出さない手紙
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:渡邉幸恵(ライティング・ゼミ日曜コース)
「親愛なる母へ」
いつか、こういう見出しの手紙を母へ送る日がくるように、今日は、出さない手紙を書きます。今まで話したことがない話、これからも話すことはない話です。
子供が親へ感謝するのは当たり前なのでしょう。あなたは当然のように自分の母親を大切にしてきた人です。そして、それをいつも自慢げに話していましたね。
私も親に感謝し親孝行することは当然と思ってきましたが、実際はあなたへ、あなたの望むような親孝行をしていないとわかっています。それに対して私は、罪悪感を持って生きてきましたから。
あなたへの感謝の気持ちと、それを表すことができない自分とのギャップに苦しみながら、その理由はわかっていました。それは言葉にできるというよりは、もう一人の私が知っているという感覚です。若い頃、私を責める声がつきまとっていました。何故そんな声がするのか理解はできませんでした。声がするといっても普通に暮らしていましたし、その声に生活を邪魔されることはありませんでしたから、誰かに相談したことはありません。
結婚し仕事を辞め、子供を産み、専業主婦としての生活が始まりました。いつ日からか、もう一人の私の声も聞こえなくなり、家事、育児をする毎日を過ごしていた、ある日のこと、ふと、あることに気づいたのです。
子供たちが泣けば自然と抱きたくなりますし、悪いことをすれば当然怒りますが、可愛くて可愛くて、子供たちに出会ったことが幸せでたまりませんでした。そうやって日々子育てをしていたら気づいてしまったんです。
「何故、母は、私にあんなことをしたのか?」
あなたは、私によく話してくれましたね、自分の子育てについて。「叩いて育てた」「言うことを聞かない時は縛って置いた」と。私には記憶がありません。小学校低学年くらいまでの記憶が消えてしまっているのです。記憶にあるのは口やかましく厳しかった、あなたの言葉です。
自分の子供を育てながら、叩くことも、言うことを聞かずに困ることも、ガミガミ怒ることも私には見当たりませんでした。
これに気づかない方が幸せだったのかもしれません。それから心の中は地獄のようでした。しばらく影を潜めていた、もう一人の私が、今度は私になり、あなたを責め続けました、
「私の人生を台無しにされた」と。
私はカウンセリングに通いました。カウンセリングの勉強もしました。心の中にいた、もう一人の自分と会話を続けた何年間でした。
「直接あなたと話しをするように」とアドバイスを受けたこともあります。私はそれを選択しませんでした。
何故なら、あなたの悲しみの深さを知っていたからです。
父親が中学生の時に亡くなり、長女のあなたは母親と妹弟を支えるために生き、家族のために住み込みで仕事をはじめ、そこの店主に嫌というほどいじめられたと話してくれましたね。父と出会い、幸せをやっと掴んだと思ったら、十月十日、大事に育んだ長女は死産。私の姉の死を父から聞いたことはあっても、あなたの口からは一度も聞いたことがありません。そして、あなたの妹の不慮の死、弟の不慮の死と続きましたが、あなたの悲しみは想像するしかありませんでした。
あなたが表現することのない深い悲しみを想像すると、私の苦しみを話すことはできなかったのです。
あなたは、決して親孝行とは言えない私を恨めしく思っているかもしれません。あなたに感謝しようとすると「いい子ぶってる」「母親のせいで人生メチャクチャだ」そうやって、もう一人の私が邪魔をするのです。
でもね、私、決めたことがあるんです。いつか必ずあなたに、心からの「ありがとう」を言うこと。もう一人の私が邪魔しない「ありがとう」をあなたに送ること。
あなたは気づいていたかな? ある時から、あなたと少し距離を置き、あなたの声が届かないように生活をし始めた。そして、ある日、ある言葉が浮かんできた。
「あなたはどう生きたかったの?」
「あなたの人生は、全て母親のせい?」
弱い自分、自信がない自分、楽をしたい自分が選択した様々な人生の場面が浮かんできた。
「この人生を選んだのは自分だ」
そうか! 「お母さんの言うとおりにしたよ」そうやって人生の選択をしたと思っていたのか? 超マザコンじゃん! 衝撃的……。
すると、不思議と無くなっていた記憶が蘇ってきた。あなたのやさしくて温かい手、いい匂い、体が弱かった私のためにやってくれたこと。「何だ、私、お母さん大好きなんだ」
そう思ったら笑えた。心が軽くなった瞬間だった。
最近のあなたは家庭菜園の腕をあげ、たくさんの季節の野菜を収穫するようになり、今年の夏も大きく育った野菜、キュウリ、ナス、トマト、オクラ、ゴーヤは、我が家の食卓に毎日登場しました。あなたが作る野菜は孫たちにも大好評でしたよ。
この夏は猛暑でしたね。私は毎週、あなたが作る野菜をもらいに行きました。野菜をもらいながら何度も言った「ありがとう」。密かに嬉しかった、本当の「ありがとう」だったから。
夏野菜も終わり、様子が変わった家庭菜園には、里芋の葉が青々と大きく育っています。見事に育った里芋の葉を二人で眺めながら、
「こんなに大きく育ったから、今年は里芋いっぱい採れるかな」
「この里芋、美味しいから楽しみやね」
「お母さんが里芋の皮を剥いてくれたら、もっと嬉しいわ」
「あんたはもう~!」
笑い転げるあなたは、そう言いながらも、きっと里芋の皮を剥いてくれるんでしょうね。
「ありがとう、お母さん」と私は言うはずです。
この手紙は、あなたに届くことはありません。次の手紙を書くこともなさそうです。
「ありがとう、お母さん」と言えるようになったみたいですから。
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