メディアグランプリ

神社参拝はオセロゲームのようなもの


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記事:前田大介(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「神さま、どうかお願いします。一生のお願いです……」
 
苦しい時の神だのみ。
誰もが一度は経験済みだと思う。
「一生のお願い、これで何回目かな?」
と自分に突っ込みをいれつつも、しっかり手を合わす。
 
普段は神社の前を素通りの人でも、入学受験や就職活動、商売繁盛、安産祈願など様々な人生の節目で、神さまに手を合わせに行く。
 
例にもれずうちの奥さん、高校受験の時に親に連れられ北野天満宮に行ったとのこと。
北野天満宮と言えば、日本全国でも名高い学問の神様が祀られる天神信仰の総本山である。
 
さぞご利益を頂けるであろうということで、貴重なお小遣いからお賽銭を出し、しっかり手を合わせ合格祈願をした。
そして、運試しだとばかりに気合を入れ、おみくじを引いたんだとか。
開いてみて書かれていたのは、「大凶」。
 
あまりにも幸先悪すぎる、縁起でもない、お先真っ暗とうろたえる本人に、希望の光が差し込む。
「もう一回引いたらいい」
親も自分が連れてきた責任を感じ、声を掛ける。
「よし」
心あらためてもう一度引く。
「まさかの大凶……、ははは」
乾いた笑いがまだ寒さの残る境内に力なく響いた。
 
挙句の果て結果は、不合格。
「神さまは冷たい……」
全面的に自分の責任にされる神さまも不憫だが、この話は嫁の実家で語り草になっている。
 
そういう私も以前は、正月の初詣ぐらいしか神社にお参りすることはなかった。
しかし、私が結婚する際、嫁の生まれ故郷である京都のとある神社にご縁を頂くことになる。
結婚することが決まった時、私は先方のご両親に挨拶にいくことになった。
お義父さんとの会話の中で、こんな話が出た。
「私の同級生が神社の宮司をしている」
まさに神のはからいか、私たちは京都のとある神社で結婚式を挙げることになった。
 
「神社に来て、神様の前に立つと真っ白な心になります。純白、潔白というように嘘偽りない純粋な心を思い出すことが出来る。そのような真っ白な心で「あなたの元へ嫁ぎます」という決意が白無垢を着る意味です」
と宮司さんから教わった。
 
目から鱗とはこのことだ。
それまで私は神社という所は「お願い事」をしに行く場所だと思っていた。
嫁の合格祈願や、今年も良い年でありますようにと願うお正月の初詣など、まだ手にしていない未来を、どうぞ神様の力によって実現してくださいと、あたかもドラえもんのような存在のようにとらえていた。
自分の腹の内の黒さを思い知った。
 
そういえば、神社に奉仕する神職や巫女さんは皆さん、白い服を着用している。
ご祈祷で宮司のあげる祝詞にも「……かしこみかしこみ白(もう)す」という白という言葉が入っている。
どうやら神社参拝のキーワードは「白」という言葉に込められているようだ。
 
その後、私たちに子供が授かり、妊娠中の安産祈願や出産してからのお宮参りなど、節目節目で神社に足を運ぶことになるのだが、単なるお願いというよりは、「素直な心で今ある幸せに感謝する」というお参りに変化していった。
 
自分でも気づかないような腹の黒さを、神さまを目前に手を合わせることで、白い心に変えていく。
まさに神社参拝はオセロゲームのようなものだ、と感じた。
 
しかしそれを理解したからといって、すぐに聖人君子になれるわけではない。
日々の生活の中、子育て真っ最中の嫁にイラついて嫌味を言ってしまったり、仕事でミスをして自信喪失になってモヤモヤしたり、純白とは程遠い黒々とした心で過ごしてしまうことなど日常茶飯事だ。
 
そんな日常の中でもコツコツ神社参拝を続けていると、ふとあることに気がづいた。
「赤ちゃんって本当に真っ白な心だな」
 
うちの息子は生まれてちょうど9ヶ月。
泣きたい時に泣き、嬉しい時は笑い、遊び疲れたらコテンと寝てしまう。
変に周りに気を遣うことなく、自信を失うこともなく、唯々純粋に自分の生きたいように生きている。
腹黒さは欠片もなく、ある意味で純粋にわがまま、真っ白な心で生きている。
にもかかわらず、その姿を目にする大人は自然と笑顔になり、幸せを感じてしまう。
 
宮司はこうも言っていた。
「赤ちゃんはお母さんの子宮(お宮)から産道(参道)を通って生まれてくる。神様に一番近い存在なんです」
 
パタパタパタパタ……。
私の心の中で、黒色をしたオセロの石が、白色に変わっていく音が聞こえた。
 
そうか、人は元々生まれた時は真っ白な白色の存在。
でもいつしか、悩みをもったり、自信を失ったり、自分を責めたりと、勝手に黒の石を置き始める。
でもそういう時期もあっていい。
最初から最後まで白を置き続ける人など誰もいないのだ。
 
大事なことは、ただ一つ。
最初は白だったことを思い出すことだ。
一番端に白を置いているということは、いくら黒を置いてしまっても大丈夫。
一枚白を置きなおせば、全部白に変わるってことだ。
 
だから私は今日も神社に参拝し、そのオセロゲームを楽しむのである。
 
 
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2017-10-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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