絶対に逃げられないマラソン大会
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記事:木佐美乃里(ライティング・ゼミ平日コース)
「やった……! これでサボれる……!」
40℃を越える熱でフラフラの頭に、最初に浮かんだのは、これだった。
「インフルエンザですね」と言われたときのうれしさと言ったら! よくぞこのタイミングで! でかした、わたしのカラダ!
「美乃里、インフルエンザだって? 正直うらやましい。今ならうつしてほしい。明日、イヤすぎるよー」
「いやいや、すごい寒気するし、関節痛いし、食欲ないし。しんどいよー? わたしの分も、がんばって!」
友達からのメールに、布団の中から返事をしながらも、にやつきが抑えられなかった。
翌日には、高校のマラソン大会に出る予定だった。男子10キロ、女子7キロ、吹きっさらしの河川敷を走るのだ。
私立の女子高に行った友達が、マラソン大会は1.5キロと言っていたのを聞いて、一瞬殺意を覚える程度には、わたしはマラソンが嫌いだ。
だけど、今回はインフルエンザ! 正真正銘、医師のお墨付きのインフルエンザ! 一週間後に、出場できなかった人のための、二次マラソン大会があるらしいけれど、この体調なら、それにも出られないなあ。ああ、なんて残念、とほくそ笑みながら、こんこんと寝た。
久々に登校した日、担任の先生から声をかけられた。
「木佐さん、もう大丈夫?」
「だいぶ良いです。まだちょっとだるいけど」
「そうだよね、じゃあ明日の二次マラソン大会もやめといたほうがいいよね?」
「そうですね、体調もまだイマイチだし……」
本当は、もうなんともないけれど、咳が出るふりをしてみる。
「わかった、でも大丈夫! 体育の上野先生、春休みに、第3次マラソン大会やるって言ってたから! そっちに出るって言っとくね!」
先生は爽やかな笑顔でそういうと、さっそうと去っていった。
えええええ! 嘘でしょ! 出なくていいと思ったのに! これじゃあ何のためにインフルエンザになったのかわからないよ……!
そうして、みんな楽しい春休み。
なんにも楽しくないわたしは、河川敷に立っていた。参加者5名。マラソン大会にも、翌週の2次大会にも出られなかった、ある意味、精鋭たちが集まっていた。こんなことなら、大人しく本番のマラソン大会に出たほうがマシだった。友達としゃべりながらも走れたし、応援に来てくれる保護者もいたりして、なんとか気が紛れた。だけど、今回は知り合いだって、一人もいない。
体育の授業の時、「俺は溺れたやつは助けるけど、溺れそうなやつは助けないからな!」と大声で笑っていた、ウエジュウこと、植野重雄先生がうらめしい。あれは本気だったんだな。絶対にマラソン大会からも解放してくれる気はないらしい。
「ほら、位置に着けよ。始めるぞ。はい、よーい、スタート!」
ウエジュウの目だけがキラキラと輝いている。3次まで残って、春休みに呼び出された生徒たちの中に、やる気のある者などいない。わたしたちは、一斉に、というより各自おもむろに、ノロノロと走りだした。
すぐに息が上がる。苦しい。だからマラソンなんか嫌いなんだ。身体が重い。脇腹が痛くなってくる。呼吸はどうしたらいいんだ、ゼイゼイする。せめて音楽でも聞きたい。苦しい。やめたい。
河川敷は、走っても走っても、ぜんぜん景色が変わらない。どこまでも、どんより曇り空。
川の向こう側に、野球の練習をしている小学生たちが見える。小さい犬を散歩させているおばあさん。
身体の中心は熱いのに、指先とむき出しの腕に吹き付けてくる風が冷たくて仕方がない。
ああ、やめたい。マラソン大会なんて、なんの意味があるんだ。
「おーい、がんばれよー」
ウエジュウのやつ、わたしたちがサボらないように、最後尾から、ずっと自転車で追いかけてくる。なんなんだよ、なんで自転車なんだよ、自分も走ったらいいんじゃないの?
ああ、とにかくやめたい。
そんなことを、ぐるぐる考え続けていた。
けれど、ちょうど折り返しに差しかかるそのとき、雲間から光が差した。天使の梯子だ。
降り注ぐ光が、なんてキレイなんだろう。
人生はマラソンだ、なんて、なんて陳腐な言い回しだろうと思っていた。
だけど、わたしがこれから行く道には、逃げられないマラソンみたいなものが、何度かあるのかもしれない。何度も何度も逃げようとしても、必ず乗り越えないといけないもの。
誰も一緒に走ってくれなくて、沿道には一人も応援してくれる人がいなくて。冷たい風が吹き付けても。たった一人で、こつこつと走り続けなければならないときが来るのかもしれない。今ならウエジュウがいて、溺れたら助けてくれるけど、そのうち、ほんとに溺れたって助けにきてくれないときが来るのかも。
イヤだ、嫌だ、いやだ。でも一歩ずつ、自分で前に進まないとゴールは来ない。
いつの間にか身体が熱い。走り始めたときより、身体はずっと軽くなっている。
こんちくしょう、ウエジュウ。もしかして、このために、三次マラソン大会はあったのか?
悔しい、くやしい。ぜったい、走り切ってやる。
そうして、劇的でもなんでもなく、1つの声援もない、誰も待っていない、ただ白い線が引かれただけの、ゴールラインを踏んだ。
はあはあ息をしながらも、充実感があった。
別に誰も見てないけど、わたし、ちゃんと7キロ走れたよ。
「はい、じゃあ今日はこれにて解散!」
みんなへろへろなのに、一人だけスタートの時と変わらないウエジュウが、自転車にまたがって走り去っていった。
ありがとう、ウエジュウ。ほんのちょっとだけだけど、今年もちゃんと走ってよかったと思ってるよ。
マラソン大会はこの後、第4次大会も開かれたと誰かに聞いた。
これからの人生でも、絶対に逃げられないマラソン大会は、まだまだあるに違いない。
そのたびにきっと、こう思うのだ。
見てろよ、ウエジュウ。そしてまた、駆け出していく。
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