愛すべき頑固じじぃ
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記事:能勢 ゆき (ライティングゼミ 日曜コース)
「なんや、俺はしんどいねん! ほっといてくれや」
大声が耳を叩く。あぁ、またか。人を貶すような上から目線の暴言、その後に続く大きなため息。この台詞もう何回聞いただろう。その溜息が周りの人を不快にさせていることに気付いていないのだろうか……。苛立ちに似た思いが私の中を駆け巡っていく。これが私の日常だった。
私は、生まれたときから祖父母と暮らしていた。共働きで忙しい両親に代わって祖父母が育ててくれたため、完全なおじいちゃん・おばあちゃん子である。そんな訳でほとんど寂しい思いをしたことがないのだが、一つだけ許せないことがあった。それは祖父の言動である。
祖父はとにかく頑固で子どもっぽい人だった。祖母がせっかく作ってくれたご飯も気に入らなければ難癖をつけて残す。そのことに注意をすれば「じゃあ、もう食べん!」と拗ねてしばらく口を利かなくなってしまう。また祖父は祖母の足代わりでもあったのだが、機嫌が悪いと面倒だと文句をたれ、一切動こうとしない。感情の起伏が激しい人であったため、家族であるにも関わらず、気を使わなければならないことが頻繁にあった。
祖父のそのような目に余る言動に怒りを覚えた私は、一度祖母に尋ねたことがある。
「何でじーちゃんと別れへんの? 熟年離婚でも別居でも何でもすればいいのに。家事だって全然手伝わへんやん。あんだけ怒鳴られたらしんどいやろ?」
すると祖母は少し考えてからこう答えた。
「勿論しんどい時もあるけど、これが当たり前やったからなぁ。あの人は私がおらんかったら生きていかれへんから、ちゃんと世話したらんと」
祖母はえらい。私だったらもうとっくに別れか家を出ることを選択している。確かに祖父母が生きた時代は「男は外で働き、女は内を守る」という文化が当然であったのだから、多少の横暴な態度をとってしまうのは止むおえないことなのかもしれない。それでも自分の身の回りの世話を全てしてもらっておいて感謝の気持ちを態度で示さない祖父にうんざりしていた。
そんなある日、祖父が体調不良を訴えた。病院に連れて行くと風邪から肺炎を起こしているため検査入院が必要だと診断された。私は祖父のことを心配すると同時に不謹慎にも正直よかったと思っている自分がいることに気付いた。何だかほっとした。あの口うるさい祖父がしばらく家にいないのだ。それにああ言えばこう言う元気な祖父がまさかすぐ死ぬわけなんてない。こんな風に悠長に構えていた私は、この後事態が急変することにまだ気づいていなかった。
数日後、検査の結果が出た。診断は末期の肺癌だった。いきなりのステージ4宣告だ。延命治療かホスピスでの緩和治療、どちらを行うのかなるべく早く決断してくださいだって。初めは信じられなかった。嘘だろ、あんなに元気だったじゃないか。これは悪い冗談だって言ってくれよ、なぁ。
しかし日に日にやせ細っていく祖父。血管が浮き出した棒のように細くなった手足。苦しそうに何度も咳を繰り返し、痰を吐き出す。激しい痛みで喘ぎ声を上げる祖父を目の前にして、ようやく夢ではないことを自覚する。祖父の身体は、早くも癌という名の悪魔に蝕まれ始めていた。
私たちは家族会議を開いた。話し合いの結果、祖父をホスピスに入れることに決めた。理由はたくさんあるが、一番はやはり祖父を苦しみからできるだけ早く解放してあげたかったから。だが問題は、このことを祖父に伝えることである。祖父はどんな反応をするだろうか。
「じいちゃん、あんな、しんどいんは癌が原因やって。ちょっとでも痛いのなくすためにこれから病院移るで。ホスピスって知ってる?」
祖父はきょとんとしていた。ピンときていないようだった。いや、現実から目を背けようとしていたのかもしれない。ただ一言「個室になるんか?」と呟いた。「うん。めっちゃ広いで。伸び伸びできるなぁ」と返せば、「そやなぁ。嬉しいわ」とほほ笑んだ。祖父のこんなに優しい顔を見たのは、久しぶりだった。
