プロフェッショナル・ゼミ

「まんじゅうこわい」というお話のおはなし《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石村 英美子(プロフェッショナル・ゼミ)〈フィクション〉

「でも……バレたりしませんかね」

一番年下のマキが言った。女たち三人は、椿の住むアパートに集まっていた。椿は一人暮らしで、最近引っ越したばかりなのか部屋の中の家具調度品は極端に少なく、がらんとしている。大きめなダイニングテーブルだけが妙に浮いていた。

「なんでバレるの」
「いや、だって」
「バレる要素ないでしょ」
「そうですかねぇ」
「大丈夫だって。ねぇ椿ちゃん」

藤沢は自信たっぷりに言ったが、マキはあまり納得がいってないようだった。今日、ここに集まることを決めたのは藤沢だった。藤沢は椿より年下のはずだが、職場では先輩にあたるため何かにつけて先輩風を吹かせていた。椿が静かに言った。

「もしかしたら、番号控えたりする人も居るかも知れませんね、写メ撮ったり」
「そう! そしたらバレるじゃないですか、拾ったんだって」
「まぁ、可能性が無い事ぁない」
「二重否定は肯定ですね」
「でしょ! それってほら、なんて言うか……」
「遺失物横領罪または占有離脱物横領罪ですね」
「そう! それ!」
「一年未満の懲役または十万円以下の罰金です」
「そう! それ!」
「仕事中の習得ですから、業務上横領が適用される可能性もあります」
「そう! ……なんでそんな詳しいんすか椿さん」
「椿ちゃん、大学出てっから」
「はぁ……」

椿は年齢不詳だった。二十代にも見えるし、不惑を過ぎているようにも見えた。化粧っ気はなく髪も染めていない。ぱつんと切った前髪で隠れた眉と、小ぶりな目とそれに見合わぬ瞳の大きさで、子供のようにさえ見える。しかし、物腰は落ち着いていて、そのそつのない言葉いから考えても決して若くはなかった。確かに時折笑うと目の端にわずかにシワが寄る。椿はそのわずかなシワを戻して言った。

「大丈夫ですよ」
「そ。大丈夫なの」
「だからどう大丈夫なんですか?」
「ちゃんとね、ねぇ? 椿ちゃん」
「はい」

椿は無表情だったが、藤沢はニヤニヤ笑っていた。噛んでいたガムを近くにあったゴミ箱に吐き捨ててから言った。

「この椿ちゃんがね、行くわけさ、みずほ銀行に。でさ、言うわけ『先だって亡くなった主人の遺品を整理してたら、手帳にこれが挟まってました』ってね」
「ご主人の遺品……え? 椿さん結婚してるんですか!? まじすか!」
「ごめんなさい」
「待て待て、食いつくとこ違うぞ。そしてなんで謝る」
「なんとなく」
「そうですよ、謝らなくても。……そうか結婚してるのか」
「だから亡くなったつってんだろ。どっちかって言うとお前が謝れ」
「あぁ、そうか。そうですね、なんかすいません」
「いえいえそんな」
「話の腰折りやがって」
「あ、はいすみません。で、なんでしたっけ」
「銀行に行く」
「はい銀行に行く」
「宝くじの番号を照会する」
「番号照会、はい」
「銀行の人が、確かに当選番号間違いございませんと。でも当日は換金してくれないらしいから、なんか応接室でお預り票みたいなのもらって、口座開設して、入金されて、改めて我々で分配と。そんな流れで、わーい! 三億円! と」
「わーい! 三億円! ほら! 椿さんも!」
「わーい三億円」
「と、これがAパターン」
「はい、Aパターン。うまく行くバージョンですね」

最初に宝くじを見つけたのは藤沢だった。事業所のゴミだしは女子社員の仕事だ。本来当番の者がゴミを集め、事業系袋に詰めて共同ゴミ置場に出すのだが、藤沢は自分が当番の時も「椿ちゃん手伝ってよ」と自分では動かなかった。椿はいつも黙って従い、何も気にしない性格のマキは「あ、私も行きます」と手伝った。

