ばあちゃんから学ぶ、幸せになるコツ。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:佐藤 穂奈美(ライティングゼミ)
「あの人は社会に出たことがないから、社会の苦労がわかってない」
私は今まで、社会に出て働いたことのない女性、農家の方や専業主婦など、そう言った人々に向けられた、そんな言葉を何度か耳にしました。
おそらく、私も言っていたと思います。
そして、人知れず誰かを傷つけていたかも知れません。
平成生まれの私たちは、ありとあらゆる過渡期に生まれました。
「はたらく」ということについても、過渡期の世代と言っていいでしょう。
「男は外で金を稼ぎ、女は家を守る」といった話は私たちよりさらに若い世代からしたらまるでおとぎ話のような話なのかも知れませんが、私たちが生まれてくる少し前までは、普通に受け入れられていた考えでした。
今では女の子も4年制大学に行くことが当たり前になりました。4大を出て、会社に入り、総合職としてバリバリ働く。こういう変化は、武家社会という「男は外、女は家」の世界や、近代における男性を基軸とした家父長制の歴史の長さに比べると、かなり短い期間であっという間に起きた出来事です。ですから、育休、産休という制度整備のみならず、そういった「働き方」に対する私たちの心の持ちようも、まだまだ発展途上というような気がします。
私が言っている心の持ちよう、というのは会社で女性の活躍を推し進める、とか、ダイバーシティといった言葉に代表されるような、そういうことではありません。
私たちのような過渡期に生まれた世代や過渡期の少し前に社会で苦労をした女性たちと、過渡期の前に家を守っていたような女性たち、この人たちの心の持ちようが、まだまだきちんと溶け合ってはないのではないか、と思うのです。そして、この人たちは、誰かと誰かというわけでもなく、価値観として、私たちの心の中に、どちらも潜んでいるのです。
その人たちは、こういう時に顔を出します。
あるお母さんが、会社で総合職としてバリバリに働き、そんな中でもなんとか時間を作って、子供にご飯を作ったり、きちんと努力しているのに、姑に小言を言われるのです。
「そんなに外でばっかり働いていないで、もっと庭の手入れとか、家の掃除とか、家のことをきちんとしなさい」
しかし、それは相手が嫌いだから言っているわけではないことも多々あります。普段は仲が良くても、自分の中にある価値観を、素直に言葉に出してみたらそういうことを言ってしまうのです。けれども、そのお母さんはきっと傷つく。なんで分かってくれないの? こんなに頑張っているのに。
そしてお母さんは、こう思うのです。
「あの人は社会に出たことがないから、社会の苦労がわかっていない」と。
しかし、これはお互いが経験をしたことがないことなので、そこで起きた「外で働いている」、「庭の手入れが行き届いていない」と言う事実に、それぞれがそれぞれの経験の範囲で評価を下せば自然とそうなってしまうのです。
私たちはブラックコーヒーを飲む人がいても、死ぬほど砂糖を入れてコーヒーを飲む人がいても「ああ、いろんな好みがあるんだなあ」くらいにしか思わないのに、なぜ「はたらく」ということになった途端、こうも自分の「こうあるべき」を人に押し付けてしまうのでしょう。
社会人になり、どうやら私もうっすらと「社会に出て働く」ということがどういうことか、本当になんとなくですが、分かってきたような気がします。
そんな私がある時、仕事が少し忙しい時期に差し掛かり、毎日終電近くで帰っていることがありました。それを母から聞いた祖母が帰省した私にこう言いました。
「体が一番なんだから、そんなに働かなくたっていいんだよ。ばあちゃんは、そんなにあなたが忙しい生活をしてると思うと、辛くて涙が出てきちゃうよ。どうしていつも、そう、大変な道にばかり行くんだろうねえ」
そう言って、おいおい泣くのです。
私はびっくり仰天しました。まあ、確かに忙しいといえば、忙しい。眠い日もあるといえば、ある。けれども、そんなに泣いちゃうほどじゃないよ、と。
ばあちゃんは前にも似たようにおいおい泣いていたことがありました。私が受験生の頃、いつも深夜まで起きていると、それに気がついたばあちゃんが「そんなに勉強したら、つらかろ」とひどく深刻な顔で心配してきたのです。
その時も、自分が勉強したくてしているだけだから、まあ、眠いといえば、眠いけど、別にそんなに辛くないよ、と思ったものです。
私は近頃、自分よりもばあちゃんの方がよっぽどすごいと思います。
何せ彼女は10年近く、旅行にもいかず、1食も抜かずにご飯を作り続け、自分のための外出などほとんどしない生活をしていたのですから。
