プロフェッショナル・ゼミ

肩書きという鎧の下に《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:紗那(プロフェッショナル・ゼミ)

満員電車という怪物の口が開き、吐き出されるようにホームに人がどっと溢れる。

オフィス街の朝は早い。

オーダーメイドの良質なスーツを着こなしたサラリーマンの冷たい背中を追いかけながら、その群衆に置いていかれないように歩く。後から後から追いかけてくる革靴の足音に怯え、少しでも歩を緩めたら、たった一人ぽつんと取り残されてしまうのではないかと不安になる。私はいつものようにその群衆の一点となり、7センチのヒールを履いた足でバランスを取り、必死にホームを歩く。

有名企業という黄金の鎧を剥がしてしまえば、空っぽな人の群れの中で働いて15年が経った。特別仕事が好きな訳ではないけれど、女性の活躍率という聞こえのいい言葉に踊らされ、気づいたら私は課長手前まで昇格していた。だけど、影で気の強い独身アラフォー女と囁かれていることを知っている。

こんなはずじゃなかった。

仕事なんて結婚したら、すぐにでも辞めてやるはずだったし、キャリアなんて求めている訳ではなかった。だけど、いつからか風向きが変わった。結婚のタイミングなんてあせらなくてもやってくるはずだったのに、いくつかの失恋をしてから、恋愛をするのも面倒くさくなった。結婚というカードは、誰にでも平等に与えられるものではないのだ。気の強い女になったのは、そうしなければこの世界で生き残れなかったから。だれかに、ぺしゃんこに潰されてしまうくらいなら、強くなるしか生きていく道はない。

だけど、いくら気が強くなっても、自分の進むべき道が本当にここでいいのかは、わからずにいつも彷徨っている。この道を歩き続けていいのか毎日自問自答している。必死に働いて強くなることで、社会性という鉄の鎧を身に付け自分の存在意義を確かめているが、それにいったい何の意味があるのかもわからない。もういい歳なのに、そんなふうに正解を探し、彷徨い続けている自分が嫌いだ。

だから、仕事に向かう朝の気分はいつも憂鬱だった。
そして自分と大して変わらない気持ちであろうこの群衆の人々も私は嫌いだ。

ふと、テンポよく前を歩く群衆の中で、唯一リズムを乱す者を見つけた。かっちりした高そうなストライプのスーツを着たその男は、少し前かがみで、なぜか明らかに他の人より歩くスピードが遅い。周囲を歩く者たちが、チラチラとその男の方に視線を送っている。気になってその視線を追いかけると、視線は男に向けられているものではなく、男の手で押されたベビーカーに向けられているものだと気づいた。

子供だ。

この東京のオフィス街のド真ん中に、子供がいた。
男は小さな女の子が乗ったベビーカーを押していた。明らかに異様な光景に視線が離せなくなる。そういえば、この辺に保育園ができたという話をいつかのランチタイムに後輩の花岡から聞いたことがあった。

「先輩、丸の内にも保育園ってあるらしいですよ! 知ってました?」
「へぇ、そうなんだ。知らなかった。だけど、こっちで預けるってことは、子供と一緒に通勤するってこと?」
「きっとそうなんでしょうね。子供連れて満員電車は絶対、肩身が狭いですよね」
「確かに、子供が泣いたりしたら、満員電車で白い眼で見られそうだしね」
「でも地元の保育園に預けているとお見送りとお迎えが本当に大変なんで、会社に近い方が確かにいいんですよね」
「じゃあ、保育園そこに異動できたらいいんじゃない?」
「いやいや、会社の人に子供連れて歩いているところなんて見られたくないから、私はここでは預けませんね!」
後輩の花岡は産休明けでも、以前と変わらずバリバリ働いている働くママだ。後輩とはいえ、その働きぶりと仕事への情熱は感心するくらいだ。もし私に子供がいたら、確実にこの仕事は辞めていると思う。
「子供といるところ、見られたくないものなの?」
「そりゃあ、嫌ですよ。子供といるときの私なんて、髪振り乱して、子供のこと怒鳴り散らして必死の形相ですし。会社で演じるガツガツ働く女の顔とは、全然違う余裕のない顔をしていますから! ママはまだまだ初心者ですし!」
そういうものなのか。ママになっても身なりに気をつけ、きちんとヒールを履き、仕事も抜かりなくこなす花岡でも、会社の外に出れば、ただの未熟なママってことか。子供を持たない私はそんな風に話す花岡を、ほんの少しだけ羨ましく思っていた。

