持ちをありのままに打ち明けられる、母の心を軽くしてくれる相手があの時いたのだろうか。「もう疲れた、助けてほしい」と頼れる相手がいたのだろうか。
我が子につい声を荒げてしまうほど、余裕のなかった母。 あのとき、誰よりも「大丈夫?」の言葉を欲していたのは母かもしれない。もう長いこと胸がぎゅうっとなり続けているのに、一人で我慢して、わんわん泣きに泣きたかったのは母かもしれない。
そう思うと、火傷の心配をして欲しかったなんてやっぱり言えない。
母だって一人の人間で、苦労しながらも、そのときにできる一生懸命で私たちを育ててくれたのだ。
「ありがたいな」
なんだかんだ結局そう思っている。そう思っているよ。お母さん。
***
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