メディアグランプリ

「死んで永遠になるなんて、ずるい」


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記事:水峰愛(ライティング・ゼミ木曜コース)

 

人生のある一時期、私には画家の恋人がいた。

違う人の妻となった今、彼のことについて語るのは、すこしの胸の苦しさと罪悪感を私にもたらす。私たちには事情があって将来の約束ができなかったのだけれど、ひとつの恋愛に傾けた心の純度と熱量をふりかえった時、彼との体験以上のものはない。おそらく、これからも無いだろう。

私たちは、街の飲み屋で出会った。いわゆるナンパだ。だから私は、二度目に会うまで、彼が画家だということを知らなかった。彼が自分を画家だと白状したのは、同年代の勤め人の男性にしては、ライフスタイルや生活サイクルに不審な点があることを、私が訝しんだからだった。

「あなたの絵が見たい」

そう言った私に、彼は翌日から毎朝、自分の作品をメールで送ってくれた。それに対して私が短い感想を述べる日々が続いた。

まるで孔雀が羽を広げるように、彼は精一杯自分の芸術をアピールしてくれていたけれど、その頃には、もうとっくに私は彼のことを好きだった。

二人が正式につきあうようになってしばらく経ったある日、私は彼に言った。

「私は画家としてのあなたを尊敬しているし、芸術に対してこういう触れ方をするのは不遜かもしれないけれど、あなたに私の絵を描いて欲しいの」

それに対して、彼はしばらく考えこんで、それから答えた。

「愛情の度合いとモチーフとしての適正には関係がないんだよ」

それは暗に、拒否を意味した。

まず自分がモチーフとして不適合だと言われたことにも落ち込んだけれど、それ以上に私を傷つけたことがある。

 

彼と二度目に会った夏の夜、私は一枚だけ、彼の描いた絵を見せてもらった。

「携帯に保存しているのはこれしかない」と言って見せてくれたそれは、美しい裸婦像で、モデルは彼のかつての恋人だった。

抽象画を得意とする彼が緻密に描き込んだその女性は、白い肌に体温を宿して、息遣いすら感じられる艶かしい視線を、こちらに投げていた。

「きれいだね」

素直に感想を述べた私に、彼は、言った。

「でも、彼女は死んじゃったんだよね」

聞くところによると、彼女は彼と別れてしばらく経って、病気で亡くなったらしい。それを彼は人づてに聞いて、「人生で一番ショックを受けた」

そんな風に語っていた。

その話を聞いた当初の私は、胸が痛んだ。自分が一度でも愛した異性が亡くなるという経験の途方もなさを想像するといたたまれなかったし、若くして命を落としたこの美しい女性や、残された家族が、純粋に気の毒だと思った。

しかし、彼との関係が深まるにつれ、私は自分が別の感情を抱き始めていることにも気づいていた。

彼の目の前にいる私は生きた人間で、それだけの醜さを伴いながら、命を全うしている。感覚があって感情があって、細胞を代謝させて、生きている。それらの営みの大半は美しくないし、それを側で見ている彼の気持ちだって、いつかは褪せてゆく。でも絵画に閉じ込められたあなたは、永遠に美しいままだ。

肌の調子が悪い日もなければ、情緒不安定になって彼を幻滅させる日もない。歳もとらない。若くて美しいその姿のまま、彼の記憶に留まり続けるのだ。

死んで永遠になるなんて、ずるい。

私は生きて永遠になりたいのに、それはきっと叶わない。

だからせめて、絵だけでも描いて欲しいと私は願った。

 

今ならわかる。

心があって、喜び、悲しめることの有り難さが。醜さと美しさの間で揺れ動ける、生身の体の尊さが。どれだけの醜さを晒しても、永遠になんてなれなくても、彼女は生きたかったに違いない。

しかし当時の私は、事あるごとに彼女と自分を比較し続けた。

彼のミューズになれた彼女と、なれなかった私を比較し続けた。そして私の激しい嫉妬と劣等感は、次第に二人の間に亀裂を生じさせていった。

「そんなふうに君が思ってしまうなら、もう一緒にいないほうがいいね」

ついに彼が言った時、私の要求の多さに彼が愛想を尽かしてしてしまったのだと思ったけれど、おそらく彼もまた、愛情をいくら注いでも、足りない足りないとゴネる私を前に、無力感を味わい傷ついていたのだ。

 

私は彼のいちばんになりたかった。

でもあの一枚の裸婦像が、そうでないことの決定的な証明のように思えた。

私は、彼のいちばんになりたかった。

なぜならそれは、彼が私にとっての、絶対的ないちばんだったからだ。

 

しかし当時の私たちにとって、それは絶望的に確かめようのないことだった。確かめようのないことに、自分たちで追い込んでいた。

ひたむきさと紙一重の身勝手さで愛情を求めながら、同時に理不尽な理屈で傷ついて、与えられる愛情のかけらを見境なく壊していたような気がする。あれから何年が経っただろう。

それでも私は生きていて、歳をとる。

そんなに立派な大人になったとも思えないけれど、昔ほど不毛なこだわりを持たずに生きられるようになったような気はする。

結局、彼が私の絵を描く事はなかった。

けれど大切なのは、相手を理想化して永遠に思い続けることではなくて、また、その対象になることでもなくて、生身の人間として生きる相手の、その生命を慈しみ祝福することなのだと、今なら思う。

34歳の私が、彼の幸せを心から願っているようにして。

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2018-12-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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