そんなふうに、その話を聞いた時は、保育園なんて独身の私には関係ないと軽く聞き流していた。けれど、こうして実際に丸の内の真ん中でベビーカーを押す男を見ると妙に気になって、後ろからその男の姿をこっそり観察することにした。
そもそも、なぜ、母親ではなく父親の方がお見送りをしているのだろうか。通常子供の送り迎えというのは、母親の方がするものではないか。母親が風邪でもひいているのだろうか、それとも鬼嫁で、尻に敷かれ、任されている任務なのだろうか。いや、もしかしたら、昨晩夫婦喧嘩でもして、母親が一時的に家出でもしているのかもしれない。だから、慣れないことを請け負って戸惑っているというのも納得できる。
そうやって私が色々な妄想を繰り広げている間にも男は、人の多い駅のホームを不器用に突き進んでいく。通勤ラッシュの人混みで溢れる狭いホームを、ベビーカーを押して歩くというのは、そう簡単なことではない。通り過ぎる度にチラチラと浴びせられる好奇な視線も、より男を焦らす原因になっているだろう。何より、男はベビーカーを押すことに慣れていないという様子で、後ろ姿を眺めているだけで、困ったような表情をしているであろうことを感じ取ることができた。

「イヤッ、イヤ」
突然、その男のベビーカーの女の子が泣き出した。周囲の冷たい視線が一斉に男の元に集まる。朝から、子供の泣き声なんてやめてくれよという、群衆の声にならない冷たくて厳しい視線が突き刺さる。おろおろと男はベビーカーを止め、しゃがんで女の子に何か話しかけている。その時、初めて男の横顔が見え、私は思わず声をあげてしまいそうになった。

切れ長の瞳、吊り上がった眉毛、少しがっしりした顎、太い首、見覚えのある大嫌いな顔だった。

まぎれもなく、あれは課長の姿だった。

「加奈、ほらほら泣かない! いい子だから我慢してくれ!」
課長は慌てて取り出した小さな子供騙しのオモチャを女の子に渡す。
「イヤイヤ、かな、パパとずっといっしょいるー!」
女の子は受け取ったオモチャをブンブン振り回して全身で拒絶を表している。
より一層、女の子の泣き声が大きくなり、ホームの中で女の子の存在感が増していく。その子は父親と離れるのを嫌がっているようだった。この後、保育園に預けられ、離れ離れになることを十分に知っているのだろう。私は見つからないような距離感を保ちながら課長と子供のやり取りをこっそり観察する。課長は女の子の頭を優しく撫でると、ベビーカーにゆっくりと顔を近づけ、とびきり大切な宝物を扱うような優しい笑顔を向けた。

胸の奥に何かが刺さった気がした。
少しだけ、鼓動が早くなる。

それは、私が課長と働く三年間の中で一度たりとも見たことのない顔だった。
私が知っている課長は出世と名誉と、自分の利益にしか興味がなく、女を小馬鹿にするふんぞり返った嫌なヤツでしかないからだ。こんな風に誰かに優しく笑いかけるはずなんてない人物だった。いや、そういうヤツだと私が思い込んでいただけだろうか。

昨日だって、あの憎らしき男に私が企画した渾身の企画書をボツにされたばかりだった。作成した企画書を手にするなり、私を呼びつけ、嫌らしい含み笑いを浮かべながら、周囲に聞こえるようにわざと大きな声で企画書のダメ出しをされたのだ。
課長は、立ち回りが上手く、若くしての大出世だった。だけど、どうやら、同年代で次期課長候補の私のことをあまり良くは思っていないらしく、年齢なんて、私と大差ないのに、いつもとても偉そうなツラで話す。だから私は、その天狗のように高く伸びた鼻をぽきっとへし折ってやりたいという気持ちをいつも抱えていた。
「きっと、課長は先輩のことが恐いんですよ。仕事もできるし、次の課長候補だし、脅威に感じているんでしょうね」
後輩の花岡は課長と対立する私を見る度によくそう言って慰めてきた。
「男の人は出世が命ですから、私達女にその栄光を取られるのが、死ぬほど恐いんでしょうね」
きっと、そうなのだろう。私は課長に嫌われていることを認識していたし、その理由が、私が女であり、キャリアを築いているからであろうということも薄々気づいていた。だけど、どんな理由であれ、理不尽な彼の態度を許すことはできない。