他の事務所の黄土色のゴミ袋に宝くじが入っているのを目ざとく見つけた藤沢は、二人に袋を開けさせ回収させた。それが、この一枚のグリーンジャンボ宝くじだった。どうやら昨年の物で、引き換え期限は過ぎてない。三人とも当選番号の確認を楽しみにしていたが、本気ではなかった。もし当たったら回らない寿司でも食べようと約束していた程度だった。しかしあろうことか「一等」の番号と完全一致していた。今日は、この宝くじについて、今後の対応を協議するべく集まっていた。問題は、万が一これが「拾得物」であることがバレてしまった場合だ。藤沢は新しいガムを口に入れて言った。

「で、こっからBパターン」
「はい? Bパターン?」
「宝くじ渡して、照会してもらって、そしたら『お客様? 申し訳ございませんが、この宝くじ……』って、なぜかバレてるわけ、拾ったのパクったのが」
「やばいじゃないすか」
「やべーよ、入り口の警備員がトランシーバーで何か喋ってるしさ、逃げ場ないしさ」
「うわ、アレになっちゃうじゃないですか」
「遺失物横領罪」
「そう、それ! 捕まっちゃうじゃないですか、椿さん!」
「ふっふっふっ。忘れたのか最初のくだりを。椿ちゃん! どうぞ!」

椿は突然立ち上がり、誰でもない方向へ喋り出した。

「えっ? そうなんですか!? と言う事は、主人が拾ったものをそのまま手帳に入れてたって事ですか。……そうですか、すみません。あの人も悪気はなかったとは思うんですけど、だって当選するなんて思ってなかったでしょうし。もう……バカな人……すみません、それ落とした方に返して差し上げて下さいますか? ご面倒おかけしますが。もう、拾ってすぐ届けたらよかったのに、バカな人……。ふふふ、死んでからも人様にこんなに迷惑かけて、本当にバカな人……本当にバカな人……ううっ!」

一気に話し終えると、椿は泣き崩れてしまった。あっけにとられ、口が開いたままのマキであったが、我に帰り椿の肩に手をかけた。

「あの……椿さん……」
「みたいな」
「えっ?」
「みたいな感じで」
「えっ? あ! そう言う事!?」
「そういう事だ」
「うわ、すげー!」

椿はすっくと立ち上がり、ティッシュで涙を拭いた。マキは「すげー!」を連発した。プランの内容より、いきなり演技を始めた椿の方にびっくりしたが、確かに拾得者が死亡していれば自分たちに累が及ぶ事はない。このプランは椿が考えた事だと言う。藤沢はなぜか自慢げに「椿ちゃん大学出てっから」と言った。マキもなぜか納得した。マキも藤沢も高卒だったので、大卒は頭がいいのだと思い込んでいる。

「またさ、椿ちゃんの旦那が死んだタイミングも良かったわけよ」
「いやそんな良かったって」
「良かったんだよ。なんかさ、話聞いてたらこれがロクでもない旦那なわけ。死んでくれてまじサンキューみたいな。パチンコだっけ?」
「スロットです。あと舟」
「博打打つわ、仕事長続きしないわ、飲み歩くわで借金こさえてさ。挙句に酔っ払って椿ちゃんぶつんでしょ?」
「顔はぶたなかったです。仕事に行けなくなるから」
「うわぁ……」
「くたばって初めて椿ちゃんの役にたったわけさね、そのカス野郎は」
「コメントしにくいっす」
「で、いつ換金行くの?」
「来週の火曜が休みなので」
「じゃ、もう渡しといていい? 失くしそうでさ」
「はい」
「あ、椿ちゃん無くしたら弁償だからね、三億円」
「はい」

冗談を言ったつもりの藤沢だったが、椿には通じなかった。茶封筒に入れた宝くじを持って、椿は奥の部屋に行ってしまった。

「できねーだろ、弁償」
「ははは。そうですね。ってか、なんか安心しました」
「何が?」
「バレないのが一番いいですけど、万が一バレても大丈夫なんですよね」
「さぁね」
「さぁね、って」
「どうせ、捕まるの椿ちゃんだから関係ないだろ」
「わ、藤沢さん。……こわ」
「なんでだよ怖かないよ。すぐ釈放だろうし」
「でも…こわ」
「うるさいな。言っとくけどお前ね、椿ちゃんの方がよっぽど怖いからね」
「なんでですか」

