10年後の君へ、ラブレター。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:渡辺エリナ(ライティング・ゼミ)
3月1日。13時半。
私はようやく故郷の駅に降り立った。
季節外れの大雪となった今日、駅は混乱していた。大きな荷物を抱えた乗客たちが、駅員に電車はいつ来るのかと口々に尋ねている。
私の乗った新幹線も、到着時間を1時間ほど過ぎていた。雪の影響でスピードは遅く、時間調整のため、途中の駅で長く停車することもあった。
そこまでして、なにも今日帰省しなくても……と思われるかもしれない。
だけど、私にはどうしても今日、ここに来なければいけない理由があった。
駅を出て目的地に向かうため、バス乗り場で時間を確認する。
ちょうど3分後に発車するバスに乗ればよさそうだ。
すでに到着していたバスに乗り込み、私は乗車券を取った。
……あったかい。
しかも大雪のせいか、貸し切り状態だ。
それから15分ほど暖房の効いた車内で過ごし、運賃を支払ってバスを降りる。
そこは高校時代、よく行った大きな公園だ。
野球部の試合の応援に通った野球場。真ん中に噴水があり、大きくなりすぎた鯉が泳ぎまわる池。春には色とりどりの花を咲かせるバラ園。
今日は大雪のおかげで閑散としているけれど、あの頃と何ひとつ変わっていない。
「まだ約束まで時間もあるし、一周してみるか」
私は一人、雪化粧をした園内を歩きはじめた。
『10年後の今日、またここで会おう』
高校の2つ上の先輩だった彼……イツキ先輩とした約束。
そんな不確かな約束を守るために私は今日、ここに来た。
この10年、先輩とは会うことも、連絡を取ることもなかった。
どこの大学に行ったのかもわからなければ、今どんな仕事をしているのかも知らない。
正直、その存在すら忘れかけていた。
けれど、今年のお正月、地元に帰省して高校の同級生たちと飲みながら、「もう卒業して8年か~。早いねぇ」なんて話していて、急に思い出したのだ。
10年前、イツキ先輩の卒業式の日に、二人でこの公園で交わした約束のことを。
どうせ、先輩も覚えていないだろう。
わざわざそのためだけに、地元に帰る必要はないよね?
そう思った私は、約束のことは忘れたふりをして東京に戻り、またかわりばえのない日常を送っていた。
社会人も5年目ともなると、ある程度慣れてくる。担当している仕事は一人でこなせるようになったし、社内の人間関係もまぁまぁうまくいっている。
別段、不満があるわけではないのだけれど、悪く言えば刺激がない。毎日、なんとなく物足りなさを感じていた。
そんな気配は同期の間にも蔓延していて、転職を考える人もちらほら出始めた。
「俺、公務員試験受けようと思ってるんだよね。地元に戻るのも悪くないかなぁって」
「ふーん、そうなんだ。公務員は安泰だもんね」
最近、こんな話をよく聞く。公務員試験には年齢制限があるせいか、今から勉強を始める人が多いらしい。
私も漠然と、ずっとこの会社にいるわけじゃないだろうな、とは思っていた。上司を見ていれば、自分の数年後は容易に想像がつく。
かと言って、彼のように明確な目標や、やりたいことがあるわけではない。こんな感じでは、転職してもしなくても、きっとたいして変わらないだろう。別の会社に勤めている周りの友人たちも、大体同じ考えだった。
ベストではないけれど、バッドではない道を選び、趣味に生きればいい。
“ゆとり世代”と呼ばれる私たちは、そんな共通の価値観を持っている気がする。
「はぁー」
昼休みが終わる頃、トイレでため息をつく。
これから午後の仕事が始まると思うと、だるくてしょうがない。
仕事はできるようになって、お金もある程度稼げるようになって、欲しいものもそれなりに買える。
恋愛もしようと思えば、できる位置にはいると思う。今はその必要性を感じないから断っているけれど、時々飲み会を通じて知り合った人に「付き合おうよ」と言われたりもする。
誘えばいくらでも飲みに付き合ってくれる友達はいるし、趣味で通っているポーセラーツ教室も楽しい。
なのに、どうして……?
