人生で大切なことは「細マッチョ先輩」が教えてくれた
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:赤木 広紀(ライティング・ゼミ日曜コース)
「おぉ、こんな近くでバイトがあるんだ。夏休み暇だし、行ってみようかな~」
今から20年以上前のこと。家が近いからというだけの理由で選んだ通販会社の倉庫のアルバイト。
「はい、これ今日の分の伝票ね。」
正社員から渡された注文伝票の束を抱え、「ここは体育館か?」と思うような倉庫を走り回って商品をピックアップ。気分はまるで借り物競争!
……なんて思ったのも最初のうちだけ。
延々と同じ作業を繰り返す単純作業は、驚くほど時間が経つのが遅い。
「ここの時計、絶対、壊れているよね?」
そう、時計に文句を言ったことは数知れず。
そんなバイトの息抜きは、休憩中のたわいないおしゃべり。
支給される冷たい弁当を食べながら、「どこに住んでるんですか~」「何してるんですか~」と年上に見える人には敬語っぽい言葉を使い、年下に見えたら「あー、〇〇くん、よろしく。わからないことがあったら何でも聞いてね」と先輩風を吹かす。
いつもの休憩中のたわいないいつものおしゃべり。
だが、あの日のことは、20年以上経った今も忘れることはない。
「へぇ~、〇〇さんって毎日、泳いでいるんですか~ 身体を鍛えるのが好きなんですね~」
体格は小柄だったが、毎日泳ぎに行っているだけあって、今なら細マッチョと呼ばれる引き締まった身体をしているバイトの先輩がいた。
倉庫のピックアップは単純作業だが、ずっと走っているし、それなりの重さの商品もあるので案外、体力を使う。だからなのか、スポーツや運動をしている(していた)人も多かった。
細マッチョ先輩も、そういう一人だった。
実は、細マッチョ先輩は、僕にとってちょっと気になる存在だった。
理由は、彼が毎日泳ぎに行っているから。
でも、それだけではない。
本当の理由は……
僕が「カナヅチ」、つまり、泳げなかったからだ。
夏は、泳げない人間にとって憂うつな季節だ。
中でも一番憂うつだったのは、小学校のプールの授業。
一番端っこのレーンには、プールサイドの縁をつかんでバタ足をする泳げない子供たち。
10秒経ったら「プハァー」と息をして、また顔をつけて全力でバタ足。
でも悲しいかな、どれだけ必死にバタ足しても前には進まない。
一方、真ん中のレーンには、ビート板も使わずスイスイ泳いでいる子供たち。
10秒経ったら「プハァー」と息をするのは同じ。
でも、あちらは優雅に25メートルを何度も往復している。
見たくないけど、泳げる子を横目で見てしまう。
感じるのは、何とも言えない恥ずかしさと悔しさと情けなさとわかっているのに。
幸いなことに、中学と高校にはプールなかったので、そこまでみじめな思いはせずに済んだ。
だが残念なことに、泳げない自分を克服する機会もなかった。
「世の中、泳げない人もたくさんいるよ。別にそこまで気にしなくてもいいんじゃない」
そう思うかもしれない。
僕もそう思おうとした。
でも、そう思えなかった。
なぜ、そこまで気にしてしまうのか?
実は、小学1年生のときに1年間、スイミングスクールに通っていた。
でも、泳げるようになる前に、辞めてしまった。
一緒に通っていた友達はどんどん進級するのに、僕は何度やっても息継ぎができず、一人だけずっと泳げないまま。そのみじめな気持ちに耐えきれず辞めてしまったのだ。
そう、僕は挫折した。
泳げるようになろうと思ったのに、泳げなかった。
「へぇ~、〇〇さんって毎日、泳いでいるんですか~ 身体を鍛えるのが好きなんですね~」
そう、毎日泳いでいる細マッチョ先輩を見て、うらやましくもあり、同時に言葉にならない複雑な思いをしたのは、そういう体験があったからだ。
「じゃあ、それだけ泳げるんだったら、小さいころからスイミングスクールに行ってたんですよね」
ちょっと複雑な気持ちで、でもそれを悟られないように尋ねる。
このときはまだ、彼の返した言葉で、僕の人生が大きく変わることになるとは夢にも思っていなかったが。
「えっ、ちがうよ」と、細マッチョ先輩。
「えっ、ちがうんですか? じゃあ、いつ頃から泳ぎ始めたんですか?」
「ん、最近だよ。オレ、ずっと泳げなかったし」
「えっ、じゃあ、最近まで泳げなくて、大人になってから泳げるようになったんですか?」
「そう、スイミングスクールに行ってね。で、泳げるようになったわけ」
「えっ、なんで、なんで大人になってからスイミングスクールに行ったんですか?」
「いや、オレ泳げないから、泳げるようになりたいなって思ったんだよね。それでスイミングスクールに行ったんだよ」
目からうろこが落ちる。いや、あのときの衝撃は、そんなありきたりの諺なんかでは言い表せない。
「泳げないから、泳げるようになりたい」
ただ、その純粋な思いに従って、細マッチョ先輩は大人になってからスイミングスクールに通い、そして、泳げるようになった。
一方、僕はというと「小さいころに泳げなかったら一生泳げない」という鋼鉄でできた絶対にちぎれない信念という名の鎖で自分をがんじがらめに縛って生きてきた。
そして、あまりにも長い間、自分を縛ってきたので、もうその鎖の存在にも鎖で自分を縛っていることにも気づかなくなっていた。
その鎖があったから、僕は泳げなかった。
でもその鎖は、泳げないことの恥ずかしさ、悔しさ、情けなさを二度と感じさせまいと僕を守ってもくれていた。
「あぁ、そうだ。僕も本当は泳げるようになりたかったんだ……」
その本当の想いに気づいた瞬間、僕を縛っていた鎖は跡形もなく消えていた。
まるで最初から無かったかのように。
鎖もまた、役目を終えて解放されたのだ。
「もう一度、スイミングスクールに行こう」
あの夏から20年以上が経った。
その後、スイミングスクールに通い始めた僕は、もう一度バタ足から練習した。
息継ぎはやはり難しかったが、コツをつかんだ後の上達は早かった。
結局、泳げるかどうかは息継ぎができるかどうかにかかっていると今ならわかる。
水泳の面白さに目覚めてからは、週4日ペースで泳ぎに行っていた。
ちょっぴり細マッチョ先輩の気持ちがわかって嬉しくなった。
「できないから、できるようになりたい」
ただ、その純粋な想いに正直になること。
その純粋な想いが自分を縛っている鎖を解き放ってくれること。
「オレ泳げないから、泳げるようになりたいなって思ったんだよね」
細マッチョ先輩。
あなたが自らの姿を通して教えてくれたことは、今も私の中で生きています。
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