椿の夫が亡くなったのは三ヶ月ほど前、マキが移動してくる前だった。その朝、欠勤の連絡を受けたのは藤沢で、その時の椿は特に動揺した様子もなく「昨夜主人が亡くなったので」と忌引き休を申請してきた。一週間くらい経って再び出勤してきた時も「ご迷惑をおかけしました」と挨拶をした以外は、何も変わっていなかった。それが藤沢には解せなかった。藤沢もダメ男と付き合ったことはあるが、それでも別れた時には多少の喪失感があった。それが椿には無い。そこが藤沢には奇異に感じられた。時々椿に対して、試すように無理なことを言ってみたりしても、同じように顔色を変えず「わかりました」と引き受ける。そんな椿を、藤沢はそこはかとなく不気味に感じていた。

「あたし、ああ言う何考えてるんだか分からないタイプ嫌いなんだよ」
「そうですか?」
「気持ち悪りい」
「わ、ひど」
「気持ち悪いじゃん、歳もよくわかんないし」
「それ関係ないじゃないすか」
「旦那が殴るのも無理ない気がする」
「そこまでですか」
「だってさ、焼きそばパン買ってこいって言ったら本当に買ってくるんだよ? ダメでしょ買ってきちゃ。冗談に決まってるじゃん。それが通じないの、あの人。うー、気持ち悪。それにさ、見てこの部屋。部屋見たら人間性わかるって言うけどさ」
「綺麗にしてますよね」
「何にもないじゃん。何にも。テレビなし! 写真なし! 特徴なし! 気持ち悪! ってかもう怖!」
「いいじゃないですか、片付いてて。うちの部屋なんかグッチャグッチャですよ」
「……だろーな。でもその代わりお前さんは人間がシンプルだから。そう言う意味では全然気持ち悪くない」
「そうですか? やった」
「あーもう。ちょタバコ吸ってくる。室内禁煙とかふざけんな」

藤沢はブツブツ言いながら、鞄から黄色いアメリカンスピリッツとライターを取り出し、ベランダに出て行った。レースのカーテン越しに、藤沢が両手を上げて伸びをする姿が見えた。夕刻に近づき西日が差仕込もうとしている。港が近いのか、汽笛が聞こえる。マキは藤沢のことも椿のことも好きだった。マキは、会社で浮いている椿のことを藤沢が構ってやっているのだと思っていた。だから、あんなに何度も「怖い」「気持ち悪い」と言う藤沢を意外に感じた。

「怖い……怖いかなぁ」
「何が怖いの?」

音もなく背後に椿が帰ってきていた。独り言を聞かれたマキは「いやあの別にそんな何も」と意味のわからない事を言いながら、本当はちょっと怖かった。藤沢の言うことにも一理あると、初めて思った。

「お金持ちになるのが怖いの?」

マキは言われた事がすぐには理解できなかった。椿は、黒目の多い瞳を瞬き一つさせずマキを見た。

「あ……そうか。そうですよね。お金持ちになるのか! そうだ! お金持ちだ!」
「マキちゃんて、面白いね」
「そうですか?」
「うん、面白い」
「やったー。でも分かってますよ。面白いってバカってことでしょう?」
「そうじゃないよ」
「いいんですよ、面白くないより百万倍いいです」
「うふふ。やっぱり面白い。マキちゃんは何に使うつもり?」
「え? お金? えー、そうだなーまだ考えてないです。一億円でしょう?」
「違うよ」
「へ? 三億円割る三人だと一億円じゃないですか?」
「私とマキちゃんは三千万だよ」
「え? なんで?」

宝くじの当選が分かった時、藤沢は所有権を主張した。しかし、さすがに気が引けたのか、「あんたたちは一割ずつね」と言ったのだ。その時マキも居たはずだが、マキは人の話をあまり聴いていない。時々大事な事を聞き逃して後で困るのがマキの通常運転だ。

