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私のヒーローは坂本龍馬と「さえないおじさん」!


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記事:津田智子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
あれは確か私が高校2年のときの話です。
 
私は横浜市にある自宅から都心にある私立の女子高に通っていました。F駅からS駅まで電車に揺られること40分、それからバスに乗り換えて15分、合計1時間ほどの道のりです。その日も、ギュウギュウ詰めの電車に乗りました。
 
扉の付近は特に込み合うので、私はいつも座席の前の位置を探します。でも電車が私の乗るF駅に着くころには、座席の前のつり革のつかめる位置は大抵すでに埋まっています。その日もそうでした。仕方ないので、私は立っている人達の背中と背中の間を縫って奥まで進んでいきました。
 
高校2年も夏休みを過ぎると、誰もが大学受験を意識し始めます。私も参考書や問題集を毎日10ページずつ読む(解く)など自分で自分に課題を設定し、勉強最優先の生活を送り始めていました。
 
電車の中は静かですし、誰も話しかけてこないし、恰好の勉強場所です。このころの私は、通学時間を歴史の一問一答集の復習に充てていました。一問一答集はサイズが小さいので、回りに迷惑かけずに済むからです。
 
私はカバンから一問一答集を取り出すと、残りの荷物を網棚に載せようとしました。だって、カバンには教科書とノート5冊ずつのほか、参考書数冊や文庫本、お弁当まで入っているのですもの。これを抱えながら歴史の勉強なんて、そんな力業、私には到底できません……。
 
前に立っているおじさんに「すみません」と声を掛けつつ、網棚にカバンを載せようとしますが、重くてなかなか思うように持ち上げられません。心の中で「どなたか、ちょっと手を貸してくださいませんか?」と思いましたが、前のおじさんは新聞読むのを邪魔されて迷惑そうな顔をしているし、隣の若者はイヤホンで音楽を聴いていて、私のことなどまるで目に入らないようです。私は顔を真っ赤にしながら腰に力を入れ、ようやくカバンを網棚に載せることに成功しました。
 
それにしても、この人たちはどうして困っている人がいるときに助けようとないのでしょう? ほんのちょっと手を伸ばすだけでいいのに、どうしてそんなちっぽけな動作さえも出し惜しみするのでしょう? 「私だったら絶対手伝うのに!」と忌々しく思いました。
 
ふと見ると、前のおじさんは新聞を読み終えたのか、英語のテキストを熱心に読んでいらっしゃいます。でも、ずいぶん簡単な英語です。基礎の基礎から学び直しているのでしょうか? 私は思わず「これ、中学生レベルじゃない?」と軽蔑してしまいました。よく見ると、スーツの裾はしわが寄っているし、ズボンの丈はちょっと短すぎるし、どうもさえないおじさんです。私はおじさんの外見から、この方に助けを期待する自分が間違いだったのかもしれない、と納得しました。
 
さて、回りの人の不親切に腹を立てている場合ではありません。私は一問一答集を広げて幕末の歴史の総ざらいを始めました。今日の通学時間で幕末の歴史の流れを整理するつもりです。
 
幕末には私が敬愛する坂本龍馬や西郷隆盛が活躍します。ですから、幕末は私の一番好きな時代です。高校に入ってから司馬遼太郎の書籍をむさぼり読んできたからでしょうか、幕末の歴史をたどっていると、志士一人一人の理想に共感してしまい、気持ちが高ぶってきます。
 
この日もワクワクしながら問題集を読み進んでいました。ところが、どうも様子がおかしいのです。後ろに変な気配を感じます。何だか触られている気がするのです。私の気のせいでしょうか?
 
誰かが私のお尻の辺りをもぞもぞと探っています。でも、私も何とか片手で問題集のページをめくっている状況です。どんどん人が乗ってきて、車内はすでにおしくらまんじゅう状態です。誰もがほとんど身動きとれないわけですから、その中でカバンを持ち替えたり、かゆいところに手を伸ばしたりするついでに、ちょっと私の体に手が触れてしまっただけかもしれません。
 
でも、後ろの手のもぞもぞは止まりません。気持ち悪いです……。ここまで触られると、とても気のせいとは思えません。こういう時はどうしたらいいのかしら……。私は勉強に集中できなくなってきました。薩長同盟も、桜田門外の変も、大好きな竜馬が襲撃される寺田屋事件さえも、どうでもよくなってきます。
 
S駅まではまだ10分近くあります。私は意を決して基礎英語を勉強中の目の前のおじさんに耳打ちしました。「すみません。私の後ろの人、ちかんだと思います。さっきからずっと後ろを触られていて困っています……」
 
おじさんは何も言わず、網棚に置いた自分のブリーフケースに手を伸ばします。「えっ、おじさん、助けてくれないのですか? 次の駅で降りちゃうのですか?」私はこのおじさんを頼りにしたことを少し後悔しました。
 
私が泣きそうな顔をしていると、おじさんは肩の上にブリーフケースを抱えたまま、私とちかんの間に割って入り、私に自分の奥に進むように目で合図してくれました。「このおじさん、一体何を考えているのかしら?」と戸惑いつつ、私はその指示に従いました。
 
お尻のもぞもぞから解放されて一安心です。もうすぐC駅に着きます。電車が停止すると、私の目の前でビックリすることが起きました。おじさんがブリーフケースでちかんのほっぺたをぐいぐい押しているのです。そのまま扉まで押し続けて、ついにちかんを車外に追い出してしまいました。
 
おじさんは再び電車に乗ってくると、私に「もう大丈夫だから。またこういうことが起きたら、すぐに近くの大人に助けを求めるのだよ」とアドバイスしてくれました。
 
私はおじさんの外見や英語力をばかにしてしまったことを心から反省しました。そして「私は大変な思いをしているのだから……」という被害妄想を持ち、回りに同情を要求していたことにも気づきました。本当は皆、大変な思いをしながら日々を生きているのですね。大変な時は素直に「助けてください」と言えば、皆さん、快く助けてくれるのですね。自分だけが優しい人間だ、と思い上がっていたことを本当に恥ずかしく思いました。
 
それまで私のヒーローは幕末の志士、坂本龍馬でしたが、このときからそこに、この「さえないおじさん」も加わりました。

 
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2018-06-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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