私のひいばあちゃんは、ある時に病気をして寝たきりになってしまいました。ばあちゃんから見れば、ひいばあちゃんは姑に当たりますが、ばあちゃんは文句ひとつ言わずに、10年近く、ほぼ自分一人で自宅で介護を続けていました。私は今、自分が「介護」という言葉を打つまで、あれが「介護」だと気づかないほどに、彼女は淡々と、生活の一部として、ひいばあちゃんのお世話を続けていました。
私は今、自分の実の親が急に倒れて寝たきりになり、すべての生活を捨ててこっちで親の世話をしろ、と言われたら、すぐに決断できるか、正直ほとんど自信がありません。ばあちゃんからしたら、ひいばあちゃんは他人ですから、それを当たり前にやってのけたばあちゃんのことを、私は、それはそれはすごいと思うのです。
しかし、私からすればそんなとてつもない忍耐力を持ったばあちゃんですが、私自身の受験勉強といった、私からすればそうでもないことに対して、おいおい泣くのです。
そしてさらに私も、あの頃のばあちゃんの苦労を思うと、書きながら目がうるうるしてきます。
私は思うのです。
「苦労」の大きさは測れない、と。
当たり前ですが、よほど前世でスーパーな徳を積まない限り、苦労しない人はいないと思います。ですが、得意なことが人によって違うように、何を苦労と思うかも、人によって違うと思うのです。
だから、なかなか自分の苦労を人に分かってもらおうとしたり、共感してもらおうとしても難しい。人は誰かに認めてもらいたい生き物です。けれども「なんでわかってくれないの?」というところでつまずいてしまう人は「事実」や「成し遂げたこと」ではなく、「苦労」の部分を伝えようとしているのではないか、そう思うのです。ばあちゃんはあの時はこんな大変だった、とは言いませんが、ひいばあが死ぬ間際に「お前のことは死んだ後もずっと守ってやっているからな」とばあちゃんに言ったことを知っている私たち家族も親戚も、恥ずかしくて口には出しませんが、きっとみんな「ばあちゃんすげえ」と思っているはずです。そんな結果で伝えるばあちゃんは、なんやかんや、家族にかまわれて幸せそうに暮らしています。
幸せそうなばあちゃんですが、私ははたと思ったのです。ばあちゃん、辛いとか、やめたいとか悩まなかったのかな。
少しは辛かったかもしれません、いや、かなり辛かったかもしれません。結局のところ、それは聞いたことがないのでわかりませんが、孫の私が推測するに、ばあちゃんには迷いはなかったと思います。もちろん、日々の生活に悩みは尽きなかったと思います。そうではなくて、人生の優先順位に迷いがなかったと思うのです。これは、ばあちゃんにきいたので確かだと思いますが、ばあちゃんは何が幸せなの? と聞いたところ、すぐさま「家」と返ってきました。「家族が周りにいて、みんなにこにこ健康で暮らしてくれるのが一番しあわせだ」と。ばあちゃんの中の人生の中で何が大切か、そういった優先順位がどっしりとあったからこそ、あのすごいことが成し遂げられたのではないか、そんな気がします。
私はどうでしょうか。
「なんで分かってくれないの?」
私は弱い人間なので、こういう気持ちはたまにひょこひょこと顔を出します。
ばあちゃんだって、誰かに認めて欲しい、なんで分かってくれないの? とは思わなかったのでしょうか。
自分がどういうときに「なんで分かってくれないの?」と思うのか考えてみると、それは「分かって欲しい」時なのです。分かってほしくて、かつ、「分かって欲しい」事柄について、自分の心に少し無理をしているとき。
自分の心に無理をしていなければ、多少物事がうまくいかなくても、特に辛くはないものです。
例えば、小学生の時なんかは、人生にそもそも自由に選択肢がないですから、「これは何が何でも成し遂げねばならぬ!」と猛然と信じてしまうと、もうそれがあっという間に人生の優先順位ナンバーワンになります。私はある時「何が何でも一輪車に乗らねばならぬ!」と思い立ってからというもの、毎日毎日暗くなるまで練習しては、ケガをし、失敗し続け、それでも意味不明に「一輪車に乗らなければならぬ!」と盲信していたので、「なんでできないの?」といじけることなく、黙々と練習をし、乗れるようになりました。
受験勉強にしたってそうです。私がしあわせになるためには「何が何でもあの高校に行かねばならぬ!」と盲信して、それだけを全ての優先順位ナンバーワンにして生活した結果、行きたい高校に行けました。その時に、うまくいかないことも、成績が振るわなかった時も「なんでうまくいかないの?」といじけたことはありませんでした。目標のために、やるべきことを毎日こなす、淡々と。
ところが今はどうでしょう? 毎日、自分の生活全てに疑問を持ち続け、右往左往しています。「なんで分かってくれないの?」そう思うことも多々ありました。