「そうか。……でも確かに見つけたのは藤沢さんだし」
「本当にそう思う?」
「わかんないですけど、これって棚ぼたですしね。だからまぁ、そんなもんかも。うん、そんなもんだ!」
「やっぱり、マキちゃんって面白いね」
「あざます! でも今の会話のどの辺が?」
「全体的に」
「全体的か」
「マキちゃんて、あんまりお金に興味なさそうだね」
「無いことはないです。でも確かにちょっと怖いかな。急に大金もらったら」
「怖いか。だったら私がもらってあげようか?」

マキは一瞬絶句した。椿が冗談を言うのを初めて聞いて驚いたからだ。時間差で可笑しくてたまらなくなった。

「ぶわはははは! 椿さん、そう言う事言うんですね!」
「どう言う意味?」
「椿さんが冗談言うの初めて聞いた!」
「実は本気なんだけど」
「ぶわ! たたみかけた! やりますね! 結構!」
「やりますよ、やるときは」
「すげー。見る目変わりましたよ、なんか。いいっすね椿さん」
「そう?」
「うーん、そうだな。怖いかも知れないけど、やっぱあたしもお金欲しいんで、あげません。うふふ」
「そうか、残念」

ベランダでは藤沢がまだ煙を燻らせていた。西日とともに、藤沢の影が部屋の中に侵入しようとしていた。椿は、藤沢が置きっぱなしにしていたガムの包みをゴミ箱に入れながら言った。

「貰えるのかな」
「はい?」
「本当に、貰えるのかな私たちの分」
「どう言う事ですか?」
「藤沢さん、お使いに行った時にもお金くれた事ないよ」
「わ、まじすか」
「それは大した金額じゃないから、別にいいんだけど」
「なんか想像できちゃう」
「私ね、連帯保証人だったの」
「……ん? 話どこ飛びました?」
「うちの旦那さん、結構負債があってね」
「負債……借金て事ですよね」
「うん。今は私が払わないといけないんだけど、時々うちの母のところにも、来るの」
「取り立て屋……的なのが? うわ、最悪」
「藤沢さん、くれたらいいな」

椿が背負い込んだ借金の額は、実は三千万でもまだ少し返しきれないほどであった。大手ではない金融業者の金利は、法律すれすれに高い。現在は利子を払うのが精一杯だと言う。また、強引な取り立てや恫喝は禁止されているはずだが「挨拶」と称して圧力をかけて来るグレーな経営の業者からの借り入れだってある。生真面目な椿は破産手続きをせず、なんとかやりくりしている。単純なマキは、一気に椿に同情した。

「……く、くれますよ! くれさせますよ! 何言ってるんですか、そんな事情が事情なんだから、くれさせてあげさせますよ!」
「だといいけど」
「大変だったんですね……」
「私も悪いの。もっと早く手を打っておけば、ここまでにはならなかったんだし」
「……やっぱり、私の分……ちょっとあげましょうか?」
「マキちゃんは……面白いね」
「いや、冗談じゃないですよ」
「ありがとう。でも、いいよ」
「いや、ほんとに……」

椿はベランダでタバコを吸っている藤沢を見た。アメリカンスピリッツという銘柄のタバコは葉が詰まっているため、燃焼時間が長い。妙なところでみみっちい藤沢は、フイルターギリギリまで吸う。吸殻はどうするつもりだろう、椿はそう思いながら言った。

「Cパターン……」
「はい?」
「Cパターン」
「あ! はい! Cパターンですね!」
「先だって亡くなった主人の遺品を整理していたらこれが出てきました」
「はい!」
「当選金もらって、それを……マキちゃんと……半分こする!」
「……えーーーーーっ!? ふ、藤沢さん無しっすか!」
「藤沢さん無し」
「まーじっすか! 1円も?」
「1円も」
「まじで!?」
「まじで」
「それすげー! いいっすね面白い! 椿さんやっぱ面白いですよ! ってか椿さんやっぱ怖いっすね!」
「怖い?」
「いや、いいです面白いです!」
「実は本気なんだけど」
「わはは! でもでも、こんな事言ってるの聞いたら、今度は藤沢さんが怖いっすよ」
「確かにね」
「もうね、例えるならね!」
「なに?」
「……思いつかないけど、怖いっす! うわ! まじこえー!」
「何が怖いって?」
「はう!」

藤沢がベランダのサッシを後ろ手で閉めながら戻ってきた。マキは「いやあのべつにそんななにも」と意味の分からない事を言った。Cパターンの事など口が裂けても言えない。藤沢は不審に思ったのか、もう一度訊いた。

