彼からの年賀状
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:久保田めぐみ(ライティングゼミ4月コース)
※この話は事実にもとづいたフィクションです。
「毎年楽しみにしてるわよ」
そう言ってくれる人に、手描きのイラストで年賀状を書くのが楽しみだった。
画材がクーピーから色鉛筆に変わり、「プリントごっこ」に変わり、高校生になる頃にはちょっと高めのコピックに変わっていった。
私が初めて「交際」をした年上の彼とも、年賀状がきっかけだった。
高校生から通い始めた学習塾で、彼は教室長をしていた。一回り年上なので、当時26、7歳だったと思う。授業をしていたのはもう少しベテランの先生たちで、教室長の彼は生徒たちの授業料の管理や教室の管理をしていた、と思われるが実際のところはよく知らない。
彼が入り口に一番近い講師室の中にいるのは知っていた。でも、さほど挨拶を交わした記憶もない。会釈をして講師室の前を通過して、自習室に向かう。それだけを繰り返していた。
その学習塾は、私の居場所のような存在だった。私立の女子高校の特進化に進学できたものの、クラスは崩壊していた。進学クラスにもかかわらず、一部のうるさい女子がクラスの雰囲気を独占して、授業中に先生の声が聞こえないくらい大騒ぎをするのだった。
だから、放課後の学習塾の自習室は大事な避難所だった。大して自習なんてしていなかったが、他の高校の先輩や浪人生が机に向かっている中にいるだけで、うるさい女子に囲まれていた1日なんて忘れてしまう。気持ちが洗われるような空間だった。親から外出が許されていた夜10時頃まで、私は毎日居座り続けた。
ある日、一番に自習室に到着したことがあった。いつもなら先輩達が先に来て、休憩室でおしゃべりしているのにその日に限っていなかった。
「静かだな」
と自習室のドアを開けた瞬間、黒板いっぱいに綴られた文字が飛び込んできた。
書いたのは、教室長である彼だった。めいっぱい力が込められて濃く、トメ・ハネの几帳面な楷書で書かれていた。
自分はこれまでこういう思いでこの校舎を見守ってきた。どうしてこういう事件が起きたのか理解ができない。ここは学校ではないが、君たちの言動には許しがたいものがある。けれども自分にも責任がある云々。
要は、先輩が塾生ではない女子を校舎に連れ込んでいちゃいちゃしていた、というのを叱責し、それを起こしてしまった自分を責めている内容だった。
長文を読み終わると、私はぼろぼろと泣いてしまった。一人の大人が教育者として真剣に怒り、不甲斐ないと正直に悔しがる姿を想像し、16歳だった私の心は大きく震えた。
その日から「年賀状を送る相手」リストに彼の名前が入った。塾の住所で返ってきた年賀状は、翌年彼が退職した後も、彼の実家から送られてくるようになった。
年賀状が分厚い手紙に変わったのは、私が高校を卒業して浪人生になった頃である。受験の悩みを書いた私の年賀状に、7、8枚の便箋が返ってきた。右肩上がりの几帳面な楷書で。
それから、私たちは2週間に1通のペースで手紙を交わすようになった。早い時は1週間で返事が来ることもあった。私の方は2枚ほどの便箋で終わってしまうが、彼はいつも3倍くらいの量を書いてくる。そして手紙はなぜかペンではなく、鉛筆で書かれているのだった。
恋というのか何なのかよくわからなかったが、次第に彼の文字に早く会いたいと思うようになった。「君は他人に頼ることができないのだから、頑張り過ぎてはいけない」と書かれていた時には、字の形が覚えるまで何度も読み返した。
いつしか、お互いの言葉の端々に気持ちが見え隠れするようになり、手紙の中でお互いの気持ちを確かめ合ってからも分厚い手紙の文通は続いた。
ただ、文字だけで繋がっていた関係は1年も経たないうちに終わってしまった。結局再会できないまま、私は地元から東京の大学に進学すると、本物の「彼氏」が出来て手紙のやりとりを終わらせてしまった。
それでも続いたのは、年賀状だった。
「まだ東京で頑張っているんだね。遠い空から見守っています」
彼の文字を見ると安心したし、自分勝手な終わらせ方をしてしまったのに彼の字はいつも綺麗だった。
毎年元旦に届いていた彼からの年賀状が来なかったのは、私が教師になった年だった。年賀状の空欄にめいっぱい「念願の教職につきました」というのを書き詰めて送った年だ。
なんとなく不安な気持ちになってきた頃、彼の父親の名前で喪中葉書が届いた。半年以上前に、彼は急性心筋梗塞で亡くなっていた。
爪の先まで悲しい、とはこういうことを言うのか。
それから数週間、心の場所がわからないほど全身が悲しいと叫び、泣いても泣いても泣き止むことができなかった。どうして、彼でなければいけなかったのだろう。いるかどうかわからない神様に向かって毎日問い詰めた。善良な彼を連れて行くのなら、私を死なせても良かったのに。どうして彼だけを連れて行ってしまったのだろう。
今年、私は彼が亡くなった年と同じ38歳になる。
今年のお正月もきっと、届いた年賀状の中に彼の几帳面な字を探してしまうだろう。
それでも今までと違うのは、画材を揃えて手描きの年賀状を描く気になったことだ。教え子からかわいい手描きの年賀状が届くようになったのだ。少しわくわくした気持ちで画材屋に向かう。
「さて、どんな絵を描こうかな」
***
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