ジーナに憧れて―60代でジャズを歌う私へ―《絶対麗度ライティング》
*この記事は、「絶対麗度ライティング」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:紬野 しずく(絶対麗度ライティング)
お正月、実家でのんびり過ごしていたときのことだった。
「この人知ってる?」
父がそう言って、雑誌のページをこちらに向けた。
「え、知らない」
「昔から有名な人なんだよ」
ページには、心療内科医でありながらジャズシンガーとして活躍している60代の女性が微笑んでいた。
その年齢に、私は少し驚いた。
「わたし、子どもの頃ジャズシンガーになりたかったんだよね」
「そうだったんだ。そういえば小さい頃、よく歌ってたなあ」
「今年こそジャズボーカルレッスン始めるわ。この雑誌ちょうだい」
そう言いながら、私はそのページをしばらく眺めていた。
そのとき、子どもの頃のある記憶がふっとよみがえった。
小学生の頃だっただろうか。
ジブリ映画『紅の豚』を観て、私はジーナに憧れた。
夜のレストランで、静かに歌うジーナ。
大人の空気の中で、たった一人、ステージに立っている姿。
ガヤガヤしていた店内が、ジーナが歌い出すとふっと静まりかえり、客たちはうっとりと聴き惚れていく。
その歌声に、みんな癒されていくのだった。
「いつか、あんな風に人前で歌えたらいいな」
そのシーンで加藤登紀子さんが歌う「さくらんぼの実る頃」。
ジャンルはシャンソンらしいけれど、そんなことはよくわからない。
ただ、とにかくジャズシンガーというものに憧れていた。
大人になり、ジャズバーに出入りできる年齢になると、女性ボーカルが歌う日を選んで、ふらっと聴きに行くようになった。
薄暗い店内。
グラスの音。
ピアノの伴奏。
60代くらいのシンガーが、しっとりと失恋の歌を歌う。
「いつかあんな風になりたい」
でも、ふと我に返る。
「“いつか”って、いつなんだろう」
そう思いながら、私は何年も同じことを思い続けていた。
音楽で感情を表現したくて、楽器もいろいろ習ってみた。
ピアノ、ギター、ヴァイオリン。
けれど、どれも人前で披露できるほど上達することはなかった。
あまり練習しなかったというのが大きいけれど、どうやら私はあまり器用ではないらしい。
(ということにしておこう。)
それでも、音楽で感情を表現したいという気持ちは、どこかにずっと残っていた。
歌うことは好きだ。
そして、歌はよく褒めてもらえた。
だったら、歌でいいじゃないか。
歌は究極の感情表現だ。
強弱も自由。
声色で感情を乗せられる。
そして、身ひとつでいつでもどこでも表現できる。
今年の目標の一つに、私はこう書いた。
「ジャズボーカルレッスンを始める」
そして、2月から始めることにした。
初めてみると、これが驚くほど楽しい。
歌うって、こんなに元気になるものなのかと思う。
先生は50代くらいの女性で、とても素敵な人だ。
レッスンはジャズの歴史や、その歌が生まれた背景から始まった。
正解はない。
上手く歌おうとしなくていい。
大きなフレーズの流れの中に入っていれば、自分の好きなタイミングで歌えばいい。
そんなジャズの大らかさも好きだ。
そして、このレッスンにははっきりとしたゴールがある。
それは、ステージでプロのバンドと一緒に歌うこと。
今年の夏の発表会では、もうステージに立つことが決まっている。
ドキドキするけれど、確実に夢に近づいている。
夢ってなんだろう。
なりたいものってなんだろう。
小さい頃、なりたいものはたくさんあった。
ケーキ屋さん。
パン屋さん。
ピアニスト。
バレリーナ。
そして、お医者さん。
その中の一つに、ジャズシンガーがあった。
なりたいものや、やりたいことって、ずっとどこかで気になり続けているものなのかもしれない。
それを見ると、少し胸があたたかくなるもの。
疲れていても、なぜか頑張れてしまうもの。
やってみると、逆に元気をもらえるもの。
やってみたら違うと思うこともあるだろう。
でも、やってみたからこそわかることもある。
今年、私はまた少し、なりたい自分に近づいた。
いつか。
ジャズバーのステージで、しっとりと失恋の歌を歌う60代の自分を思い描きながら。
その日のために、
今日も私はお風呂でひとり、熱唱している。
***
この記事は、天狼院書店の「絶対麗度ライティング」にご参加の方が書いたものです。
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