すべての夜に、朝は来る。
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記事:オノカオル(ライティング・ゼミ平日コース)
「ヒカリ、亡くなったらしい」
電話口の友達はそう言った。
“らしい”という語尾に、彼の動揺が表れていた。
寝ぼけまなこで受けた電話だった。
目をこすりながら、「うん」とか「ああ」とか、
「わかった」などと生返事を繰り返して、電話を切った。
2007年。4月も終わりのある夜のことだった。
僕はまだ社会人2年目を迎えたばかりで、
昼夜のない、寝不足がつづく毎日を過ごしていた。
口の中がネバつき、息も少しくさい気がして、
そばに置いてあったコーラをひと口飲んだ。
気が抜けていて、まるで味を感じなかった。
洗面所に行って顔を洗った。
いつもより多めに歯磨き粉をつけて歯も磨いた。
乱暴に磨いたものだから、歯茎から血が滲んだ。
ヒリヒリと痛い。やっぱり夢じゃなかった。
ヒカリはどうやら、死んだ“らしい”。
ベッドの上に置いてあったガラケーが、
薄暗がりの中で光を放っている。
取り上げてメールを開く。
ミサの日時と場所が事務的な文章で綴られていた。
僕は「了解」とだけ打ち込んでメールを返し、
またケータイをベッドに放り投げた。
不思議だった。なぜだか悲しくないのだ。
涙も出てこない。僕も動揺しているのだろうか。
考えるのも面倒くさくなって、僕はまた無理矢理寝ようとした。
僕が東京の大学に出てきたのは、2001年のことだ。
外国語で有名な私大のスペイン語学科に入った。
入学当初から、ヒカリは目立っていた。
スラリと高い身長。健康的な褐色の肌。
そしてハーフならではの、掘りの深い端正な顔。
スペイン語圏のハーフだったヒカリは、
入学段階で既にスペイン語がペラペラだった。
なんでわざわざスペイン語学科に入ったのか、と思う程に。
そして年もみんなよりやや上だったせいか、
みんなの中では完全に“お姉さん”的な役割を担っていた。
そして、よく笑う子だった。
花が咲いたみたいに笑う女の子だった。
学籍番号が近かったから、
ヒカリとは色んな授業の席が近かった。
授業中でも、学食で見かけても、
ヒカリはいつだってよく笑っていた気がする。
人との距離も近い子だった。
入学式の日から、僕は下の名前を呼び捨てで呼ばれた。
これはもう、北海道から上京して来た童貞男子からすると、
カルチャーショック以外の何物でもなかった。
「東京では、初対面の相手にもフレンドリーで、
ファーストネームで呼び合うわけで……」と、
北の国からの純さながらに、存在もしないガールフレンドへ
手紙を書きたくなるくらい、
必要以上にカルチャーショックを受けていた。
そんな、人懐っこくてやたらと面倒見がいいヒカリ。
2年生になると当然のようにヘルパーに立候補し、
積極的に学部の後輩たちの面倒を見るようになった。
スペイン語がペラペラで海外経験もあるヒカリには、
まさにうってつけの役だった。
後輩の誰からも慕われ、誰に対してもヒカリは笑顔だった。
3年生に上がる時、僕はアルゼンチンに留学することを決めた。
出発前、旅立つ僕にヒカリは言った。
「楽しんできてね。きっとあっという間の1年だよ!」と。
その時もやっぱりヒカリは笑っていた。
正直、不安しかなかったけど、
ヒカリがそう言うなら大丈夫かもしれない。
もしかしたらあっという間かもしれない。
そんなことを思って、僕は地球の裏側へと飛び立った。
留学中、ヒカリは時々メールをくれた。
スペイン語でメールをくれて、
僕の語学の上達に驚いてくれていた。
表現が派手で、文字を見つめているだけで
ヒカリの笑い声が聞こえてくるようだった。
2004年。僕は無事に1年の留学を終え、帰国した。
1年振りの新宿駅に、見慣れた顔が揃っていた。
