車椅子を使ってみて、カメラの達人になろうと思った
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:志希歩(ライティング・ゼミ 通信専用コース)
「筆談でのご案内をいたします。お気軽にお申し出ください」
目の前にあるこんな貼り紙をぼんやり見ていた。
バスに乗っていたときのことだ。
運転席のすぐ後ろの席に座っていて、運転席との仕切りの板にその貼り紙が貼ってあった。
バスやタクシーでよく見る言葉だ。
初めてこういうものを見たときは親切なサービスだなと思い、最近では全く気にしなくなったが、バスに乗っている20分くらいの間、ずっと目の前にあるものだから何度となく目に入る。
ぼんやり眺めながらふと考えた。
「どうやって申し出るんだろう」
筆談が必要な人の中には、言葉をうまく発することも難しい人がいるのではないだろうか。
「申し出る」ことが「お気軽」にいかない場合もあるのではないか。
例えば、耳マークなどが貼り紙と一緒に吊るしてあって、それを運転手に見せる、という仕組みにでもなっているのかと思ったが、それらしきものは見当たらない。
その貼り紙を中途半端に感じながら、数年前のことを思い返した。
このカメラ、ピントが合っていないな。
数年前、些細なことで私は生まれて初めての骨折をしたのだ。
ちょっとした骨折だったが、生まれて初めてのギプスと生まれて初めての松葉杖での生活が始まった。
それまでは、松葉杖を使っている人は、いとも簡単に歩いているように見えたのだが、実際に使ってみるととても疲れる。まさに骨が折れるのだ。
夫の実家に使っていない車椅子があったので、それを借りて家で使うようにした。
外出先に車椅子があればそれを借りていた。
ある日、用事があってデパートに出かけた。
出かける前に一応、車椅子の貸し出しがあるかどうか電話で問い合わせると、1階のインフォメーションセンターで貸し出しをしている、とのことだった。
デパートについて駐車場に車を止める。
そこからインフォメーションセンターまでの道のりの長いこと長いこと。
駐車場とインフォメーションセンターは、デパートの端と端だ。松葉杖で移動するにはつらい距離だった。
なんとか到着し、車椅子を借りて座る。座り心地は悪いし、車輪の動きもイマイチ。おざなりな車椅子だった。
念のため、車椅子で利用できるお手洗いの場所を聞く。広いデパートの中で地下1階に1か所あるだけだった。
用事のある9階へエレベーターで向かう。
数基あるエレベーターのうちの1基に「車椅子・ベビーカー優先」と表示してあるが、当然のように普通の人がたくさん乗ってくる。
用事を済ませ、移動するためにエレベーターに乗ろうとしたが、10階以上がレストラン階になっているためか、降りてくるエレベーターはいくら待っても満員だった。
「車椅子・ベビーカー優先」のエレベーターにすら乗れる余地はない。乗っているのは、もちろん普通に立っている人達だ。
私の他にもベビーカーでエレベーターを見送る人もたくさんいる。
平然とエレベーターに乗っている人に対する腹立たしさと同時に恐怖を覚えた。
行きたいところに行かれない。お手洗いに行くこともできない。9階から脱出することすらできないのだ。
普段なら楽しいはずのデパートから早く出たくて仕方なかった。
車椅子でなければ全く気にしなかったことだ。
普段、エレベーターが満員ならエスカレーターや階段を使うし、お手洗いはどの階にもあって簡単に行ける。
以前、足が不自由で車椅子を使っている友人と一緒に出かけたとき、行く先々でお手洗いの場所を気にしていた。
その時は、そんなに気にしなくても行きたくなったら連れて行くのに、と思っていたが、自分が車椅子を使ってみて彼女の気持ちがとてもよく分かった。
彼女はいつもこの不自由さや恐怖を乗り越えながら生活していたのだろう。
親切なようでそれが行き届いていないことがある。わずかな車椅子生活でそう感じた。
デパートの車椅子を駐車場で貸し出すというサービスはなかった。
「混雑時は車椅子・ベビーカー専用」とでも書いてあれば多少遠慮するかもしれないが、「優先」では気が緩む。
ピントの合っていない写真を見ているようだった。
貸し出しはインフォメーションセンターで。ボロボロの車椅子。エレベーターは車椅子優先。
親切なようでどれもぼやけていた。
カメラを向けて「こんなもんでいいか」とピントが合わないまま親切のシャッターを切っている。そんな気がした。
せっかく撮ってもらった写真がピンボケでは嬉しくない。
どうせ撮るならきれいに撮ってほしいし、自分が相手を撮るならきれいに撮ってあげるべきだ。
もちろん、松葉杖や車椅子での生活で見ず知らずの人にとても親切にしてもらったこともたくさんある。
コンビニを出た後、わざわざ戻ってきてドアを開けてくれた茶髪のお兄ちゃん、講習会で最前列に特等席を作ってくれたおじさん、など、数えきれない。
車椅子でJRを利用した時は、駅員さん達のサポートが素晴らしかった。マニュアル通りの動きかもしれないが、その合間の心遣いはマニュアルではないだろう。
自分が同じ場面に出くわしたとき、そこまでできるだろうかと考えさせられた。
ピントがこの上なく合っていた。
彼らは、カメラの達人だった。
筆談はお気軽にお申し出ください。
どうもピントが合っていない気がする。
車椅子を使ってみて、カメラの達人になろうと思った。
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