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そして私は訓練士を辞めた


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記事:京 みやこ(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
「みやこは赤ちゃんの時から犬が好きだったものね。泣いた時にはどこかの家の犬を見せると泣き止んだのよ」
母は、私にいつもそう言っていた。
「だから仕方ないわね」
みやこが犬の訓練士になりたいと言った時、父親は反対したが、母がそういって説得してくれた。
 
短大時代、ある人の紹介で盲導犬の見学に行けることになった。
目の見えない人のために働く盲導犬という存在については知っていたが、実際に見たことはなかった。
その盲導犬はアメリカで訓練され、はるばるアメリカから来ていた。目の見えないその方は全幅の信頼をその犬におき、杖なしでスタスタと歩き、そしてその犬も彼の主人を心から愛して、見守っているような様子が窺えた。
 
私は物心ついた時から犬が好きだったが、家は借家ということで飼うことを許されなかった。しかしずっと犬に関わる仕事につきたいと思い続けていたのだ。
そして彼らを見て、私は犬に直接関わる仕事がしたいと思った。
盲導犬の訓練士。
しかし、盲導犬の訓練所は当時まだ日本にはなく、アメリカかイギリスに行かねばならなかった。ハードルはあまりにも高すぎた。そして私は諦めた。
そして次に現れたのが警察犬の訓練士。
警察犬の訓練所は京都にもあり、また訓練士の方もすでに多くおられた。犯人追跡や犯人逮捕など、警察犬は犬にしかできない能力を生かして、人の役に立っている。私はこれを私の仕事にしようと決心した。
そしてそのことを両親に伝えると、母は仕方ないと言い、父を説得してくれたのだ。
 
私は自分で家から通える距離におられた訓練士の師匠を探して、弟子入りを頼んだ。当時は訓練士の養成学校などなく、徒弟制度で訓練士の養成がされていた。
「女は弟子にとったことがないから」師匠は初め断った。
「数ヶ月見習いで試してください」頼み込んで、なんとか弟子にしてもらった。
 
初めの仕事は大型犬の散歩。
午前中に京都市内にある4軒の家に行って、そのお宅の飼い犬の散歩をするのだ。雨が降ろうが、大雪になろうが毎朝同じ時間にその家に行く。
初日は師匠について行って、お家の方に紹介してもらった。
「明日から、この山口が散歩に来ますので、よろしくお願いします」そう挨拶する師匠の横で頭を下げた。そして次の日から一人で来て、一人で犬を散歩させるのだ。
その中の3軒はシェパード犬で、彼らはとても人懐っこく、初めて会う私にも尻尾を振り、体を擦り寄せて甘えてきた。
 
しかし最後の1軒はリックというボクサー犬だった。この犬は私が体に触れようとすると、ウーッと小さく唸り声をあげ、そして噛み付くような仕草を見せた。
「怖い!」そう思った。
このリックは家の中で飼われていて、いつもは首輪をつけていない。散歩に行くときだけ首輪をつけなければならないのだ。この凶暴なリックに明日から私が一人で首輪をつけなければならない。
「無理やと思ったら、奥さんに頼んで首輪つけてもらいなさい。危険やと思ったら、無理はするなよ」そう師匠は平然と言った。
 
次の日、玄関を開けた私にリックは不審者を見るようにものすごい声で吠えまくった。
「おはようございます。〇〇さん、おはようございます。リックの散歩に来た山口です。すみません。首輪つけ、お願いします」
奥さんが出てきて、首輪をつけてくれた。そしてリードを持った私に連れられて、リックはさっき吠えたことなど忘れたかのように嬉しそうにいつもの決まった道を歩いた。体に触れない限り彼は唸ったり噛み付いたりしない。
毎朝同じようなことが続き、約1年。徐々に吠える声は小さくなり、徐々に体にも触れられるようになり、奥さんに頼まなくても首輪が付けられるようになっていった。
その間、私はシェパード犬の訓練も任され、訓練士の試験に備えて、日々訓練をしていた。犬は私の一挙手一投足で動き、見えない臭いを嗅いで犯人の跡を追い、そして遺留品の匂いを嗅いで、犯人を見つけ出した。初めは声の指示、手のサインで動いたが、そのうち阿吽の呼吸で犬が動き始めた。私の気持ちまで掴んで、私の指示に従ってくれた。
そして私は訓練士の試験に合格し、京都支部で初めての女性訓練士となることができた。私はこれが天職と思い、犬と一緒に仕事ができることは私の誇りとなった。そしてシェパード犬との訓練が続く中、リックの散歩は別の訓練士見習いが行くようになっていた。
 
ある日、訓練所に師匠の車が止まり、後ろにリックが乗っていた。
「師匠、リック、獣医さんに行くんですか、どこか悪いんですか?」
「リックはどこも悪くないんやけどな、奥さんが病気で、リックの面倒を見られなくなったんや」
「山口、これが最後やから、お別れしてやってくれ」
初めその意味がわからなかったが、徐々にわかってきた。彼の飼い主が病気になりこの犬の面倒が見られなくなった。そのためにリックは獣医のところへ行く。つまりそれは安楽死を意味していた。
「リック!」私は何も言葉が出てこなかった。ただ彼の首に腕を回し抱きしめた。
「ごめんね。何もしてあげられなくて」
リックも若くないし、他人には慣れない気性の犬だ。他に貰い手を探すこともできないだろう。
「仕方がない」そう自分に言い聞かせた。そして最後にもう一度ぎゅっと抱きしめた。
 
私は人間の役にたつ犬を育てる仕事をしたいと思い、警察犬の訓練士になった。しかし、犬は人間に尽くした挙句、人間の勝手で命を奪い取られるのだ。なんて人間って勝手なんだろう。
 
そして私は結婚を機に訓練士を辞めた。今もリックの悲しそうな横顔を思い出す。
 
 
 
 
***
 
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2024-04-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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