『英語くらい』話せてもいい、でも話せなくてもいい
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記事:日野優希菜さま(ライティング・ゼミ)
「英語くらい話せないと」
英語さえ話せたら、キャリア・アップや収入アップも夢じゃない。
英語では、自分の意見をしっかりと主張しないといけないから、英語を話せる人は自分の考えをしっかりと持っていて、自分に自信がある。
英語が話せたら、世界中の人とコミュニケーションがとれるから、視野も広がって人生が楽しくなる。
日本には『英語神話』があると思う。
これが、『宝くじ高額当選連発! 幸運のブレスレット』やら『激やせダイエットサプリ』であれば、ちゃんと胡散臭さを感じて眉根を寄せるのに。
なぜ、こと『英会話』に関しては、いとも簡単に踊らされてしまうのか。
だって、手口は同じじゃないか。
『幸運な臨時収入』が、『魅力的な外見』が、『ビジネスでの成功』が、それらによる『他人からの賞賛』が、つまり『幸福』なのだと提示し、『もっていない』人の欠乏感を煽る。『もっている』人の幸福な姿を、単純に、わかりやすく見せることで、紙面や画面の反対側の『あなた』との対比をつくるのだ。そうして『もっていない』あなたを焦らせ、「自分もそれが欲しい」と思わせる。
だから『もっていない』人としては、『聞き流すだけで英語がペラペラ』なるキャッチコピーだったり、『これさえ覚えれば安心! 必須フレーズ◯◯選』なる書籍だったり、まずはわかりやすいもの、手軽そうなものに手を伸ばしてみる。
ところが、どれだけやればゴールが見えるのか、手応えがつかめるのか、そういういった類の『答え』は教えてもらえない。だから不安になって「やっぱり、ネイティブスピーカーに教えてもらわないと」とか、「ビジネスシーンで有利にするなら、TOEIC(*世界共通の英語のテスト、10〜990点のスコアで英語力が測定される)のスコアもあげないと」とか、他の『正解』を探し始める。
「中学校の文法から勉強しなおそう」「ラジオ講座が良いらしい」「ボキャブラリーを増やさないと」……エンドレスにあふれかえる情報に振り回されて、時間もお金も精魂もつかい果たしたた挙句に、「どれをやっても、思ったような成果がでない」と嫌気がさす。
「所詮、自分には無理なんじゃないか……」
「そもそも、日本人なんだからそんなに英語必要ないし、困ってないし……」
とそっぽを向いてしまう。
そうやってできた、『英語アレルギー』や『英語コンプレックス』の人が、日本にはかなりの数いるんじゃないかと思う。
かくいう私も、『文法も単語力も発音もいらない』などという「そんなうまい話があってたまるか」というキャッチコピーで英会話を教えている。
これまで3か国へ留学をし、大学卒業後にはアメリカの大学院で学んだ。(途中で帰国してしまったが)昨年末受けたTOEICのスコアは950点、TOEIC受験者の上位1%に入った。
今では、会話に冗談を織りまぜたり、自分や相手の意見を深ぼりして、ちょっと熱めの議論を交わすこともできるし、そうやってこれまで出会ってきた友人の国籍は50を超えた。
英会話、という観点では『もっている人』になるのかもしれない。
そんな私から残念なお知らせが3つある。
まずひとつめの残念なお知らせは、英語にゴールなんてないということだ。
語学なので、終わりなんてあるはずがない。だからやみくもに頑張っても『達成感』はつかめないし、行けども行けども終わりは見えない。
ふたつめのお知らせは、いくら一生懸命文法をおさらいしても、単語を覚えても、ましてや”L”と”R”の発音の違いを特訓しても、英語は話せるようにならないということ。
文法もボキャブラリーも発音も、『あるに超したことはない』が、本当に大切な英語力のカギは別のところにある。(ちなみにそのカギは『リスニング力』でもない)
そして極めつけに残念なお知らせは、英語が話せると仕事の幅が広がるのも、コミュニケーションの質が上がるのも、色々な人と出会えて視野が広がるのも、全て本当だということだ。残念ながら、英語が話せると格段にチャンスが広がるし、人生が豊かになる。
でも、安心して欲しい。良いお知らせもちゃんとある。
大切なのは見方を変えること。
つまり、裏をかえせば『残念なお知らせ』は『良いお知らせ』でもある。
■英語にゴールはない、だったら自分でつくってしまえば良い
語学に明確なゴールはない。
日本語でも同じだと思うが、日本語ネイティブの私達も100%完璧で正解の日本語が使えるわけではない。明確なゴールがない、ということは、目的に応じて《自分で》勝手にゴールを設定してしまって良い、ということでもある。英語をつかってやりたい事、たどり着きたい場所、出会いたい人、欲しいもの、全部自分で決めてしまって良いのだ。
もし、あなたがすでに英語がペラペラだったとしたら……
どんな人と、どんな場面で、どんなこと関係をきずきたいだろうか?
どんな情報を得て、それをどう活かしたいだろうか?
