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「下戸」と「アルコホリック」のハイブリッドに生まれて。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(ライティング・ゼミ)

私はお父ちゃんが嫌いだった。
物心ついた頃にはすでに嫌いだった。

理由はありふれたものである。お父ちゃんはアル中だった。毎日酒を飲んで正体を無くし、お母ちゃんと喧嘩したり子供に難癖をつけるお父ちゃんが嫌だった。

一番最初にはっきり嫌だと思ったのは幼稚園の頃。
お父ちゃんが車で迎えに来てくれたのだが、酔っていてハンドル操作を誤り、下りの坂道で電柱に激突してしまったのだ。運転席に居たお父ちゃんは無傷だったが、一緒に乗っていたばあちゃんは眉間を強打して気を失った。

「ばぁちゃん! ばぁちゃん!」

ばあちゃんは程なく意識を取り戻したが、私を見て「ひっ!」と短い悲鳴をあげた。私の顔からドクドクと血が流れ、来ていたブラウスが赤く染まっていたからだ。びっくりしすぎて全く痛くなかったが、切れた瞼からの出血はなかなか止まらなかった。

そんな私を見てお父ちゃんは「お前たちが騒ぐから気が散って……」と幼稚園児にだって通用しない言い訳をした。ばあちゃんは泣きの入った叱責を息子に浴びせていた。この後お父ちゃんは、お母ちゃんからこの三倍位の怒声を浴びせかけられる事になる。

大昔の事とはいえ、飲酒運転の上での交通事故は免停になる。ど田舎で免許が無いという事は、生活出来ないも同然だ。だから警察には届けなかった。顔を腫れ上がらせた私は幼稚園を休み、ばあちゃんは二日ほど寝込んだ。

怪我をした理由を誰にも言わないように口止めされた。対外的には納屋の階段から落ちた事にされ、まるで私の不注意みたいで嫌だったが、この時はまだ、お父ちゃんが警察に連れて行かれては困ると思っていた。

この時、お父ちゃんは私に一言も謝らなかった。それどころか、私が眼帯を取り替える時に痛がると「そんな大げさな」と言った。幼心に「誰がどの口で何て言った!?」と思った。これが、お父ちゃんと酒の最初の記憶だ。

この後もお父ちゃんの飲酒は止まなかった。
私が小学生の頃はまだ、お母ちゃんも応戦していて焼酎に水を入れて薄めてしまったり、糖尿病を発症したお父ちゃんのみそ汁に、主治医からこっそり処方してもらったシアナマイド(嫌酒薬)を入れたりしていた。

薄めた焼酎は、数日経つと酸っぱくなってバレた。
シアナマイド剤はアルコール分解を阻害する薬で、体内にアセトアルデヒドが溜まりひどく悪酔いするのでバレた。お父ちゃんは「嫁に毒をもられている」と友人に話したそうだ。子供心に「そりゃバレるよね」と思った。

お父ちゃんはアル中ではあったが、酒乱ではなかった。暴力を振るったり、暴言を吐いたりする事は殆ど無かった。しかし酔うと子供らを座らせ、粘着質な説教をした。これが大嫌いだった。中学生の頃には「ろくに働いてもいないくせに、世の中について語るなよ、みっともない」と思っていた。

本当に、酒呑みなんか最低だと思っていた。

親元を離れた時には嬉しかった。
お母ちゃんと離れるのも地元の友達と会えなくなるのも寂しかったが、お父ちゃんと違う家で暮らせることが嬉しかった。

新生活にも慣れ、新しくできた友人の部屋に遊びに行った。お菓子を食べながらくつろいでると、その友人はこう訊いて来た。

「誰、読む?」

は? 何の事? 聞き返すと、どの作家の本を読むのか、という質問だった。私は読書の習慣が全く無かった。高校時代に読んだのは、読書感想文の宿題のために買った数冊だったと思う。そう言うと、彼女は本棚から何冊かの本を引っ張り出してこう言った「これ好きだと思うよ」

貸してくれたのは野田秀樹と中島らもだった。どちらもエッセイだった。本を読まないという私に、読みやすそうな物をセレクトしてくれたのだと思う。

どちらも面白かった。特に中島らもは、他の本も貸してもらったり自分で購入したりして読むようになった。

最初は私も気づいていなかったが、アル中の作家の大ファンになっていたのだ。らもさん本人がアルコール依存なことを知っても、お父ちゃんの事とは結びつかなかった。酒呑みなんて最低だと思っていたはずなのに、素面でいられないらもさんが愛しかった。

フィクションの体で語られる、生き辛いがゆえに酩酊に逃げてしまう世界を直視できない弱い人間。そんな人間像に、素直に共感することが出来た。

だからと言って、お父ちゃんの事が嫌いじゃなくなったりはしなかった。試験期間中に、お父ちゃんがまた緊急入院したと実家に呼び戻されても、再試申し込みが面倒なことしか頭に無かった。

この頃は連続飲酒が始まっていて、お父ちゃんは家族から半ば見放されていた。肝臓ガンは寛解していたが、実際酒が呑める体では無かったはずだ。なのにお母ちゃんの目を盗んで酒を飲んでいた。言っても聞かないし、お母ちゃんも働かなくてはならないので始終見張っていられはしない。そして大量に吐血して救急車で運ばれた。