ホスピスに入ってからは、毎日かわるがわるに家族や親せきが病室に顔を出した。祖父はとても嬉しそうだった。時々激しい痛みが襲ってくるようでその時は顔をしかめて、もがき苦しむのだが薬が効いている間は、大病を患っていることがまるで嘘のように元気に振舞っていた。相変わらず口は達者で、来る人来る人に昔の武勇伝を語っていた。
「早く家に帰りたいから、元気にならんとな。ご飯しっかり食べて体力つけるわ!」祖父は、前を向いていた。このことには正直、驚いた。痛みにはとことん弱く、少し風をひいたくらいでしんどい、しんどいと嘆いていた人が癌という大きな病気と一生懸命闘っている。そんな祖父の姿を見て、私も「頑張れ」と励まし続けた。病室はいつも賑やかな笑い声が響き、優しく穏やかな時間が過ぎていった。
そんな風に日々頑張っていた祖父であったが、病室に私と二人きりになったある日、突然弱弱しく呟いた。
「俺、多分もう長くないわぁ。頑張ってるけど体が言うこときかへん。今までで一番しんどいわ」と。
私は努めて明るく「ないない。じーちゃんがそんな簡単に死ぬわけないやん。せやけどもしぽっくり逝っても、幽霊になって枕元に立つ事だけはせんでな!」と返した。
「ははは。そーやなぁ、頑張らなあかんな。でも死んだら枕元に立って、挨拶したるわ!」
そうやって冗談を抜かしながら二人で笑いあったが祖父の目には、微かな寂しさが宿っていた。これが祖父が癌になってから吐いた最初で最後の弱音だった。
次の日から祖父は見舞いに来てくれる家族や親せき、友人たち一人一人に「来てくれてありがとう」「嬉しい」「本当に感謝している」といった言葉を繰り返し、繰り返しかけていた。祖母に対しては泣きながら、ずっと謝っていた。「本当にお前には、世話になりっぱなしやった。頭が上がらんわ。怒鳴ったりしてごめんな。ごめんな……。ありがとう」
あぁ、そうだった。この人は、とても不器用なのだ。根は優しいのに上手く表現できなくて、いつも結局喧嘩になってしまうのだ。ありがとうとごめんを紡ぐ祖父の姿を見て、今まで祖父が私にしてくれた数々のことが走馬灯のように頭をよぎった。
保育園まで毎日送り迎えしてくれたこと。休日、父母が不在の時は公園や博物館に連れて行ってくれたこと。若いときの経験談などを面白可笑しく聞かせてくれたこと。学校で体調不良になった時、心配して駆けつけてくれるのも病院に連れて行ってくれるのも祖父だった。
「じいちゃん、私の方こそありがとうやで。私が今ここにおるのもじいちゃんが世話してくれたおかげや。感謝してる。もう痛いの我慢せんでええんやで。はよ楽になりぃ。長い間、お疲れ様。ゆっくりお休み」
呼吸器を付けられ、意識も朦朧とする中でも最後の力を振り絞って祖父は唇を動かしていた。音としては聞き取れなかったが、それはまぎれもなく「ありがとう」だった。
数日後、祖父は眠るように息を引き取った。こん睡状態に入り、痛みも感じていなかったようなのでそのことが救いだった。祖父は会いに来てくれた全ての人に「ありがとう」と伝えた。そしてたった一度を除いて、弱音も一切吐かなかった。彼の死にざまは、かっこよく美しかった。何度も何度もぶつかったけれど、それでもやっぱり大好きなじいちゃんやった。
親愛なる頑固なじいちゃんへ
元気にしてる?そっちでは快適な暮らしをしてるんかな。じいちゃんがおらんくなってから、家がとんでもなく静かでびっくり。
「じいちゃん、かっこよかったで」と最後に言ってあげれなかったから、いつか再会したときにこの言葉プレゼントするわ。でもちょっぴり照れくさいから、キャッチボールでもしながらね。野球が大好きやったじいちゃんのためにお土産はグローブで。それまでちょっと待っててね。しっかり空から見守っててや。
追伸:幽霊になって出てくるのだけは、かんにんな。(笑)
宛先のない手紙を認めて今日も出かける。
今、どうしようもなく愛しい頑固なじいちゃんに会いたくて仕方ない。
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