何も問題はないはずなのに、何かが足りない気がする。
『お前、ホントいい顔で笑うのなー。いつもそうやって笑ってろよ。その方が可愛いから』
ふと、イツキ先輩の言葉を思い出す。
あれはたしか、高1のマラソン大会。学年トップでゴールした先輩のもとに、タオルを届けに行った時のことだ。
入学してすぐに彼に一目惚れした私は、事あるごとに近づこうと必死だった。
先輩が私を恋愛対象として見てくれていないことは、なんとなくわかっていたけど、相手に気を持たせるのがうまい人だった。
そんな一言だけで、私は天にも昇る気持ちになり、友達に報告したりしていた。
そう……。
あの頃は、ただ先輩を追いかけているだけで、心から楽しかったんだ。
それが先輩にもバレちゃうくらい、全身から溢れ出ていたんだと思う。
「…………」
いつから私は、“いい顔”で笑えなくなったんだろう。
社会人になってからというもの、誰かに笑顔を褒められたことなんてない。
先輩に、会いたい……。
10年の時を経て、私は高校時代のどの瞬間よりも強く、そう願った。
この10年、彼のことがずっと好きだったわけではない。
彼が卒業する日、私は告白してフラれていたから。妹としか見られない……そんなお決まりの文句で。
その直後は先輩がいない学校が寂しくて、友達に相談しては泣いたりしていた。ショックからご飯を食べられなくなるくらいだった。
だけど時が経つにつれ、そんな感情も薄れていった。
【お久しぶりです。香澄です。
先輩の卒業式にした約束、覚えていますか?
3月1日の15時。K公園で待っています】
気が付くと、そんなメールを送っていた。
先輩、いきなりこんなメールが来たら、驚くだろうな。私のこと、覚えてるのかな?
そもそも、アドレスが変わっている可能性が高いけど……。
そう思ったものの、エラーメールが返ってくることはなかった。
そして翌日、なんと返事が来た。
【久しぶりだね。元気にしてるかな?
約束、覚えています。
僕は目印にグレーのマフラーをしていきます】
あれ? ちょっとメールの感じが変わった?
先輩、自分のことを“僕”なんて言ってたっけ?
それに、目印なんてなくてもわかるのに。よっぽど見た目が変わってしまったのかな?
少しの違和感を覚えたけれど、なにしろ10年も経っている。先輩も大人の男になったということだろう。
私だって、16歳のあの頃のままじゃない。
そうして不確かだった約束を確実なものにし、私は今日、その公園にやってきたというわけだ。
もうすぐ約束の15時がやってくる。
会ったら何を話そう。
勢いでここまで来てしまったけど、どんな顔をして会えばいいのかさえ、わからなかった。昨日は眠れなかったし、新幹線の中でもずっと落ち着かなかった。おかげで、到着が遅れてもイライラせずに済んだけど。
雪が降りしきる中、私は屋根のあるベンチに座り、彼との高校時代を思い出す。
子供だった私に、2つ年上の彼は色んなことを教えてくれた。
私が知らない小説や、外国のバンドのCDをたくさん貸してくれて、いつも目をキラキラさせながら自分が好きな物の話をしてくれた。
先輩の影響ですっかりロックスターに傾倒した私は、
『私、早く死にたいんですよね。尾崎豊とか、カート・コバーンとか、シド・ヴィシャスみたいに、何かこの世に名を残すようなことをして』
なんて、よく言っていた。
彼らのように偉大な功績を残すことは無理だろうとわかってはいたけど、ぬるま湯みたいな環境に閉塞感を感じていたのだ。
当時、死ぬことはひとつも怖くなかった。自分が死んでも、悲しむ人なんていないと思っていた。
そして、イツキ先輩の卒業式の日。
この公園で告白した私をフッたあと、彼はこう言った。
『お前さ……絶対に死ぬなよ。そうだ、約束しよう。10年後の今日、またここで会おう。で、香澄がまだ生きてるって証明して。俺を安心させてよ』
そうして別れ際、最初で最後のキスをくれた。
フッたくせにキスするなんて、先輩は残酷だ。そのあと、立ち直るのがどれだけ大変だったか。
でも、先輩にそんなちぐはぐな行動を取らせてしまったのは、私だ。
先輩は私のことが心配だけど、恋人としてそばにはいてやれない。だけど、何か二人の間に形を残して、ずっと気にかけていることを伝えたい……きっと、そんな思いからあんなことをしたんだと思う。
おかげでそれ以来、早く死にたいとは思わなくなった。その当時は、「絶対に10年後、先輩に会うんだ」と思っていたから。
あれから10年が経ち、26歳になった私。
充実した日々を送れているわけではないけれど、今もこうして生きてるよって姿を見せて、先輩を安心させてあげなきゃいけないと思う。
15時になる少し前に、彼は現れた。
「香澄さん?」
さん付けだなんて、よそよそしい。昔は“香澄”って呼んでたのに。
でも、後ろからかけられたその声は、昔と少しも変わらない。
私は少しの戸惑いと期待を胸に、振り返った。
「……っ」
嘘……。
そんなこと、あるわけない。
あれから10年も経っているのに。
目の前にいるグレーのマフラーを巻いた彼は、最後に会った高校の卒業式の日のままだった。
少し長い前髪。鼻筋が通っていて、眉の濃い整った顔。
色白の肌に、左耳のクロスのピアス。
そして、何よりも大好きだった先輩の匂い……。
少し距離があるのに鼻をくすぐるのは、当時先輩が好きでつけていた、あの香水の香りだった。
「せん……ぱい……っ」
会ったらこんな挨拶をしよう。
名刺とか渡したら、おかしいかな?
