新しい友達はおばあちゃん
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:佐々木 ヨーコ(ライティング・ゼミ特講)
国道から逸れて車を15分ほど走らせると、山あいの道の向こうに目的の3階建ての建物の緑の屋根が見えてきた。
わき道を入る為の目印のバス停を見落とさないように、私は速度を落とす。
小さな交差点の脇にぽつんと立っているバス停の丸い看板を右折すれば、建物の正面に出る。
私は駐車場に車を停めて外に出た。見上げると、建物の背後には間近に夏の名残の深緑色を残した山と青空が広がる。人通りは殆ど無くどこか遠くで鳥のさえずりが微かに響く。
普段生活をしている都心部からは想像もつかない位、のどかな空気だ。
ここはいわゆる老人ホームだ。叔母の家で介護をしていた祖母は、諸事情により数年前からここで暮らしている。私は3ケ月振りに祖母に会うために、車で2時間かけて母親と一緒に来たのだ。
一見何の変哲もない老人ホームだが、私にとっては少々居心地の悪い異次元の世界だ。
ここに暮らす人々は私の普段の生活では殆ど接点が無い人達で、ここでの時間はとても緩やかに少しずつ流れるので、まるで止まってしまったように感じる。
たまにしか来ないのだから当然といえば当然だが、何故かここでは何というか無力感におそわれる。
始めこそ、介護の知識は殆ど持ち合わせていないがせめて話相手位ならなれるのではと思ったが、唯一の接点である祖母は、ここに入居してすぐに私の事は忘れてしまった。
そんなわけで自分が行っても特にできる事もなく役にも立たないという思いから訪れる事が億劫になり、母親は月に1度は訪れるようにしているようだが、私は仕事が忙しい事を理由に滅多に行かなくなっていた。
訪れた時は、昼食の時間で入居者の方が広い部屋のあちこちで、思い思いにお昼ごはんを取っていた。
車いすに座ったまま半分眠っている様に殆ど動かない人、ご飯を食べながら大きな声で何か歌を歌っている人、大型テレビの真正面でのど自慢の番組を見ながら職員の方を呼んでは雑談をする人、その中で一番入り口に近い席に祖母が座っていた。
「こんにちは、今からお昼ごはん?」
できるだけ明るい声で呼びかける。
祖母は顔をあげて、私の顔を見た。少し緊張した面持ちで私をみる。
どこの誰だか分からないのだから仕方がない。突然知らない人が訪れたのと同じなのだ。視力も弱っているため、左目は殆ど見えていないと聞いていた。
「佐々木です。おばあちゃん覚えてる?」
3ケ月前に訪れた時と同じ会話をする。祖母は、首を横に振ってはにかんだ様に笑った。
母が後ろから声をかける。
「おばあちゃん、久しぶり。元気にしてた? 今日のお昼ごはんはごちそうだね」
さすがに実の娘の事は覚えていて、母とは話もする。
「遠い所来てくれてありがとう。この人は、いつもお供でくるの?」
「この人」とは私の事らしい。今日はどうやら私の事を運転手か何かと思ったようだ。
母は何か相槌をうちながら、祖母のひざ掛けをさりげなく直したり、口元についたかぼちゃの煮物を拭き取ってあげたり、お茶のコップの位置を取りやすいように向きを変えたり、手際が良い。
私はそれをじっと、ただ見ている。
やれ客先へのプレゼンテーションや、企画書作成や、WEBマーケティングといった事のために身につけたスキルはここでは本当に役に立たない。
本当は何かしてあげたいのに、ひざ掛けを直してあげるタイミングですら躊躇して手が出ないのだ。
完全にアウェーの世界だ。
3ケ月前に来た時と同じ様な無力感に襲われながら、あと1時間ほどを何とか耐えようと腕時計を見る。
母が「おばあちゃんの部屋を片付けてくるから、少しおばあちゃんをみていて」と言って席を外した。
祖母と二人で残される。祖母はマイペースで昼食を口に運んでいる。
私は間をもたせようと笑顔を作って、およそ身内とは思えぬたどたどしさで祖母に話しかける。
「おばあちゃんは食べ物では何が好きなの?」
「おすしか、おうどんかなあ?」
良かった、答えてくれた。
その時、祖母が私を見て唐突に言った。
「結婚はしてるの?」
なに、その核心的な質問は?私があまりに気が利かないからだろうか?
そんな事を思いながら少し後ろめたいような気持ちをおさえて答える。
ごめんね、女らしくなくて。仕事ばっかりしてて結婚に向いていないかもって思ってるんだよ。
「結婚は、してないよ。仕事が忙しくてさ」
「そうなの。ヨーコちゃんが楽しい事をすればいいから、結婚はしなくてもいいよ」
え?なにその、女子会的なセンスの会話。
50歳も歳が離れている人と話していると思えない、上から諭すようでもなく、余所余所しくもなく、祖母の声はとても優しく響いて、一瞬、仲の良い女友達と会社帰りにご飯を食べながら話しているような錯覚がした。
母親が戻ってきた。
「お部屋きれいにしてあったわ。おばあちゃん、お薬のんでね」
言いながら母は職員さんに声を掛けて、お薬の準備をしてもらう。やっぱり私と違って手際が良い。
「そろそろ遅くなるから行こうか。おばあちゃん、また来るね」
母はそう言って立ち上がった。祖母は少しだけ頷く。
部屋を出る時に、私はもう一度振り返った。いつも友達と別れ際にするように、祖母に手を振って言った。
「バイバーイ!」
祖母の顔から笑顔がこぼれた。少し恥ずかしそうに手を振って、「バイバイ」と言ってくれた。
今度は、3ケ月後じゃなくて、来月にでも行ってみようかな。歳の離れた友達として、あの笑顔を見るために。
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