私がこれまでに失くしたものの中で、一番大切なもの
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記事:相澤綾子(ライティング・ゼミ 特講「サービス」)
ものを失くしてばかりの人生でした。小学校に入学し、夏休みが始まるまでの4か月弱の間に、1ダースの鉛筆を失くしたそうです。どんな鉛筆だったのか、全く覚えていません。折り畳み傘も1週間で失くして来たそうです。赤い傘で、7人の小人の絵がデザインされていたそうですが、記憶にありません。ただ覚えているのは、繰り返し母がそのことで私を怒ったこと。そして他の人にも「夏休みまでの間に1ダース鉛筆を失くした」、「1週間で折り畳み傘を失くした」と例を挙げ、「本当にぼんやりしている子なんだから」と愚痴っていたのだけは覚えています。
特に傘の時は、母に言われ、クラスの落とし物入れを探したり、学校の先生に尋ねたり、登下校中に道端をよく見たりしました。正直なところ、見つかる気などしませんでした。そのものの色や形、手触り、そうしたものを全く覚えていなかったのです。例えばお気に入りのおもちゃなどは、しばらく探していると必ず見つかりました。探しながら頭の中にそれを強く思い浮かべ、見つけたいという強い思いが引き寄せてくれるような感じで見つかりました。または、しばらく見つからなくても、どこかからひょっこりと顔を出すこともありました。傘に対しては申し訳ないけれど、そういう思いは湧き出てきませんでした。
それ以外にも頻度は少しずつ減っていったものの、あらゆるものを失くしました。消しゴムはもちろん、赤青えんぴつや下敷き、定規。手袋も失くしものの定番でした。私の家は、貧しいけれど、母は一生懸命節約して、それを感じさせないようにしてくれていました。でも私が本当にぼんやりといろいろなものを失くしたので、その度にまた出費が増えると腹立たしく思っていたのではないでしょうか。
もしいままで失くしたものが、どこか違う空間に集められていたとしたら、私のその失くしものの大きさはどれくらいなのでしょう? 段ボール一箱くらい? いや、段ボール二箱くらいはあるかもしれません。
でも物理的なものが段ボール二箱分だったとしても、それ以外に同時に失われたものが多すぎて、部屋いっぱいになっているかもしれません。例えば、探し物をしていなければ、楽しく遊べていたかもしれない時間。探し物をしなければいけないのは、それだけでも時間がかかりますし、他のことをしている時でも気持ちが滅入り、楽しく過ごせていなかったかもしれません。そして、「せっかく買ってきたのを簡単に失くされてしまった」という母のショック、母自身も楽しい時間が過ごせなかったでしょう。もしそういうことがなければ、母と私の間でもっと楽しい会話がされていたかもしれません。母の友達との会話もだらしのない子どもの愚痴などではなく、もっと有意義なものとなっていたかもしれません。そして信用、恥ずかしながら、大人になってからも、ごくまれに、ではありますが、書類を失くしたりしてしまったのですが、それを再度出してもらうのに相手の時間を奪い、少しずつ信用を失ったのだろうと思います。
これは私の想像なのですが、この世で人生を終えるときに、最後にその空間に自分自身が行くような気がして仕方がないのです。「ああ、こんなものを失くしたんだなあ」なんて思い返すような気がするのです。最後に私が失くすのは私自身なのですから。
私はその部屋の中の失くしものがほとんどイメージできません。でも、たった一つだけ、はっきりと見えるものがあります。それは、小さなピンクのプラスチック製の赤ちゃん、人差し指の先くらいの大きさのおもちゃです。
それは私が幼稚園生の時に、母が道端で拾って来たものでした。多分お菓子のおまけか何かを、誰かが落としてしまったか、あるいは期待していたものではなくて捨ててしまったのでしょう。
「こんなのがあったよ、綾子は小さいものが好きだから、拾って来たよ」
そう言って、私の手のひらに乗せてくれました。かわいい感じではなく、ぷっくりしたほっぺた、ふくらんだ顎、笑っているけれど、細い目。どちらかといえばリアル過ぎる赤ちゃんでした。でも、それが可愛くてたまらないと思いました。それは私のお気に入りのおもちゃになりました。
結局5年生まで、時々それを出しては眺めていました。裁縫を覚えてからは赤ちゃんの身体に合わせて小さな小さな布団を縫ったりしたのを記憶しています。しかし、残念なことに5年生のある日、その赤ちゃんは突如として消えてしまいました。人差し指の先ほどしかないおもちゃ、にっこり笑った口元を思い浮かべながら、必死になって思い当たるところを様々探しました。
私が失くしたものの空間の中で、今でもひっそりと笑っていることでしょう。母が私が気に入るだろうと考えて拾ってきてくれたこと、大切に楽しく遊んだ思い出が今でも私の手元にあるから、そんなにつらくはありませんが……でも実家の大片づけをしたら、どこかからひょっこり出てきたりしないかな、なんて想像してしまいます。
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