プロフェッショナル・ゼミ

「積ん読」から「クリスマスの約束」まで-想いや祈りが未来を作る可能性について《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

この数日、ツイッターを眺めていて「積ん読」という言葉が浮かんでくるのが気になっている。何か事件でもあったのかしら。

検索して見ると、先週の東京新聞の「筆洗」、中日新聞の「中日春秋」として掲載されたコラムがきっかけらしい*。

コラムは若松英輔氏の著書「言葉の贈り物」の中から、若松氏が語る目の悪くなった父上のエピソードを紹介する。父上は目を病んでも本を買い続ける。本は読まれず自ずと積ん読が増える。読めないのになぜに、と嘆く若松氏は同僚との対話をきっかけに

「私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている」**

という考えに辿りつく。

あぁ、これは本当にそうだな。ツイッターで多くの人が共感を表しているのもわかる。

私も、時間的制約や、能力不足から「読めないよ」とわかりつつ、本を買ってしまうことが非常に多い。普通その予感はあたって、本は積ん読状態になる。これがまた物理的な場所をとる。

天井までの高さのある本棚の各棚は既に2重、3重に本が並んでいて、ここに入れてしまうと二度と出てこないのはほぼ確実なので、本棚ならぬ「その辺」に置いておくと生活のための床面積が著しく狭まる。

思い余って積ん読本の仮置き場として、私の背丈よりちょっと低いくらいのブックタワーと呼ばれる本置き棚を二本調達したが、既に私の積ん読本の数は、その収容能力を超えていて、依然机上や床を占領している。ブックタワーだとあと10本くらい必要になりそうで、我が家は東京湾岸のタワーマンション群のレプリカみたいになってしまう。処置なしである。

この一見手に負えない積ん読。ツイッター上では、単に怠惰の言い訳にすぎず、恥を知るべきであるという研究者の厳しい意見も流れていた。

確かに研究者の世界だと、そうなるかもしれないのだけれども、若松氏が指摘するように本人と積ん読本との間には確かにある種の情報の交流が起きる。傍にいるのに、何らかの理由で、読みにいけない、もはや憧れの塊と化している積ん読本たち。

読まない本は、いつまでもダラダラ続き完了できない仕事のように、常に常に私の意識を奪い、ひょっとして集中を妨げたり、心の空間を狭くしたりしている可能性もある。
「いつか読もう」と思っている、その「いつか」は永遠に来ないかもしれない。英語にもSomeday never comes. 文字通り、いつかなんて日は決して来ないんだよという表現がある。

しかし、コト、積ん読本については、「いつか」が来るのだ。思いもかけない形で、長い時間をかけて。

大学で初めて民法の債権法を学んだときのこと。私は本当に法律に興味がなかったので、サイケンホウというのは、高校の世界史で出てきた南北戦争の後の「南部再建法」のことだと本気で思っていた。そのくらい見識に欠けていたのである。

教科書を見ると、何のことはない日本の法律ではないか。ところが、471頁あるこの本を25頁まで読み進めたところで壁にぶちあたった。法律というのは答がひとつではなくて、たかが二行くらいの条文について、百家争鳴の議論があるらしい。青息吐息で25頁目まで読み進んだとき、その中でもとてもややこしく難しいことをいう説がある、という説明に出会い、私の能力と忍耐とは尽きた。

無理だ、法学部には入ったけれども、一行、二行の言葉を、わざわざこんなに難しく考える人がいる世界にはいられない。
私は債権法の教科書を閉じ、本棚にしまった。積ん読というより二度と会うか、という気持ちである。これ以降、法学部でありながら私は一切の法律に対する関心を失った。

ところがそれから20年近くが経ってから、紆余曲折を経て、私は社会人大学院で法律学を学びなおすことになった。入学式を終えた初日、指導教官一覧表を見て驚愕した。私の指導教官は、私を挫折させた難しいことをいうあの研究者、その人だったのである。この人はT大にいるはずではなかったのか。よくよく聞いてみるとその直前に従来の職場での定年を迎え、その4月から社会人を対象とするこの大学院で教えるのだという。
こうして20年の時を経て、私はカビ臭くなったあの教科書を再び開いた。
もちろん、この間、あれこれの事情で法律学の勉強は続けてきたので、それなり理解も進んでいたのだろうが、あの25頁目も簡単に突破した。

こうして、私は一冊の積ん読を20年かけて解消した。しかし、私により大きな衝撃を与えたのは、若い時の私が法律学を捨てる理由となった他ならぬ本人に20年後にリアルに出遭った事実だ。
一旦は閉じて、積ん読-というより放棄-した本の25頁の記述と私の心は20年にわたりずっと対話をしていたのだ。

「分かんないから、一旦閉じるけど、ほんとは、ここ、分かりたいんだよ!」と。

この「分かりたいんだよ!」の想いが、私の心の深いところを旅して、距離的にも時間的にも、私の学力と双方の社会的立場を考えても、はるか遠くにいたこの研究者との縁を引っ張ってきた、と考えると-もちろん、この発想は完全に怪しくて、アレなのだが-辻褄は合う。

先の若松氏の言葉に照らすならば、私はこの研究者に「会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待って」リアルに出会ったのだ。