大学の仲間たちが“お帰りなさい会”を開いてくれたのだ。
その中に、ヒカリもいた。
今でも覚えている。
東口の広場前にみんながいて、
僕が手を振るとみんなが振り返してくれ、
ヒカリは「おかえり〜!」と言いながら
ギュッとハグしてくれたのだ。
彼女からは、いい匂いがした。
なんというか、太陽の匂いがした。
南米ではみんな、当たり前のようにハグやキスで挨拶をする。
だから僕自身はそこまで動揺しなかったが、
周りにいたみんなはちょっと驚いていた。
「ヒカリ! 大胆!」とみんなが笑っていた。
「あ、ごめんね! でも南米にいたんだから大丈夫でしょ?」
と、ヒカリも悪戯っぽく笑った。
なんかいい匂いがしたと、僕も顔を赤くして少し笑った。
2005年。留学の関係で卒業が1年遅れた僕を置いて、
同学年だった仲間たちが卒業していった。
卒業式の日、袴を着たヒカリを見つけて声を掛けた。
卒業後は国際協力に関係する仕事に就くという。
「なんだ、また結局人の手助けか、ヒカリらしいや」
と僕は思った。
だけど「袴、似合ってるよ」とだけ言って、
ヒカリも「またまた〜」とか言って、手を振って別れた。
そしてそれが、最後になった。
雨なら行くのをやめようか。
そんな風にも考えていた当日、外は見事な快晴だった。
僕は黒いネクタイを締めて渋谷へ向かい、
田園都市線に乗り換え、鷺沼の駅から教会へと向かった。
これから葬式に行くなんて、
にわかに信じられないぐらいによく晴れていた。
坂を上がった小高い丘の上にある真っ白な教会が、
青い空によく映えていたのを覚えている。
久々に、みんなに会う。
こわばっていた顔が、知った顔によって少しずつほぐれていく。
僕らは言葉少なめに再会を喜び、おごそかに式を迎えた。
カトリックの葬式は、歌を幾度も歌う。
顔を上げて親族の方を見ると、列の端っこに見覚えのある顔がいた。
まーくんだった。ヒカリの彼氏である。
大学在学中から付き合っていたから、僕らもよく知っていた。
まーくんは眉間に皺を寄せ、肩に力を入れて立っていた。
そうでもしてないと今にも泣き出すか、崩れ落ちそうに見えた。
まーくんもヒカリと同じく、いつも笑顔の男だった。
年も上だったから、みんながまーくんのことを
兄貴のように慕っていた。
そんなまーくんが、見たこともない表情を浮かべていた。
献花の瞬間がいちばん辛かった。
僕らは順々に親族の方々に頭を下げた。
一緒に学食で280円のカレーライスをほおばっていたまーくんは、
目を真っ赤にしながら僕らを見て頷くだけだ。
何か声を掛けてあげたかったが、誰も何もできなかった。
初めてヒカリのお父さんとお母さんに会ったけど、
辛すぎて顔をまともに見ることができなかった。
ヒカリはそれこそ、眠ったように棺の中にいた。
少し痩せただろうか。でも綺麗な顔をして目を閉じていた。
僕は少しだけ、「苦しそうな顔をしてなくてよかった」と思った。
ふと気づくと、僕らの学科の女の子が棺の前で動けなくなっていた。
その子はヒカリの親友だった。つい最近もヒカリに会っているはずだ。
さっきまでは気丈に受付をしていた。
いまは片手で自分の口を覆い、
ジッとヒカリの顔を見つめたまま、
棺にかがみ込んで動かなくなっていた。
「だって、起きそうだよ?」
その子は言った。声も肩も震えていた。
もう片方の手に握っていた白い花が小刻みに揺れていた。
僕らはその子を抱きかかえるようにして献花を済ませた。
お父さんもお母さんも、その様子を見て泣いていた。
自分の番が来て、花を供えたとき。
ずいぶん今日は静かだな、とヒカリに向かって呟いてみた。
今すぐガバッと起き上がって、こんなのウソだと言ってほしい。
いつものように笑顔で、舌を出して笑ってほしい。
少しだけ顔を近づけた。
やっぱりいい匂いがした。
太陽の匂いがした。
ミサは、あっという間に終わった。
