メディアグランプリ

さよなら 私の好きだった人


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:海風 凪(ライティング・ゼミ日曜コース)
*この記事はフィクションです。
 
「そんなくだらないこと言えない」
彼が繰り返す。
「誰もいない」
 
食事を終えて戻った彼の部屋。しばらくすると電話が鳴った。
電話をとった彼は、小声で話し続けている。
そして同じ言葉を繰り返す。
「そんなくだらないことは言えない」
「誰もいない」
誰、彼と話しているのは。
 
そっとソファから立ち上がり、洗面所に行く。全神経を耳に集中したままで。彼はこっちを見ようとしない。
洗面台の鏡の中不安げな顔の自分に言ってみる。
「大丈夫。きれいだよ」
電話は終わらない。
洗面所には青い歯ブラシが一つ。
右耳のピアスを外してみる。シンプルな銀色のピアス。さりげなくこのまま洗面所の隅に落としていこうか。それとも部屋に落としていこうか。
 
予感はしていた。
近所にある彼の行きつけの小料理屋で食事をした。
「水木ちゃん、美女連れてきたね。アコちゃんに言わんと」
とかけられた言葉に、
「仕事ん人や」
と答えた彼。
声をかけた女将は、私には何も言わない。探るような目で私を見ている。
白髪の60過ぎのやせぎすのおばさん。そんな目で私を見ないで。私が彼といることがまるで悪いみたいだ。
彼はこの店の常連なのか。いつもアコちゃんと来ているのか。
「水木ちゃんはいつもん焼酎やな」
「そうやな。あと魚焼いて」
「最近ご無沙汰やったね」
「仕事が忙しかったけん」
親しげに会話を続ける彼。
カウンターと、テーブル席が3つ。全体に照明が暗い。小料理というより居酒屋と呼ぶ方がふさわしい。ほとんどは常連の客のようだ。そこにいない常連客のうわさ話で盛り上がっている。
出がけに女将が彼に聞く。
「そん美女、いつまでおると」
「後でホテルに送っていく」
彼が答える。
 
彼がこの地に転勤して2年になる。
出会ってからは5年あまり。
はじまりは夏。趣味のサークルで出会った。声をかけてきたのは彼。何となく付き合い始めた。はじまりは彼からだったけれど、惹かれていったのは私。
もともと気軽に会話ができるたちではない。ましてや好きな相手に何を話していいのかわからない。一緒にいても、会話できない。こんなこと話したら呆れられる。こんなこと言ったら嫌われる。想いを募らせるだけの日々だった。
「好き」といったことも、「好き」といわれたこともない。
今となっては、付き合っていたと言えるのかもわからない。
彼のどこが好きなのか、自分でもわからない。
いつのまに「好き」の大きさの不等号が 私>彼 になってしまったのだろうか。
 
電話はまだ続いている。
低い声で彼が話している。
「もう切るぞ。じゃあな」
彼が電話を切った。
彼は私を見ない。横を向いたままの彼をじっと見つめる。
黒いポロシャツの、衿についた白い汚れがやけに気になる。
目をそらしたままで彼がつぶやくように言った。
「長崎の娘だ」
「付き合っているわけじゃない」
 
せがまれていたのは愛の言葉なのか。
もともとそんな言葉など口にしない人だ。誰かを深く愛することなんてない人だ。そう思っていた。
愛の言葉を口にしない彼。求めない私。いや、求めたくとも彼の心がないことを知りたくなくて求められない私。素直に愛の言葉を彼に求められる、電話の向こうの誰か。
 
「付き合えばいいのに」
いつもそうだ。本当は私のことを見てほしい。知ってほしい。誰にも渡したくない。なのに口から出る言葉は、心とは裏腹。強がりばかり。自分を守るための愚かなプライドが、素直に言葉を口に出すことを邪魔する。
「面倒だから」
抑揚のない、感情が入っていないような彼の声。
私と話すときは、方言は出てこない。
思っていた通りの彼の答え。期待した通りの答え。安堵したものの、私に対してもそれは全く同じこと。それが彼。深くかかわりたくないと思っている。面倒になると身をかわす。それが私と彼との5年の月日。積み重なるわけではなく、時とともに流れていった5年間。
 
この地を訪れるたびに、遠い昔に思いをはせながらあちこちをまわった。
教会で祈り、神社で願った。
私が訪れるたび、彼はいつも付き合ってくれた。でもただそれだけ。私の願いは、私の祈りは、彼には届いてはいない。
言いたい言葉、聞きたい言葉は、滓のように私の中で溜まっていく。
 
「結婚してほしいって言われているの」
彼に言ってみる。嘘ではない。前から言われていた。なんとなく付き合っている会社の同僚に。好意は持っているけど、情熱はない。私が欲しいのは彼だから。
帰ってくるはずのない答えを期待した。
「水木さんが止めてくれたらやめるんだけど」
ずるい言い方だと思う。けれど一度口に出した言葉は戻らない。
ストレートに愛の言葉をせがむ、電話の向こうの誰か。
相手の気持ちを測る言葉を吐く私。
彼が振り向くように私を見る。
浅黒い顔。パーマっ気のない髪。太い眉。そして二重の大きな目。
その目が私を見る。そしてすっと横にずれる。
「すればいい」
 
ピアスは置いてこなかった。泣きもしなかった。すがりもしなかった。それがせめてもの私のプライド。
そんなちっぽけなプライドなんて捨ててしまえばいいのに。
泣いてすがって、そばにいればいいのに。仕事なんてやめて、彼のもとに押しかえればいいのに。
そしたら彼との関係は変わっていたのだろうか。
 
路面電車の窓から街の灯りが揺らいで見える。
港のそばを通る。港は黒々とした水を湛え、そのきわを街の灯りに飾られている。陸から離れるにつれ、周囲の山々の黒影とともに徐々に闇に溶け込んでいく。
深く黒い闇。
私のちっぽけなプライドも、5年の日々も、彼さえも夜の闇に喰われてしまえばいいのに。
 
さよなら 私の好きだった人。
 
 
 
 
***
 
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2019-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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