そして、想いが縁をひっぱってくるということは、スピリチュアルとか、何だとか言わなくても、日常で結構起きているのではないか、とも思う。私は、知人、友人からはスピ系と目されている節もあるが、科学で説明できることは、科学の用語で説明しきるべきだと思っていて、決してそちらの人ではない。この「ご縁」は科学では説明できないから、科学の枠組みで理解を求めようとは思わないけれども、私にとっては極めてリアルだ、というだけのことだ。

毎年、この時期に放映される音楽番組にTBS系の「クリスマスの約束」がある。69歳になる小田和正が中心となって企画し、若手を含む多くのアーティストが共演する年末定番の音楽プログラム。

ところが、2001年の初回は、自らのバックバンドと共に小田のみがステージ上で歌い続けていた。番組の企画段階で彼は10人ほどのアーティストに直筆で手紙を書き「あなたの作った楽曲をこの番組で一緒に歌ってもらえないだろうか」と打診するものの、彼の想いに応えるアーティストは一人としていなかったのだ。番組はこの「失敗」の過程をそのまま映し出した。
小田は冒頭で観客に向かっておどけて語る。

「始めに言っちゃいましょう。今日、誰も来ません!」

手紙のあて先のひとりに宇多田ヒカルがいた。もちろん彼女も来ない。小田は、宇多田サイドからの辞退の手紙を読み上げ、自分で彼女のメガヒット「Automatic」を丁寧に歌い上げた。

15年経った今年の「クリスマスの約束」には宇多田が参加し、小田とともに「Automatic」や「花束を君に」を歌う。

宇多田ヒカルという人の人生を考えると、小田の想いが深いところを旅して、やっと縁をみつけて彼女を「約束」に結び付けた、15年経って「ふさわしい時機の到来」を迎えたと見ることも可能ではあるまいか。

音楽に出会って生まれたあこがれで未来が作り上げられた経験は私にもある。

私が高校生のとき、Simon & Garfunkelというフォーク・デュオのAmericaという楽曲に出会った。

若い男女が、バスに乗ってアメリカを探しに行く、というロマンチックだが、寂寥感をも感じさせる歌。

この楽曲に出会って、いつかアメリカというところに行ってみたい、と思った。私にとってアメリカはS & GのAmericaだった。

地方都市の高校生だった私は、おそらくその街で仕事を見つけ、親と同居しながら生涯を終えるのだろうとぼんやり考えていた。1970年代の地方都市には、アメリカはおろか、海外的なるものはとても希少だった。当時の私に最も身近だったアメリカは、彼の地へ留学した高校の先輩が一人だけいたことくらいだっただろう。彼はある種のスター扱いだったことを覚えている。街で出会う「ガイコクジン」はまず間違いなく大学か英会話学校の教師だった。あの時代、あの場所にいた私にとって、アメリカはとてもとても遠い存在だった。
何より致命的だったのは、英語ができなかったことだ。なまじ小学校がミッションスクールで早期の英語教育など受けてしまったもので、中学校からの英語を完全にナメてかかり、真面目に勉強した同級生にたちまち抜かれ、その状態は高校になっても続き、高校3年の夏の実力試験に至ってさえ英語では100点中、56点などという噴飯もの且つ落涙ものの点数をとっていた。

学校の成績や英語に対する苦手意識はともかく、私は、Americaの歌詞を理解したいという片想いに近い気持ちだけは持ち続けていた。少しずつ、砂をかむような単語の暗記、英文法の学習を経て、気づくと彼のデュオグループの楽曲の殆どを生み出したPaul Simonの難解とも言われる歌詞をいくらか理解できるまでのところには来ていた。
その頃には英語という言語じたいに興味がわき-法律はとっくに捨てていたので-地方都市の大学を終える頃には、英語で仕事ができる職場を探すようになっていた。

結果的に私は、英語の成績を買われて東京の外資系企業に就職し、アメリカ人の上司にも仕えた。入社2年目にニューヨーク郊外で開かれる研修に出るため初めての海外としてアメリカの地を踏んだ。成田からJFKまでの機内で、私は頭の中で、時に小さく呟いてAmericaを歌い続けていた。

「みんな、アメリカを探しにやってきた」と。

この歌詞が私にアメリカの地を踏ませてくれた。

祈り、願い、想い。

子どもの頃は、自力の及ばない世界があることの不安を感じると何かに祈った。家にあった布袋様に向かって「どうか我が家にだけは不幸が来ませんように」と祈った。小学校で習ったキリスト教の神にもお願いをした。近くの神社にも祈った。雷神の前では「うちの家族にだけは雷を落とさないでください」と特に念入りに祈った。

必死に祈り、お願いをしたものの、心のどこかで「叶うわけはない」という思いも抱いていた。それが自分の無力感を広げた。

大人になるにつれて、宗教的なものを超えて、祈りが通じることがある-そう考えた方が辻褄が合う-場面を多く経験するようになった。

人の未来は、少なくともその一部は、自分の祈りや想いで形作られるのではないか。祈りというのは-功利的に聞こえることを恐れるが-未来の自分を準備するために、相当有効な手段なのではないか。

いわれのない不安に東西の神仏に無闇と祈っていた幼い自分には、祈り続けると、いいよ、と伝えたい。

そして世界が祈りに満ちるこの季節、今の私も、残りの人生の未来を作るために、新たな祈りと想いとを心に抱いている。

よいクリスマスを。

引用記事
*東京新聞「筆洗」および中日新聞「中日春秋」 2016年12月17日
** 若松英輔「読まない本」(亜紀書房刊「言葉の贈り物」所収)
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