そんな楽しい『妄想』から始めれば良い。
その理想の自分ー英語をつかっていきいきと輝いている自分は、どんなことを話しているだろうか? それを《自分のゴール》にすれば良いのだ。
■本当に大切なのは文法でも単語力でも発音でもない、だから苦しいだけの勉強なんてしなくていい
英語に文法も、単語力も、発音も要らない。
文法なんて、効率的に意志を伝えるための共通の『お約束』に過ぎない。
過去形がわからなければ”yesterday”とか“last month”と、フォローの情報を加えれば良いし、”can you〜?”を”could you〜?”に変えて、丁寧さや心づかいを伝えるよりも、満面の笑顔や視線を合わせて”please!”と言った方が好意的に受けとってもらえる場面も多いだろう。文法は、絶対に守らなければいけないルールではない。
単語も新しく覚える必要なんかない。
海外からの文化をカタカナ語にして、丸ごと柔軟に受けいれてきた日本人の中には、すでに充分なボキャブラリーがある。部屋を見渡して欲しい、『コンピューター』に『デスク』『チェアー』『オフィス』身近なものはだいたい英語で言えてしまう。部屋の中、街角の看板広告、店頭に並ぶ商品のネーミングやキャッチコピー……普段の生活の中に隠れている『横文字』に少し意識を向けてみれば、思ったよりずっとたくさんのボキャブラリーが自分の中にあるのに気づくはずだ。
“L”と”R”の発音を必死に練習しても、あなたの英語での会話力はさほど変わらない。
会話や文章、コミュニケーションには《文脈》がある。『箸(はし)』と『橋(はし)』は音は同じだけれど、会話の中で同時に登場することはそうそうない。どちらかの『はし』かは会話の流れでたいてい理解できる。
同じように、”sit(座る)” と“shit(排泄物)”も、 “rice(米)”と“lice(シラミ)”も、発音を間違えてしまっても、おそらく意図は伝わる。相手を無視して一方的に話したりせず、言葉がつたなくても一生懸命伝えようとしている姿勢が伝われば、だいたい笑われずに、理解してもらえるものだ。
■英語があれば人生が豊かになる、でも英語がない人生でも豊かにするのは自分次第だ
私が英語の世界と出会ったのは、中学2年生の春休みだった。
イギリスへの2週間の短期留学、それが初めての海外旅行だった。新聞の片すみに募集広告を見つけた母から「お母さんは行けなかったから、かわりに憧れの国を見てきて」と勧められ、「じゃぁ、行ってみようかな」と参加を決めた。
……のは、建前。本音は、思春期真っ只中で、家族や自分自身との折り合いが良くなく、居心地の悪さや息苦しさを感じていたところで(たった2週間でも、家から離れられるなら)と、母の提案にのったのだった。
初めての外国は、レンガ造りの家が並ぶ街並みに、道行く人たちの肌や髪、服の色
土産物屋にならぶキーホルダーでさえも、日本とは違う、新鮮ないろどりをしていた。
あたり前だが聞こえてくる言葉が日本語ではないのにも、ホストファミリーにもたせてもらう、ポテトチップスとチョコレートバーのランチにも異国情緒をかみしめ、ストーンヘンジやビッグベンといった『教科書でしか見たことのないやつ』を見ては、自分が今いるのは、これまで自分がいたのとは違う場所なのだと実感した。
「一歩外に出れば、自分の知らない世界が広がっている!」
「世界には、自分の知らないことがたくさんある。」
「……だったら、私の居場所も、どこかに見つけられるかもしれない。」
英語は私にとって、しんどい現実から一時、外の世界へと連れ出してくれる、現実逃避の道具だった。しんどい現実や、コンプレックスまみれの自分をみたくなくて、英語が見せてくれる世界にすがりついた。
でも、そうやってたくさんの人と出会い、親切にしてもらったり、知らない価値観を教えてもらったりする中で、一番変わったのは『自分自身』だった。
鬱屈としたコンプレックスが、未知の世界への好奇心に、その好奇心が、新しいチャレンジへの原動力となり、そんなチャレンジの積み重ねがまた新しいチャンスを運んできてくれた。
『もっていなかった』私が、英語を通して『もっている』私に変わったのではない。
英語が連れてくる、目まぐるしい世界が、『もっていない』私自身から視線を外させてくれただけだった。
それを『もっている』だとか『もっていない』だとか、そんなのは他人の物差しであって、たまたま、近くにあっただけ、わかりやすかっただけ、当たり前の顔をしていただけで、それが自分にとっても『正解』だと思わされていただけだったと、気づいた。
別にどんな物差しを自分に与えても良い。答えは《自分で》決めて良い。
だから、『英語くらい』話せても良いし、話せなくても良い。
でももしあなたが、今いる場所を息苦しく感じているなら、もしかしたらそれは、無意識にもっている『物差し』があなたにとっては『正解』ではないのかもしれない。
たくさんの誰かの『物差し』を見て、たくさんの誰かの『正解』を知って、たくさんの『違う』や『同じ』を集めてみたら、もしかしたらその中に自分の物差しも見つかるかもしれない。
もしかしたら、英語はあなたにあなた自身の『答え』と出会わせてくれるかもしれない。
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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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