そのプライドだらけの大嫌いな男が私の目の前で、小さな女の子に向けて無邪気に優しく笑っている。少し泣き止んだ女の子に安心し、課長はまたホームを歩き出した。ホームから改札までの階段に差し掛かると、彼はひょいと軽々しくベビーカーを持ち上げ、ずんずん人混みの中を昇っていく。そのがっしりした後ろ姿は、完璧にただのいい父親の背中だった。会議でつっかかるように文句を言い、あざけるように私を見る憎き男と同じ人物とは到底思えなかった。

私はなんだかもう少し父親の顔をした課長の姿を見ていたくて、そのまま後ろ姿を追いかけた。

改札で、ICカードをかざし、外に出ようとするとベビーカーのサイズが大きいせいなのかか、もしくは扱いが不慣れのせいなのか、出口で見事に引っ掛かってしまった。
しまったという顔をして、課長はまたオロオロしている。必死にベビーカーの車輪を調整しようとするがなかなか上手くいかない。その後ろでは、次から次へと人の列ができてしまい、早く改札を通過したくてウズウズしているサラリーマンが課長に聞こえるように大きく舌打ちをした。
「すみません」
あのプライドの塊だと思っていた男がオロオロしながら、謝っていた。
なぜだかわからないけれど、ザワザワと胸が音を立てている気がした。大嫌いな課長が困っているのだから、大いにあざけってやればいいのだろうけれど、できればこんな姿見なければよかったと思っている自分に気づいた。

憎むべき男が、課長という肩書きを剥ぎ取ったら、ただの優しいイクメンだと知ってしまった。そんなもの知らない方が良かった気がした。そうであれば、あの理不尽な物の言い方にも、偉そうな歩き方にも嫌悪感以外の感情を何も感じることはなかっただろうに。

最初は、今日見たこの話を、女たちのランチタイムのネタにしようかとも思った。きっと、気の強い奥さんに送り迎えをやらされているのだろうと笑い、大人の私達には偉そうにしているくせに小さな女の子に翻弄されてオロオロするダサイ姿を見たと噂話してやろうかと思っていた。そもそも課長という立場のくせにベビーカーで通勤するなんてダサすぎるとあざけって、みんなで笑ってやることもできると思う。

だけど、全部やめた。
私はきっと今日見たこの光景のことを一生誰にも言わない。

課長という肩書きの鎧の下の人間味溢れる姿は、胸にそっとしまっておこうと決めた。

私がそう決めた時、ようやく、ベビーカーが改札を上手くすり抜けた。
私の元からは見えないがベビーカーの中で女の子はきっと泣き止んで、父である課長をじっと見つめているだろう。
私はしばらく立ちすくんでしまった。

そして、ぼんやりしていたら、いつの間にか改札の先に進む二人を見失っていた。

私は群衆の中を会社に向かってもう一度歩き出す。

あぁ、しばらくはあの憎き課長の嫌味に目をつぶってやってもいいかなと思った。
あいつのプライドの下にどんなものが隠れているのか知っているのは私だけだろうから。

相変わらず目の前には、さっきと同じように無機質で冷たいスーツ姿の背中がたくさん並んでいる。
このひとりひとりの、肩書や社会性という鎧をペロリとはがしたその下に、いったいどんな姿があるのだろうか。
知りたいかもしれない。
私は、ほんのちょっとだけ妄想をして好奇心が湧いてしまった。

カツカツカツカツカツ
7センチのヒールが私を笑うかのように、小気味いい音を立てている。
さっきより足取りが軽いことに気づいた。

※この物語の内容は全てフィクションです。

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