メディアグランプリ

横を向いて歩こう さえないサラリーマンの幸せな生き方


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:岩本義信(ライティング・ゼミ特講)

 
 
私はさえないサラ―マンである。
いわゆるうだつの上がらない、出世とは無縁のサラリーマンだ。
同期はとっく部長になっているのに、私は普通のマネジャー。
仕事ができないのだからしょうがない。仕事が遅い。上司の期待に沿ったアウトプットができない。プレゼン力も企画力もない。そんな調子なので、出世しないのは当然のことだ。
 
能力が無いこともさることながら、それ以上に、出世することに全く興味が無い。
元々人の上に立つのが苦手である。非常に居心地が悪いのである。見られているというか監視されているというか、偉くなって役職がつけば人を動かせるし、決定権ができる。
普通であれば、なりたくてたまらないのだろうけれど、自分にとっては全く魅力に感じない。
それが、会社の中で言葉なり、態度なりに表れているのだろう。上司にどうやって褒められようかとか、覚えをめでたくするにはどうした良いかなんて考えたことはない。おべんちゃらなんて、さらさら言う気にならない。能力が無い上にそんなかんじだから、サラリーマン失格なのである。
 
本を読んでいてもそうだ。
大企業の経営者とか成功したビジネスマンの著書を読んでもふ~んという感じで、「そう、よかったね」で終わり。それより、世間一般には名は知られておらず、日の目をみることもないが、病気や貧困、虐待等の苦境の中で決して捨て鉢にならず、人としての尊厳、あるべき生き方を失わずにコツコツと人生を全うしてきた人の話にものすごく共感する。
教育の分野では有名なある小学校の先生が、実力的にも人物的にも優れていて何度も校長推薦の話があったが、その先生はあえてその職位を辞し、定年まで一教師を貫いて、生徒たちと直接接し教える立場を選ばれた方がいらっしゃるが、そういう方のお話はものすご心に響く。
 
何でだろう?
自分に能力がないことの裏返しか。小さい頃の育てられた環境によるものか。
出世して偉くなった人は成功者であり、すでに満たされているので、自分が頑張って何かをする対象ではないという思いがあるのだと思う。それよりも、普通の社員、普通のマネジャーの社員の皆さんに対して、今の立場で何か役に立つ仕事ができないか、そればっかり考えている。
きっと、人の上に立つのが嫌いな性格なのだと思う。
そういえば、25年前の自分の結婚披露宴のときのこと。
当時はまだ仲人がいる披露宴で、高砂で仲人と並んで座っていたが、高砂という場所が
とにかく居心地が悪くて、披露宴の途中で高砂を降りて、各テーブルに酒をついで回っていた。
「お前は新郎なんだから」とみんなから高砂に無理やり押し戻された。
何だろう、小心者なのだろうか。
 
上が嫌いなのは人間関係や役職についてだけではない。モノについてもそうだ。
ブランドのスーツ、靴、時計、高級外車等など、どれも興味がない。
プレゼントするよと言われても、もらいたいと思わない。持ったことがないからその良さが分からないからなのかもしれない。やせ我慢ではない。本当に欲しくないのだ。
デパートに行っても、ブランド品のデザインの美しさ、縫製の細やかさ、素材の素晴らしさなどには目が行くが、所有欲はなく、むしろそれを作っている職人さんたちとその技術に関心が向いてしまう。
 
それより、高級品どころか、道端の落し物の方に気持ちが行ってしまうのだ。駅のコンコースに落ちている切符とか、道に落ちている片方の手袋とか、オフィスの床に落ちているクリップとか、そんなものに関心が行く。どんな人が落としたのか、落とした人は今頃焦って探していないか、失くしてしまって困っていないかと想像する。そして、落し物が寂しそうに見えて、せめて拾ってあげなきゃと思うのだ。きっと、落し物に自分の姿を重ねているに違いない。
 
書きながら、自分がさえないサラリーマンだけでなく、変わり者であることがだんだん分かってきた。
だからと言って、全然困ったことはないし、人に迷惑をかけていることもない。
(上司は、「もっと仕事をがんばれよ!」 と不満に思っているかもしれないが)
 
出世して会社のトップに立つのは男の本懐という。
限りある命。人生100年時代とはいえ、会社で働けるのはせいぜい40年ちょっと。その短い年月をトップを目指して全力で頑張ることは立派な生き方だと思うし、否定はしない。それができる人を尊敬するし、そのエネルギーが会社を、社会を、日本という国を支えているのだ。
 
しかし、その生き方を選択した時に、どこまで行けば幸せなのか。
部長? 事業部長? 副社長? 社長にならなくては負けなのか。
そんなことはないはずである。
 
何を幸せとするのかは人それぞれだ。
大事なのは、幸せの基準が、誰からの影響も、周囲の環境変化の影響も受けない、揺るぐことのない確固たるものであることだ。他人との比較や競争に勝ち抜くことを幸せの基準にすると、幸せを勝ち取るのはたった一人しかいないことになる。
 
自分にとっては、自分がどこまで行けるかより、誰と一緒なのか、誰と仕事をするのか、どれだけの人と一緒に楽しく仕事ができるのか、それらを幸せの基準にしている。
だから、競争とは無縁なのである。敵がいないから無敵なのである。
 
肩の力を抜いて、自分らしく、自分の幸せの実現に向けて日々汗をかく。
そうして毎日を大切に生きていけば、上に行きたくなくても、周りから押されて自然と上に上がっていくのでないか。その時はきっと居心地の悪さを感じることはないだろう。
 
 
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2018-08-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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