でも、何から話していいかわからないし……。
数分前まで悩んでいたことなんて、もはやどうでもよかった。
懐かしさと未練と愛おしさとが入り混じったような、体の奥底から突き上げるような衝動に駆られた私は、先輩の胸に飛び込んでいた。
***
「……っく、ぐすっ……うぅ……」
周りの目がこちらに向けられる。
「うぅうぅああああぁぁぁーーーー」
彼と別れ、ふたたび駅に戻ってきた私は耐えきれず、人目も気にせず号泣した。
もう、何も考えられない。
感情の渦に、ただただ翻弄されたかった。
公園に現れた彼は、先輩の8つ下の弟だった。
今日、私たちと同じ高校を卒業したばかりの彼は、あの日の先輩に瓜二つ。
だけど、その口から語られたのは、にわかには受け入れがたい現実だった。
……先輩は、1ヶ月前に事故で亡くなっていた。
『きっと大事な約束だったんだと思って、僕から直接、香澄さんにお伝えしなきゃと思ったんです。メール、兄貴のふりして返事したりして……すみませんでした』
彼の死後、彼の手帳の3月1日の欄に“香澄と約束”という言葉を見つけた弟さんは、直接兄の死を伝えたい、とわざわざ来てくれたのだ。
メールに感じた違和感は、当たっていた。
彼は先輩と同じ見た目をした、別人だったのだから。
ピアスと香水は、形見として弟さんが身に着けていたものだった。
「先輩、見えてますか……? 私、ちゃんと生きてるよ。なのに……先輩が死んじゃうなんて……っ」
雪が積もって真っ白になった駅前の広場にしゃがみこみ、日が落ちかかった曇天を見上げる。
こんなの、あんまりだ。
先輩は約束を覚えていてくれた。
きっと、10年経っても私のことを心配してくれていたんだろう。
それなのに私は……先輩を安心させることも、ありがとうを伝えることも、もう二度と叶わない。
――はらはら。
季節を知らないなごり雪は、なおも私の上に降りかかる。
白く覆われた地面の刺すような冷たさは、残酷なまでに、私が確かにこの世に存在していることを実感させた。
***
3ヶ月後。
私は池袋にある書店・天狼院で開講されているライティング・ゼミに通い始めた。
退屈だった毎日を変えるための、第一歩を踏み出すために……。
先輩は、メーカー系の会社に勤めながら、ひそかに小説家を目指していたそうだ。
音楽と同じくらい、本が好きだった先輩らしいと思った。
先輩の死を知ったあの日以来、ぬけ殻のようになった私は、相変わらずの単調な毎日を送っていた。ただ過ぎる時間が救いのようにも思えた。
でも、このままここで、一生を終えてもいいのだろうか……?
先輩は夢に向かって頑張っていたのに死んでしまって、私は夢も目標もないのに生きている――。
なんだかそれは、ものすごく不公平な気がした。
途方もなく長く感じる時間を過ごした果てに、私は彼の夢を引き継ぐ決意をした。
小説家になるなんて、簡単じゃないことはわかっている。だけど、先輩のために何かしなきゃと思わずにはいられなかった。
先輩がいなければ、私は今、ここに存在していなかったかもしれない。
あの時救ってもらった命を、先輩と一緒に生きたい――そう思った。
「ごちそうさまです」
カフェで課題の原稿に向かっていると、ふわっと、あの香水の香りが横を通り過ぎた。
私は書きかけの原稿の端に、思いつくままにペンを走らせる。
イツキ先輩へ。
……先輩がくれた人生、必死で生きてみせるからね。
だからまた、10年後も会ってくれますか……?
その頃にはきっと、先輩の夢だった小説家になってみせるから。
でも、弱い私のことだから、途中でくじけそうになるかもしれない。
そんな時は、たまにでいいから。
夢でいいから……会いにきてくださいね。
※この物語はフィクションです。
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 *この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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