お母さんだって弾けたいんだ!
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記事:うらん(ライティング・ゼミ)
ひろみちゃんは、もうすぐ二十歳になる。ほがらかで、いつも大きな声で挨拶をしてくれる気立てのいい女の子だ。
長い艶やかな髪が秘かにご自慢らしい。毎日違うスタイルに編み込んでいる。使っているのは何色ものヘアゴムだ。それであっちを留め、こっちを留めなどして、愛らしくキメてくる。
毎朝、彼女のお母さんが20分かけて編み込んでくれるのだ。
彼女のお弁当も目を見張る。なにより彩りが美しい。
卵の黄色、ブロッコリーの緑、プチトマトの赤……などといった、定番で簡単な彩りではない。鮮やかな黄色の卵焼きの中に、ときには桜えびが入り、また、ほうれん草が入ったりする。お弁当のプチトマトは温まって美味しくない。だからと、人参のきんぴらや赤パプリカのマリネが、それに代わっている。
詰め方も粋だ。ある日は、ウィンナーを中心に花のようにおかずやご飯が詰めてある。またある日は、市松模様のように詰めてある。
とにかく、お弁当の見た目が華やかで美しい。
ひろみちゃんには、軽度の知的障害がある。肢体が不自由なこともあって、車椅子での生活だ。
そして、生まれた時から、目が不自由なのだった。
私は、重度障害者福祉施設で、三ヶ月ほど仕事の手伝いをしたことがある。病欠の職員の代わりだ。
ひろみちゃんは、その時に施設に通っていた利用者(施設に通う障害者の皆さんのことを、そう呼んでいた)の一人だった。
私の主な仕事は、利用者の補助である。車椅子を押したり、トイレの介助や作業の付き添い等をする。
食事のサポートも、その一つだった。
目の不自由なひろみちゃんには、まず右手にフォークを持たせ――このフォークもまた可愛らしい柄だ――、左手をお弁当箱に当てて、あとは「左の手前にご飯がありますよ」とか、「ハンバーグがその隣にありますよ」などと言ってあげれば、だいたい一人で食べられる。
初めてひろみちゃんのお弁当箱を開けた時、その彩りの美しさに、私は思わず「わぁ、きれい!」と声をあげてしまったものだ。
そんなお弁当が、毎日、毎日。そして、毎日可愛らしく編み込まれた髪。
ひろみちゃんには、それらが見えない。
それでも。
母親というのは、そういうものなのだろう。
ひろみちゃんばかりではない。
マサユキくんは、26歳になる。全くの寝たきりで、寝台に横になった状態で施設に通ってくる。話をすることができない。ものを噛んで食べることができない。
市販の流動食もあるのだけれど、それでは寂しい。家族と同じものを食べさせたい。手作りのものを味わってほしい。そう思ったお母さんは、毎食ハンドブレンダーを使って、マサユキくんの食べる物をトロトロに撹拌する。
だから、彼が持ってくるのはタッパーに入ったトロトロのお弁当だ。これを、私がスプーンですくって彼の口まで運ぶ。
いちど、味見をさせてもらったことがある。見た目はドロドロなのに、ロールキャベツはロールキャベツの、筑前煮は筑前煮の味がする。ああ。これがお母さんの味なのか。
お母さんは、マサユキくんに季節の行事も楽しんでほしいらしい。クリスマスには、シュトーレンをハンドブレンダーにかけていた。
マサユキくんがクリスマスを理解しているかどうかは分からない。
それでも。
母親というのは、そういうものなのだろう。
施設では食事が出ないので、利用者の皆さんのほとんどがお弁当持参だ。多くが、ご家族の作ったものを持ってくる。
カズエさんは、21歳。見た目が春高バレー選手にでもいそうな雰囲気の、健康的な女の子だ。
知的障害がある。
カズエさんのお弁当は、毎食決まっている。コンビニのサンドイッチと牛乳だ。カズエさんを施設に送ってくる途中で、お母さんが買う。毎日、毎日、本当に毎日、同じものを持ってくる。四角いプラスチック容器に入った、ハムとレタスのサンドイッチ。それと200mlの牛乳。
カズエさんがそれを好きなのかどうかは、分からない。容器を包むラップを剥いてあげると、あとは、空の一点を見つめてバクバクバクっと一気に食べてしまう。
他の職員さんたちが、眉をひそめてよくこんなことを言っていた。
