ロンドンの公園
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記事:岸本高由(ライティング・ゼミ平日コース)
ロンドンの夏は短い。
最近は温暖化の影響で少し長くなったみたいだけど、ぼくたちが住んでいた5年ぐらい前は、毎年平均して2週間ぐらいの体感だった。短パンで外に出たくなるような、そんな夏は3日もない。
短い夏だから、ロンドンの人たちはとにかく夏が好きみたいだ。夏になるとほぼ毎日仕事帰りにパブの前で酒を飲んでいる。立ったまま。イギリスは緯度が高く、夏は日がなかなか沈まないから、仕事が終わる6時ぐらいから、日が暮れるまではだいたいみんな飲んでいる。ちなみに日没は夜10時ぐらいなので、しっかり酔っぱらえるぐらいには飲む時間がじゅうぶんにある。そんな感じで仕事帰りに飲んでいたら、なんだか夏になると腹回りに肉がつくようになってきたのだ。
当たり前である。つまみと言っても、フィッシュ&チップス(魚の揚げたやつとフライドポテトにビネガーとかかける)とか、チップスだけとか、クリスプス(ポテトチップスのことを英国ではこう呼ぶ)とか、ビールと組み合わせれば最強の脂肪と糖! パンチの効いたボディーブローは腹に来る。
というわけで、ジョギングをすることにした。
家の近くに広い公園があった。東京には空がない、と誰かが言ったが、ロンドンには空もあるし、広い公園がどこにでもある。ロンドン自体が風致地区のようなものなので、100年以上前から建った建物を建て替えることができず、修理して中をやりかえたりしながら、みんな住んでいるし、家の前の道路も造成されたり再開発されたりすることも滅多に無い。公園も同じで、100年以上前から街にあった公園が、ずっとそこにある。
なだらかな斜面に沿って広がっているその公園には、冬になると白鳥が渡ってくる大きな池と、イガイガのついた大きな実を落としてくる10メートルぐらいはあるような大きな木々が公園を囲む歩道の周りに並んで生えていた。公園を一周する歩道のさらに外側の舗装していない地面に、木々を縫うようなルートで、人々が走って自然に作られた、けもの道のようなジョギングルートがあった。一周するとちょうど5キロ。
東京に住んでいたときも、ちょこちょこ思い出したようにジョギングしたりもしてみたが、どうも舗装した道をずっと走っていると、足とか膝とかが痛くなってきたりして長続きしなかった。でも、この公園の土の上を走るルートは、走っていて毎日楽しかった。
夏の長い夜、帰宅したあと夕食前に走りに出ても、まだ全然空が明るい。ぼくの住んでいたエリアは、昼間は美しいが夜は結構物騒で、暗くなってからは一人で出歩くのが躊躇されるようなところだったから、夜のジョギングで明るいのはとても助かった。
ジョギングコースには色んなランナーが走っていて、白人も黒人もアジア人も、若い人も太っている人も、だいぶベテランの老人も、めいめいが自分のペースで好きに走っている。特にランナー同士で交流があるわけではなかったけれど、なんとなくお互いに見たことあるなといった感じでときに視線を交わしたりする。そんな距離感が、自分にとってはとても楽しかったのだ。木々の間を縫って足を運び、着地する地面の、足の裏に感じる腐葉土の柔らかさが、とても優しかった。そうやってジョギングを始めてから何日目かの夕暮れに、なぜだか急に静かに幸せな気持ちに満たされた瞬間がやってきた。
いままで感じたことのない感覚だった。僕たちはただのアジアの極東からロンドンくんだりまでやってきた移民だし、その街に何の地縁も血縁もなかったけれど、ぼくはその公園を走っていたとき、なんだかその街に受け入れられたような気がしてきたのだ。許された、というか、ここに居てもいいぜ、だって色んなやつがいるじゃねえか、お前もアイツも、どっから来たかは知らねえけど、この公園好きだろ? だったら、いいぜ、居たいだけ居ればいいんだよ。
だれかにそう言われたわけではなかったけれど、そんな風に言われたような、そんな気がして、ぼくはその街が本当に好きになった。
ちょうどその頃、はじめての子供が生まれて、ぼくらの行動範囲は狭くなり、近所で過ごす時間が長くなったのだけど、その街に感じた寛容さは、減るどころか、ますます大きなものになっていった。ジョギングをする回数は減ったけれど、晴れた日には小さな子どもを連れて毎日のように訪れるようになった。そういえば、彼女が最初に走った日の映像は、この公園の芝生の上だった。
何があるわけではない、ただ木々と、芝生が静かにそこにあるだけで、夏には芝生の上で思い思いに友達どうしや家族が寝転び、ずっと切り株にもたれて読書をしていたり、短い夏の日にはビキニで日光浴をするひとたちもいる。そんな何もない公園だが、ぼくたちは大好きだった。きっと街の人もみんなそう思っていたのだと思う。100年前にそこに暮らした人たちも、きっと同じだったのだろう。
公園は、街に人を結びつける、のりしろだ。のりしろのある街は、人に居場所を作ってくれる。
もう離れてしまったけれど、ぼくは今でも公園のある、あの街が好きでいる。
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