病院に着いた私は、ほとんど義務のような気持ちで病室を見舞った。するとそこには、体重38キロになったお父ちゃんが横になっていた。私の顔を認めると、かすれた声でこう言った。

「元気やったや?」
「あぁ、うん」
「……すまんね」

そこまでになっているとは思わなかった。
もう腎機能も低下していて透析を受けているという。リウマチも併発して足指が異常に腫れ上がっている。元々喘息もあるため、呼吸するたびにヒュー、ヒューと気管が鳴る。鼻には酸素チューブ、鎖骨あたりには点滴の針が固定されていた。

病室を出ると、自分が思いの外ショックを受けている事に気付いた。お父ちゃんがしてきた事の当然の結果が目の前にあっただけなのに。それでも私はまだ「私はお父ちゃんが嫌いだから別に平気」と思っていた。思おうとしていた。

そしてもう一つ気付いた。お父ちゃんが私に「謝った」のだ。瞼を切った時にも謝らなかったのに。その傷跡は今でもうっすら残っていて、鏡を見るたび腹立たしかったものだ。でも、お父ちゃんが謝るのは、これが最初で最後だった。

この後、お父ちゃんが酒を呑むことは二度と無かった。
一度も退院できなかったのだ。

田舎の家は、通夜も葬儀も自宅で行う。私も妹も来客対応に忙しかったが、二年前に祖母が亡くなった時に経験値を積んだ為、私たち姉妹は異常に手際が良かった。むしろノリノリだった。てきぱきと来客をさばく私たちを、親戚のおばちゃんはかえって不憫な目で見ていた。

心の準備は出来ていたし、やっぱり悲しくもなかった。妹は途中少し泣いたが、お茶を運ぶ手を休めることは無かった。姉から見ても偉いと思った。このままこのイベントを乗り切れると思った。

葬儀社の人が「喪主の方は?」と尋ねてきた。料理の事で確認があるという。さすがに私では答えられないので、父の枕元に座っているお母ちゃんを呼びに行った。

眩しい位に蝋燭が灯った祭壇は幻想的で綺麗だった。その前にお父ちゃんは寝かされていた。枕元に座っているお母ちゃんを見て、私はびっくりして話しかける事ができなかった。

お母ちゃんは、泣いていたのだ。

今思えば当たり前だ。お母ちゃんは旦那さんを亡くしたのだ。その通夜なのだ。うちの家庭は家族としての形をなしてないと思っていた。お母ちゃんも私と同様にお父ちゃんの事が嫌いなのだと決めつけていた。そんな訳がない。お父ちゃんが何度か立ち直りかけた時、お母ちゃんは嬉しそうだったのを覚えている。お母ちゃんは今でもお父ちゃんの奥さんなのだ。なのに、私はそんなことも分かっていなかった。お母ちゃんは私に気づいたが、目をそらし中空に向かってこう言った。

「とうとう……ダメやったねぇ」

私だって本当は気付き始めていた。
お父ちゃんは弱い人間で酒に逃げた。しかしそれをもっと追い込んだのは私を含む他の家族ではなかったのか。お母ちゃんが悪いとは思わないが、他にもっと出来る事はあったのかも知れない。

でも私は通夜葬儀の間、一切泣かなかった。泣いてやるもんかと思っていた。死んだからって何もチャラにはしてやらないと意地になっていた。

依存症は、それ自体が病気だ。
アル中からくる他の疾病を治療して良くなったとしても、根本的な解決にはならない。依存症が心の問題なのは分かっているが、だからと言ってどうしてあげたら良かったのか、今でも分からない。

中島らもさんは、お父ちゃんよりずっと後に亡くなった。
らもさんの「今夜、すべてのバーで」を読むたびに、お父ちゃんの心持ちが分かるような気がした。でもそれはお父ちゃんを許したわけじゃなく、私自身がアル中に近くなって行っているからかも知れない。

私は毎日必ず酒を呑む。休肝日なしだ。
酩酊で世界に紗幕をかけて嫌な事をやり過ごそうとする。

悲しいかな、私はお父ちゃんのDNAをしっかり受け継いでいるのだ。でも大丈夫。私が本当のアル中になる事はない。お父ちゃんが酒を飲むようになった経緯は知らないが、おそらく何らかの欠乏を埋めるためだったのだと思う。だとするならば、私はアルコール以外に自分の欠乏を埋める手段を身につけている。

それは、何かを「創る」事。
何かを書いて表すことだったり、衣装やギミックを作ることだったり、ヘアメイクをする事だったり舞台を作ることだったりする。

これらは時々、逆に欠乏を生むことさえある難しいもの達でもあるが、不思議とこの欠乏は内側から自然と自分が満ちてきて、元の形、いやそれ以上になれる事もある。だから、大丈夫。

今現在、立派な酒呑みに育った私は、お父ちゃんのことが嫌いではなくなった。もしかしたら、私もお父ちゃんのようになるかも知れないという不安が無くなったからかも知れない。

実は、お父ちゃんのようにならないと思う根拠は「創る」事以外に、もう一つある。私は「下戸」のお母ちゃんのDNAも受け継いでいるため、依存症になる程大量には酒が飲めない。

そう、私は下戸とアルコホリックのハイブリッドなのだ。

お父ちゃんは本当に良い配偶者を選んでくれたものだと、つくづく思う。

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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-11-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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