「なにが怖いわけ?」
「いやー、あのー」
「私は、高いところが怖いです」
「あ、そういう話?」
「そうでっす!」
「何で高いとこなんか怖いの」
「理由は無いです。ただ怖いんです」
「ふーん、よく分からんけど」
「マキちゃんは、何が怖い?」

椿が巧妙に話をごまかした。が、マキは椿が話をそらしたことにさえ気づいていない。つくづく短期記憶能力が低いが、そこがマキの美点でもあった。聞かれたことに聞かれたまま答える素直なマキだった。

「あ、あたしっすか? ……むし?」
「むし?」
「虫?」
「虫。昆虫」
「トンボとか?」
「やだ! しゅって飛ぶし!」
「蝶々」
「やだ! ハタハタするし何か粉ついてるし!」
「カブトムシ」
「やだ! なんかこう硬いし羽根格納されててカタパルトから飛び出してきそうだし!」
「ゴキブ……」
「わーーーーーーっ!!」
「おー、やっぱそこMAX来るわけね」
「来ますねぇ」
「……ゴキ」
「どわーーっ!」
「……ゴ」
「どわーーっ! って、もう! やめて下さいって、ほんとに!」
「わははは」
「もう、家で出た日にゃ大変。シューって一本使い切りますからね」
「キンチョール一本?」
「ううん、プロのやつ。何とかジェットプロ」
「バカじゃ無いの? お前が死んじゃうよ」
「死にませんよ、殺虫剤じゃ」

椿が冷静に言った。藤沢は心の中で舌打ちした。こういう冗談を真面目に返すような物言いをする椿のことを、藤沢も以前なら面白がっていた。しかしさっきの「弁償」といい、最近は癇に障る。バカにされたような気にさえなる。これまで何度か「冗談は冗談で返そうよ」と言ってみたこともあるが、どうやら椿にはその概念が無く理解不能なようだった。マキはというと、いつものように何も気にならないようだ。

「もーっ! 藤沢さん、なんか無いんすか」
「え? 怖いもの?」
「そう!」
「虫が嫌いとかいう女がきらい」
「違います! 嫌いじゃなくて怖いの話をしてるんです!」
「すまんすまん、わざとだ」
「もう! えっとね、蛇!」
「財布、ヘビ皮だけど?」
「う……じゃ、百足」
「べつに。あれさ、数えたけど足50本しか無くない?」
「じゃ、鳥!」
「大好物」
「じゃぁじゃぁ、大きい……大きい犬!」
「実家でセントバーナード飼ってた。かわいいぞぉ」
「小さい犬!」
「何で大きいほう先に言うんだよ」
「じゃ、小さい……小さい人?」
「待ってそれ、子供ってこと?」
「ううん、卓上サイズの」
「居たらね。でも居ないからね」
「幽霊!」
「だから居ないからね」
「死神!」
「いいよもう居ないシリーズ」
「もおぉぉぉぉ、何か無いんですか!」

ネタが尽きたようだった。すると、黙って話を聞いていた椿が口を開いた。「おまんじゅう」と聞こえた。聞き間違いかと思ったが、確かにそう言った。藤沢とマキは固まったままだったが、椿がもう一度言った。

「おまんじゅう。怖くないですか?」
「……あはははは! 怖い! 怖いね! 椿ちゃんやるね!」
「持って来ましょうか?」
「わ、マジで? やだなー、怖いなー」
「え? 何でおまんじゅうとか怖いんですか?」
「うっせ、黙れ」
「ぶー」
「持って来ちゃいますね」
「やめてー。怖いー」

椿は奥の部屋に行ってしまった。落語の「まんじゅうこわい」を知らないマキは藤沢に何? 何? としつこく聞いて来たが、こいつはまた椿とは別の意味で話が通じずめんどくさい。こういう事は説明した途端に面白く無くなってしまうのに。だから「ダチョウ倶楽部だよ」とだけ言った。それでもマキが「おでんじゃなくて?」と食い下がるので、ポケットから100円玉を出しテーブルにパチンと置いた。