僕らは男女8人ぐらいで帰路に着いた。
田園都市線に乗り込み、渋谷まで行った。
みんな何も喋らなかった。
そうして渋谷に着いたものの、誰ひとり帰ろうともしない。
近くにあったカフェに入り、ご飯を食べたり、酒を飲んだりした。
人間は不思議だ。
どんな時でも喉は渇くし、腹は減る。
そしてみんなで、ヒカリの話をした。
口をつくのは楽しい思い出ばかり。
誰かが話したヒカリのドジなエピソードが面白すぎて、
ふとした瞬間、みんなでハハハと笑った。
それがきっかけで、
みんな遠慮なく笑うようになった。
そうだ、ヒカリはいつでも笑ってた。
だから、悲しんだりふさぎ込むような話は出てこない。
こんな時まで、ほんとによくできたヤツだ。あいつは。
「よし」と僕に電話をくれた友達が言った。
「そろそろ帰れるわ。俺、もう行くよ」と。
彼は確かに、“帰れる”と言った。
そう。笑うことができてはじめて、
ようやく僕らはかえれるのだ。
かえることができるのだ。
渋谷の駅前では、当時流行っていた
フリーハグをしている外国人や日本人が多くいた。
看板を持ち、時折両手を広げて、見知らぬ誰かを受け止めている。
僕はその時、なぜか留学から帰ったばかりの頃の
新宿駅でのヒカリの姿を思い出していた。
あの日、僕は照れてすぐ体を離してしまったけど、
もっと長く強く抱きしめてもらえばよかった。
こんなことになるなら。こんな気持ちになるなら。
あるいはギュッと抱きしめてあげることで
彼女が死ななくて済んだなら、
僕はきっと何万回だって彼女をハグしたと思う。
そんなことを思った。
もうみんなもいなくなっていたから、
僕は少しだけ泣いた。
それから数ヶ月して、人と会う約束があって渋谷に行った。
スクランブル交差点にはいつものように人が溢れていて、
ハチ公口からTSUTAYAの方へと僕は交差点を渡っていた。
ふと交差点の向こう側に、見知ったシルエットを見た気がした。
「まーくん?」と僕は思わず呟いていた。
彼は“FREE HUGS”と書かれた紙を胸の前に掲げ、
人混みの中にひとりで立っていた。
その姿は、あの日のまーくんそのものだった。
肩に力を入れて、今にも泣き出しそうな顔で、
彼はそれでも立っていた。
ゆっくりと近づいていく。目が合う。
「まーくん?」と僕は声を掛けた。
「まーくん?」と相手も返してきた。
どうやら人違いだったらしい。
僕も疲れていたのかもしれない。
僕は人違いを謝った。
その彼は、なんだか寂しそうな顔をしていた。
「なかなかみんな、してくれなくて……」
と彼は笑いながら言った。
このナイスガイに、何が起きたんだろう。
なんでこんな人混みの中で、ひとりぼっちで、
見知らぬ誰かをあっためようとしてるんだろう。
「まーくんはいま、泣けているのだろうか」
そんなことを、僕はふと考えた。
逝く方も辛かっただろうけど、多分残された方はもっと辛い。
まーくんはちゃんと、泣けてるだろうか。
「ちょっと、やってもらっていいですか?」
僕は彼にそう頼んだ。
彼は照れながら、でもすごくうれしそうに、
「もちろん」と言ってその大きな両手を広げた。
渋谷のど真ん中で、男同士で抱き合った。
その日もよく晴れていた。
彼からも、太陽の匂いがした。
この次の週末、2017年の4月30日。
母校の大学内にある教会で、10年目のミサが行われる。
彼女をあの頃に残したまま、僕らだけ歳を取っていく。
色んなことを忘れて、あるいは大切なものを失って、
それでも毎日を生きていく。
ひとが“記憶の中で生きつづける”なんてことは、
もしかしたらキレイごとなのかもしれない。
それでも。
多分僕は、彼女のあったかい匂いを忘れない。
すべての夜に朝をもたらす、太陽の匂い。
決して忘れはしない。
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