メディアグランプリ

中学生はナイフを持っている


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記事:飯沼かおり(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「恵美ちゃんも博之くんのこと好きなんだって」
 
「え? そうだったの? あいつ協力するとか言っといてふざけんなよ!」
 
私の告げ口を聞いて、真紀子ちゃんが猛烈に怒った様子でそう言った。
 
私たちは、テニス部に入っていた。テニス部で中心的な存在だった真紀子ちゃんは、サッカー部の博之くんのことが好きだった。テニス部の他のメンバーである私たちも真紀子ちゃんのことを応援していた。
しかし、私だけは同じテニス部の恵美ちゃんも、博之くんのことが好きだと知っていた。
恵美ちゃんとの手紙交換の中でもその話をしていたし、博之くんに渡すバレンタインデーのチョコレートも一緒に作った。
恵美ちゃんのことは好きだったし、嫌いだったわけではない。
 
それなのになぜ、私は恵美ちゃんの秘密を真紀子ちゃんにばらしてしまったのだろうか。
 
私の中学校は正直結構荒れていた。当時は不良っぽい俳優やアイドルがもてはやされていて、リーゼントのヘアスタイルに、ぼんたんという改造した制服ズボンを穿いた男子生徒に、制服のスカートをくるぶしの辺りまで長くした女子生徒が出てきて、必ず喧嘩・暴力などを伴う映画が流行っていた。
 
私の学校でも、もちろん全員ではないが、目立つ男性はリーゼントにぼんたんであった。女性は、茶髪にくるぶしまであるロングスカート、または膝上10センチ以上のミニスカートを穿いていた。
 
私達テニス部の同期は、1年生の1、2学期はみんな黒髪で、純粋にテニスを頑張っていた。
強いチームの試合を観ては刺激を受けて、試合前は朝練などもやっていたくらいだった。
しかし、3学期になると様相が変わってきた。真紀子ちゃんを中心として、少し服装などが乱れてきていた。
その時の真紀子ちゃんの外見は、毎朝丹念にブローがほどこされた、茶髪のストレート・ボブ。スカートは膝上10センチくらい。他の2名もその様な格好をしていたのでその3人は学年で一番目立っていた。
だんだんと、私たちテニス部は周囲から良い意味ではなく注目される部に変わって来ていた。
 
私が恵美ちゃんのことを告げ口したのは、1年生の3学期であった。
真紀子ちゃんの「ふざけんなよ!」というセリフからも、怒り心頭なのは分かった。
 
その後恵美ちゃんがどうなったかというと、テニス部の中心人物3人から屋上に呼び出しを受け、「ふざけんなよ!」という勢いで、裏切り者と罵られ、謝らされたそうだ。私はその場にいなかったが、その様子が気になって気になって仕方がなかった。恵美ちゃんは泣いて謝ったそうだ。暴力がなかったのは不幸中の幸いであった。
 
私は、罪悪感の様なものでいっぱいで、その後恵美ちゃんに会うのが恐くて、なるべく会わない様にしていた。真紀子ちゃんは私が告げ口したとは恵美ちゃんには言わなかった様だが、私の態度からして誰が告げ口したかは、恵美ちゃんにはお見通しだった様に思う。
恵美ちゃんは私のことを責めなかったが、その後なんとなく疎遠になっていった。
 
その後私は、誰にでもいい顔をする「カメレオン」と言われる様になり、テニス部のメンバーからしばらく口を聞いてもらえなくなった。
 
自業自得過ぎて、自分のしたことが恥ずかし過ぎて、誰にも話せず、どうしたらいいのか分からなかった。穴があったら入りたいと真剣に思っていたほどだった。
人生経験を積んだ今の自分が告げ口前の自分のところにタイムスリップしてアドバイスすることができるのなら、「告げ口なんてしても誰も得をしないし、結局自分に返ってくるだけだよ」とアドバイスすることもできたが、現実、本人が失敗を経験しながら成長するしかないのだ。
胃が痛くなるという経験を初めてした。
 
このことにはなるべく目を向けたくなくて、何十年も蓋をしたままにしていたが、今なら分かる。
私が告げ口してしまったのは、自分の居場所を失いたくなかったからだ。
当時学年の中で勢力を増していたテニス部は、中心人物である真紀子ちゃんに嫌われたらいじめられて学校生活はおしまいだと思っていた。私は、真紀子ちゃんが好きだったというより、嫌われたくない、いじめられたくない、好かれたい、好かれて強いポジションを守りたいというなんともダサいサラリーマンの様な思考で動いてしまったのだった。
よくドラマであるが、サラリーマンが優秀なライバルを蹴落とす為に、ライバルのミスを人事部に密告する様なことである。
自分に自信があれば、そんなことを考えなかっただろうに。私にはそれしか学校生活で生き残る方法がわからなかった。それだけ自分を守ることで必死だったのだ。
 
中学時代は、子供から大人に少し足を踏み入れたばかりの段階で、一番多感な時期であり、その後の人生を大きく左右する時期だと思う。
 
その時期に出会う人の影響は本当に大きい。
まだ子供の部分が、自覚もなく、相手の気持ちも考えず、いきなりナイフで刺す様に残酷なことをしてしまう。「ブス」「デブ」などという言葉も平気で飛び交っていたが、ナイフで刺された人は、その後コンプレックスを引きずったまま生きていくことになったり、人を信用できなくなったり、人生の方向性がガラリと変わってしまう人もいる。
 
大人になって、やっとこの経験から何を学ばせてもらったか、わかる様になった。
取り返しのつかないことをしてしまったが、この経験から自分にできることは、この経験をさせてくれた友達に感謝をして、告げ口をしてはいけないという信念をもって生きることだ。
しかし、そこに辿りつくのに30年近くかかってしまった……。

 
 
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2018-05-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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