「なんで分かってくれないの?」
「なんで分かってくれないの?」
そういう思いを会社や自分を取り巻く環境にぶつけていたとき、じゃあ、私は一体どうしたいんだろう、と思いました。
私は目的を見失って、自分が何をしたいのかもわからずに、目の前のことをひたすら消化しようとしていました。だから、息苦しくなって「自分はこんなに頑張っているのに」というプロセスで認めてもらおうとしていたのです。想いがないことに人は心動かされません。私は、私にとって何が大切なのか、何を成し遂げたいのか、まるきりわからなくなっていました。人生での優先順位を失っていたのです。
思えば、就活の時から少しずつ自分の優先順位がわからなくなっていった気がします。人の言葉を借りた自己分析、企業研究、エントリーシート、面接。それらは、私の作り出した価値観ではなく、私が「いい大学に行ったのだから、大企業に就職しなければならぬ」、「親孝行のためにも、給料の安定したところに勤めねばならぬ」、「周りの友達が名だたる会社に就職したのだから、自分も後に続かなければならぬ」と勝手に自分で自分を「こうあるべきだ」と決めつけて、人様の作った就活の海で、人様の作った価値観の中を、自分の頭を使わずに「やはり、まずは大企業に入ったほうがいいよね」などと分かった風なことを言いながら、「こうだったらいいかも」という希望と現実の入り混じった「自分のようなもの」を作り上げて行きました。
自分のようなものが出した答えというのは、いっときは自分を支えてくれますが、本当にしんどくなった時には、あまり助けになりません。むしろ、誰かを傷つけることさえある気がします。
私は「親孝行のためにも、いい会社に入らねばならぬ」などと勝手に思っておりましたが、私の両親は一言もそんなことを言ってきたことはありません。「好きなことすれば」くらいの感じでいます。しかし、私が頼まれもしていない親孝行のために「本当にしたいこと」を諦めて、入社した会社で嫌なことがあったら、私は一体どうするでしょう。勝手に親に恩を売って「あなたたちのことを思って選んだのに!」と八つ当たりしてしまうかもしれません。
だからこそ、自分の頭で考えて、自分にとっての優先順位をようく、見極めなければならないと思います。
いいのです。自分自身に向き合って、自分自身の言葉で導き出された答えが「親孝行」であればそうすればいいのです。その優先順位を達成するためには、どんなルートがいいのか探し、その道が見つかれば、猛然と、そして淡々と、毎日やるべきことをやればいい。
いいのです。それが、もし何か「今の会社ではない、自分の夢」であれば、それをどこまでも信じて、どう実現させるか、熱く、静かにそこに向かえばいい。
私がばあちゃんから学んだことは、自分にとって何が一番大切か、それを自分の頭で考えて、どっしり自分の芯に持っている人は、本当に強いし、必ず何かの結果がついてくる、ということです。
ばあちゃんは「何よりも家族が大事」。ただただそれだけを信じて、毎日を淡々とやってきた結果、とても家族に愛されて、自分も大切にされるようになりました。
人生の優先順位がはっきりしていないと、「はたらく」、「どう生きるか」ということになった途端、ひとは「自分がなりたい自分」や「分かってほしい苦労」や「誰かを否定することで自分を肯定する」だとか、急にいろんなものがないまぜになって、自分の言葉で、自分を正しく評価できなくなってしまう。それでは「こうあるべき」、「なんでわかってくれないの?」を繰り返し、どこにも行けません。
私たちは過渡期の世代です。まだ、私たちの時代の主流の考え、というのはできていないように思います。
だから、私たちの世代では、自分の中に「家庭に入って、家のことをきちんとやりたい」と思う自分も、「バリバリ外の世界で活躍したい」と思う自分も、「家庭のことも、外で働くことも頑張りたい」と思う自分もいるでしょう。私たちは「なんで家のことをきちんとやらないの?」と怒る側にも、「なんで分かってくれないの?」と怒る側にも成り得るのです。
そんな風に、いろんな価値観が混ざり合って、いろんな選択肢を選べる現代に生きる私たちだからこそ、「何が自分にとって大切なのか」それを自分の頭で、自分の言葉で考えることが、しあわせになる秘訣だと、ばあちゃんを見ていてそう思いました。
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 *この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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