「カズエさんのお母さんったらねぇ……」
「もう少し、お昼ご飯に心を配ってあげればいいのに」
「いくらなんでも、あれではカズエさんが可哀そう」
そうなのだろうか。
カズエさんのお母さんはひどいのだろうか。手を抜いていると言ってしまえるのだろうか。
私はお母さんを非難できない。
私たちは、母親というものに「思い込み」のようなものを持っている。過度に期待を寄せている。母親は子どもに尽くすものと信じている。
考えてみてほしい。
障害のある子どもを持った母親の負担は、想像を超えるものがある。通常の親としての役割のほかに、実に多くの役割が期待されるからだ。
まず、日常生活を介助する。食事の世話から着替えやトイレ、入浴など、障害の度によっては、つきっきりになる。
それから、場合によっては、リハビリや痰の吸引といった、その職の専門家みたいな役割も担わなければいけない。
そして、子どもと社会とのパイプ役もする。意思を伝えられない彼らに代わって、家族だけが分かる以心伝心のようなものでそれをくみ取る。そうして家族以外の人たちに伝える。
社会との仲立ちはそればかりではない。
先日のことだ。奇声をあげながら駅のホームを足早に歩く青年を見かけた。その場にいた人たちが、奇異な目で見ている。少し離れた後ろを、年配の女性がやはり足早に歩いていた。母親なのだろう、青年を見失わないようにと必死の形相だ。歩きやすいようになのか、運動靴を履いている。カバンは背負う型のもので、白いものが混じった髪は、後ろでひっつめだ。ただ子どもを追いかけるためだけのファッションのように見えた。この方は、もうずっと長いことこうした格好なのだろう。
青年が他の人に迷惑をかけてしまわないよう、気を遣っているのが分かる。それでも青年が奇声を発すると、人々は母親の方を見るのだ。
「母親、何やってんだよ」とでも言わんばかりに。
常にこうして、母親は社会からの無言のプレッシャーに晒されている。
更に、親は子どもの生活を、一生分の生活を組み立てる役割も担う。成人したらハイ終わり、ではない。親亡き後のことまで含めて考える必要があるからだ。何より気がかりなのが、自分たち亡き後の彼らの行く末なのだろうから。
どんなに、どんなに手立てをうっても、親の心配は絶えそうにない。
親亡き後の子どもの行く末を憂いた言葉で、「子どもより一日だけ長く生きていたい」というのがある。
本音なのだろうけど……。
――ダメだ。
ダメだ、ダメだ。
母親にそんなことを言わせてはいけない。
障害があるということも、障害者の家族になるということも、偶然のものである。本人が選択したものではない。
それなのに、家族は人生設計を変更しなければならないことだってある。
ことに母親は、性別の役割分担も絡むから尚更だ。自身の生活はそっちのけ、「障害者の親」という一面だけが突出した人生を送っていたりする。
子どもの介護者だとか療育担当者だとか、そんな「役割」や「機能」そのものになっている。一人の人としての自分を、封印しているかのように。
本当は、ヒールの高い靴を履きたいのかもしれない。友人と外食したい、習い事をしたい、映画を観たい、旅行したい……。そんな欲求は諦めている。いや、はじめから、そうした気持ちにはフタをしているのかもしれない。
「お母さん」だって、母親であると同時に一人の人だ。生活や人生の場面で、諦め、諦め、諦めの連続では、自分というものの存在がぼやけてしまう。生きる目的が分からなくなってしまう。
お母さんだって弾けたいんだ。
母親が子を思う気持ちは無尽蔵だというのは、偽りのないことかもしれない。だからといって、丹精込めたお弁当を作る母親に感動し、毎日同じものを買って持たせる母親に渋い顔をするというのは、どうだろう。少し短絡的なような気がする。
誰も、カズエさんのお母さんを怠惰だと非難する資格を持たない。
たまたま私の仕事が最後の日、カズエさんのお昼ごはんに、いつものサンドイッチと牛乳の他にヨーグルトが一つ添えてあるのを見た。
カズエさんのお母さんに、何かいいことがあったのかもしれない。
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