チーム天狼院

「人と沢山繋がりたい、好かれたい私」VS「傷つきたくない、嫌われたくないと思う私」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中望美(チーム天狼院)

社会人二年目。23歳。人間関係って難しい。
大人になればなるほど、人間関係ってどうやって保っていけばいいのだろう、何が正解なのだろうと考えるようになった。
正直に言うと私の場合、仕事上の人間関係のほうが楽だ。お客様と店員、上司と部下、同僚など、最初から自分の立場や役割が決まっている。奥深くまで関わることは滅多にないし、時間的にもそこまで長く一緒にいるわけではないから。だから、逆にプライベートは難しい。家族、友人、恋人。どうしても感情的になってしまうし、自分のスタンスが中々決められない。大切に思うからこそ嫌われたくないと思い、どんなふうに関係を築くべきか悩むのだ。

私は多分、そこまで友人も多くはない。だから、ぶっちゃけた話をできる友人も少ない。それなのに、久しぶりに友人と会うと、生活環境が違いすぎて、会話に全く共感できないこともある。大人数でのプロジェクトに参加したときも、みんなでこれから一つの目標に向かって課題を遂行していく仲間であるのに、自分の居場所に戸惑い、苦しむこともあった。
それでも何とか、関係を繋げとめたくて、無理に話を合わせていた。すると、気がつけば嫌われないようビクビクと人と話すようになっている自分がいた。
子供の頃は、ワガママでおてんば娘で、何も考えずに思ったことを平気で言えた。それで、人間関係で悩むことは、そんなになかった。でも、だからこそ、今になって、どうやって人と付き合っていけばいいのか分からなくなった。

ちょうどその時、母が又吉も愛読していた菅野仁著『友だち幻想』という本を勧めてくれた。私は、スッとその本に手を伸ばした。なんだか、今の私にとってとても必要なことが書いてあるような気がしてならなかったのだ。気づけば、自分にとって大切なことをメモしながら、黙々と読んでいた。「あ、私友達のことを勘違いしてたんだ」と、あっけにとられる部分がいくつもあった。そして、読み終えた後、本当にいつも重たかった私の肩の荷が降りた感覚が鮮明にした。

それから、この本を読んでいて思い浮かんだ情景がある。
深夜3時頃だったろうか。舞台の稽古を終え、希望者だけで飲みに行った。その帰り道、若手メンバーだけで色んな話をしながら、のろのろと歩いていた。その若手メンバーの中でも一番下っ端であろう私は、こんな事を聞いたのだ。

「皆さんは、この先もずっと今、所属されている劇団にいるつもりですか?」

私は、彼らが所属する劇団のお芝居も、彼らのこともとても好きだった。なぜなら、傍から見てもものすごく信頼関係があって、お芝居が好きなことが伝わってくるからだ。だから、彼らはおそらく、二つ返事でYESと答えるだろうと思った。