「これやるから5分黙ってて」
「えー?」
「黙れ」
「……」

椿が盆を持って戻って来た。その盆には尋常じゃない数の「まんじゅう」が、山盛り載っていた。藤沢はそれを見て一瞬あっけにとられたが、まんじゅうの山脈がテーブルに置かれた途端、大爆笑した。

「あっはっは!! 盛ったね! 椿ちゃん!」
「盛りました」
「わざわざ買って来てたの?」
「はい、藤沢さんいらっしゃるから怖がらせようと思って」
「わーい、こわ〜い! すごい、色々ある!」
「何がいいか分からなかったから、色々用意しました」
「じゃぁ、まずね、やぶれまんじゅうが怖いかな!」
「お茶、入れて来ますね」

椿がそういい終わる前に、藤沢は包みを乱雑に解き一口でまんじゅうを頬張った。そして数回噛んだだけで飲み下してしまった。次は黒糖まんじゅう。次はかるかんまんじゅう。よもぎまんじゅう。口の中に吸い込まれていくようだった。藤沢は世の中の食べ物の中で、まんじゅうが一番好きだと言っていたが、その食べ方は病的と言ってもよかった。目を丸くしていたマキが、急に大声を上げた。

「あーーっ! そうか! 分かった! あれだ!」
「何だよ」
「あれでしょう? 本当は押して欲しいのに、押すな押すなって言うやつでしょう?」
「いいからもう」
「そうかーそういうことかぁ。やっと分かった。てか藤沢さん、あんこなんか好きなんですね。意外。かわいい」
「余計なお世話だ」
「私だったらぁ、焼肉怖い! あ、生ビールも怖い!」
「うるさいなお前は、もう。100円返せ」
「あーっ、黙ってた分の50円下さいよ」
「図々しいな!」
「だって一回くれるって言ったじゃ無いですか」
「やらない」
「全部とは言いませんから」
「うっせ、あのね、条件をクリアしてないんだから1円だってやらないよ!」
「けちー」
「本来お前さんに金を払う義務などございませんので、ビタ一文あげません」
「けちけちー」
「けちで結構!」
「もらえないんですか?」

椿がお茶を持って戻って来た。盆の上には湯のみが二つ。柄と大きさから夫婦茶碗のようである。焙じ茶の香ばしい香りがした。

「あったりまえだよ、何でやらなきゃいけないの」
「1円も?」
「そ、1円も」
「1円も、もらえないんですか……」

椿はつっ立ったままで、なかなかお茶を渡そうとはしなかった。藤沢はもう7つほどまんじゅうを食べていたので、結構ノドが苦しい。「ありがと」と、そのお茶に手を伸ばそうとしたが、椿はスッと盆を引き藤沢から遠ざけた。妙な間があったが、先に口を開いたのは藤沢だった。

「あっ! そうか、ごめんごめん。熱いお茶が一杯怖い!」
「お茶、怖いですか?」
「うん、怖い。今切実に怖い」
「……いいんですか? 本当に怖いですよ?」
「あ、ほんとに熱いの?」
「いいえ、ぬるくしてあります。藤沢さん、ねこ舌ですから」
「お、気が利くぅ。やるね椿ちゃん」
「やりますよ。やるときは」

椿は少しだけ迷って、男物の方の湯のみを藤沢の前に置いた。そしてなぜかマキを見て僅かに笑った。藤沢は湯のみを両手で持ち、念のため少し啜って熱くない事を確認した。

「おー、怖いね。素晴らしく怖いわぁ、このお茶」

そう言うと、藤沢は湯のみのお茶をゴクゴクゴクッと飲み干した。そして深呼吸をし、「はぁーっ、なんて……」とまで言うと、手から湯のみを滑り落とした。そして自分自身も、吊り糸が切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。ドサッという鈍い音と、頭を打ち付けたゴン! という音がほぼ同時に聞こえた。口角から血泡が流れ出ている。マキは驚いて立ち上がった。

「藤沢さんっ!?」

椿は、女物の方の湯のみのお茶を「ずずず」と啜ってから言った。

「だから、怖いって言ったのに」
「……!」

椿は、これまでに見たこともないような満面の笑みを見せた。その目尻には、深い皴がざっくりと刻まれていた。

***

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