出来損なった比喩と、書くことについて
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:ぢゃっきー(ライティング・ゼミ日曜コース)
「文章を書くことは、ゴミ捨てである」
ライティングゼミ初日、ワークショップの時間に私はそんなフレーズを思いつき、すぐに自分でそのフレーズをボツにした。「村上春樹のモノマネみたい」と思ったからだ。
結局、その後のグループワークで、私はほとんど発言しなかった。「なぜこのゼミを受講したんですか?」と、同じグループの方がにこやかに聞いてくれた時も、「仕事で使えそうだから……」と適当な答えをモゴモゴと呟いた。
お盆の最中に、池袋の天狼院書店に集まった人たちは、みんな親切で前向きなエネルギーで満ちているように見えた。もちろん実際にどうだかは分からないが、少なくとも私の目にはそう見えた。文章で何かを表現したい人というのは、こういう人たちなのだろうか。だとしたら、やはりこの講座を申し込んだのは間違いだったかもしれない。少し卑屈な気持ちで私は思った。
私にとって、文章を書くということは日々のゴミ捨てのようなものだったのだ。
情けない失敗や腹立たしい出来事も、ネタにしてしまえばどうってことはない。毎日起こった事や考えたことを、面白おかしくブログやSNSに綴って、それで私はなんとなく満足をしていた。
何かを表現したいという強い欲求があるわけではない。文章を仕事にしたいというわけでもない。ただ、心の中のゴミを文章という形に置き換えることが出来れば、曖昧模糊としていた自分の気持ちがくっきりと形どられることを、私は経験則で知っていた。
けれども、本当に捨てたいゴミというのは、なかなか直視できないものである。
ゴミの日に出しそびれてしまって異臭を放つような、何が腐っているのかも分からなくて、ゴミ箱の蓋を開けることすら憚られるような、そんなおりのように溜まった心の奥底の淀みは、見て見ぬふりを続けるうちに私の中で発酵を続けていた。
早く捨ててしまいたかった。
いつものように、面白おかしくネタにしてしまえばいい。読んでくれた人と一緒に笑い転げて、取るに足らないものとして捨ててしまえばいい。しかし、PCを立ち上げてまっさらな画面を前にしても、どうしても言葉は続かず、数行書いては諦めることととなった。
結局のところ、私には力が足りなかったのだ。
自分の中の淀んだものを、どのように表現していいのかがわからなかった。そうして、紡ぎきれなかった言葉の欠片は、カフェの紙ナプキンや、手帳の隅、メールボックスの下書きフォルダなどに、散り散りに書き殴られては捨てられていった。
何年も、そんなことが続いた。
そんな時に、このライティングゼミの投稿がたまたま自分のFacebookに流れてきたのである。天狼院は行ったことこそ無かったが、面白い書店が池袋にあるという話は随分昔から聞いていた。少し調べてみると、ただ単に文章の書き方講座というだけではなく、実際に文章を投稿して講評を受けることが出来るという。
「面白そうだな」と思った。こういうところで文章を書くコツを教えてもらえれば、そしてアウトプットする場をもらえれば、今まで怖くて直視できなかった自分の中の淀みに立ち向かえるかもしれない。
そう思って臨んだライティングゼミだったのだが、初回で既に私は圧倒されてしまった。ここに居る人はきっとみんな、何かになりたいのだ。何かを生み出したいのだ。でも、私は何かを作り出したいのでも、何者かになりたいわけでもない。ただ、自分の中のゴミを吐き出してしまいたいという欲望に駆られているだけだった。
村上春樹は『ダンス・ダンス・ダンス』で、文章を書くことを「文化的雪かき」と表現していた。雪かきなら誰かの役に立つことがあるとしても、ゴミ捨ては役に立たないどころか、捨て方に気をつけなければ他人に迷惑をかけることだってある。ちゃんとルールを守って、指定の場所に。
そう思ってしまった瞬間、私の口は重く閉ざされ、早くグループワークの時間が過ぎ去ることばかり願っていた。
一体全体、どうしてこんな性格になってしまったのだろうか。自分でもよく分からない。人生で特別なことがあったのかと問われれば、あったのかもしれないし、無かったのかもしれない。「何かを生み出せる」ようなタイプの人であれば、適当にドラマチックな私小説をこしらえる程度の出来事だったらあったかもしれない。でも、私はそれを形作る言葉をまだ持っていない。
捨てられない怒り、昇華出来ない悲しみ、割り切れない想い、どうしようもないやるせなさ。自分の中の淀んだものたちが溢れ出してしまえば、きっと人を不快にさせたり、傷つけたりしてしまうだろう。だから口をつぐむしか無かったのだ。何年も何年も、ずっと。
いつか、捨てられるといいな、とは思う。自らの中に折り重なったゴミのような気持ちを、人に語ることが出来る程度まで。自分の中にひそむ凶暴な強い想いに、言葉で輪郭を与えることによって。
そんな時が来たらきっと、グループワークの瞬間に口をつぐんでしまう自分すらも、手懐けて愛することが出来るだろう。
今すぐじゃなくていい。この講座で何も変われなくたってかまわない。
それでも、一生のうちのどこかで。
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