しかし、私の期待は裏切られた。
「今の劇団、好きだけど、ずっといたいかというと、そうじゃない」

「え!! そうなんですか。先輩の劇団とても人気だし、面白いし、羨ましくなるくらい楽しそうだから、この劇団で上り詰めて行く覚悟でいるのかと思ってました!」

「のんちゃん、表があれば、裏もある。そしてそれは、こういう芸能の世界なら、どこでもあることなんだよ。色々あるよ。俺らの劇団も」

色々ある。そうなのか、あんなに打ち込んでる姿はかっこいいのに、裏では汚くて残酷な世界もあるということなのか。先輩方に対して、変な幻想をいだいていた私は、そうなのか~とふと顔を上げた。見上げれば、満月の夜だった。なんだか、月みたいだと思った。こちらから見える表側は輝いているのに、どうあがいても見えない裏側は、漆黒の闇のようなのかもしれない。いや、私も薄々気がついて履いたのだ。みんなが、権利を持つ誰かのお気に入りになろうと必死になっている。私自身もそんな空気に流されて、頑張っていた。みんなに気に入られようと、みんなからいい評価を得ようと頑張っていた。うまくやっている人がやっていることを真似てみたりした。でも、全てうまく行かなかった。全然自分の理想とは程遠い結果に終わった。だけど帰り道に一人、悔し泣きしながら気がついたことがある。芸能の世界で生きる覚悟があるのなら、主体的に動いていかなければ、求められもしない。受け身だったら、いつまでも生徒の立場でしか無いのだ。一人の表現者として見てもらえない。
「認められたいと思うのも、受け身でしか無い」
あるダンサーさんが言っていた言葉が、その時の私に響いていた。
そのレベルから早く抜け出して、本当の自分だけの表現をして輝くべきだ、と。
この道で本当に食べていくならば、そこまでの域に達しなければ、現代社会では、生活していけないのが現実である。
だから私は、自分の技術を磨いていくのみだと思った。

そしてその中で、人と関わる時の折り合いの付け方が重要なことかもしれないと思った。

私の心の中には、大きく言えば2つの矛盾した気持ちがある。

「人と沢山繋がりたい、好かれたい私」と「傷つきたくない、嫌われたくない私」だ。
おそらく人間関係に悩む人で、こう考える人は少なくないのではないかと思う。
この気持にどう折り合いをつければいいのか。その答えをこの本が教えてくれた。

私はこの本のおかげで、友達というものは幻想であり、自分以外の人は全て他者だと考えることができるようになった。その結果、私に重くのしかかっていた肩がフワッと軽くなった。
文字にしてみると、え? それって冷たくない? そんな風に考えたら、友達いなくなっちゃうんじゃない? と思われるかもしれないけれど、そんなことはない。要は、
信頼できる「他者」を見つければいいという意味なのだ。

私は、自分のことを思ってくれる人が友達だと思っていた。例えば、舞台を応援してくれたり、誕生日にメッセージくれたり。話し相手になってくれたり、どこかへ出かけたり。けれど、私たち、友達だよねと確認するために、遊んだりしている人もいるのかもしれない。だから、久しぶりに会った友人と遊んでも、楽しいけれど、なんだか心にわだかまりが残る事があるのだ。
けれど、この本は私にこう語りかけてくれる。
「自分のことをまるごと全て受け入れてくれる友達なんて、幻想。もしそんなヤツがいたら、あなたは宝くじに当たるくらい超ラッキーな人だ」と。
あっけにとられた。人間関係をこうすればうまく築くことができるというのではなく、もともと全てを理解し合えるわけがないのだから、言ってしまえば、そこを諦めろと言われたのだから。
でも、確かに100%自分のことを理解してほしいなんて、おこがましいことなのだ。そんなことで傷ついていた自分が少し恥ずかしくなった。だって、自分だって人のことを全て理解してあげられるはずもないのに。

で、それで結局どうやって、信頼できる「他者」を見つければいいの?? となると思う。
人に理解されない、はい、諦めるで終わっては、私の問題は解決されたことにはならない。

この本には、ちゃんとその答えも用意されていた。とってもわかり易い言葉で書かれていた。
しかも、その答えはすでに、私自身もというか、おそらくすべての人が経験したことがあることだったのだ。
ああ、あの経験を繰り返すうちに信頼できる「他者」を見つけ、増やしていけるのだ、と思った。

例えば、組織の中でそれなりにストレスを受けながらも、評価された時。
自分には向いていないと思った仕事がこなせた時。

この世界で生きている限り、何も人間関係の問題だけでなく、上には上がいて、自分には限界があるのだと知った時、人は苦い思いをする。
けれど、その挫折やストレスを上手く処理できた時、人は大きな成長を遂げるのだ。それが、大人になるということなのだと、筆者は強く述べていた。

自分以外の人は他者であることを受け止めた上で、事がうまく処理できた時、おそらく、その周囲の人を信頼できていたと思う。自分の矛盾した心と折り合いをつけながら関わることが出来たということだ。たくさん失敗しながら、その経験を積み重ねていくしかないのだと気付かされたから、力んでいた肩の力が抜けたのだと思う。

(参)『ともだち幻想』 菅野仁著
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