メディアグランプリ

賢明と聡明の間で


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:奥村まなみ(ライティング・ゼミ火曜コース)
 
 
入社して1年目が一番ひどかった。
何をしても失敗。ミスの連発。上司からの怒鳴り声。
自分でも、なぜこんなにも繰り返してしまうのかが分からない。
負のループにはまり込んでしまった、という感じの毎日だった。
 
「お客様に領収書、送っておいてもらえる?」
上司にそう頼まれて、送付手配をした数日後、お客様から「領収書、すでにもらっているんだけど?」とクレームの電話。送付済みのチェックが抜けており、ダブって発行していたのである。
 
「今日の集計、本店にファックスしておいて」
そう言われてすぐに送信したのはよかったのだが、送信先の設定がこれまたダブっており、本店と同時に他社にも送ってしまったのである。社外秘の情報を他社に流すなど、あってはいけないこと。上司からのお叱りを受けたのは言うまでもない。
 
他にも、電話の取次ぎをすれば、お客様名を聞きまちがえてクレーム発生。
商品の発注を頼まれれば、数字を一桁、まちがえて入力。
数え上げたらきりがないが、とにかく「何をやってもうまくいかない」とは、こういうことだと思った。周りに迷惑をかけてしまっているという罪悪感と「こんなこともできない」という自己嫌悪から、私はここにいても意味がないと感じていた。
 
そんな私を、最初はなぐさめてくれていた上司も、だんだんと怒りのボリュームが大きくなり、やがては呆れモードと変わっていった。
当たり前である。どれもただ単なる確認不足という初歩的なミスばかり。未然に防ぐことは可能なのである。
徐々に依頼される仕事の量も減り、それが自分の仕事への信頼度が落ちている証拠だということは明らかだった。
 
落ちこんだ。
自分は、もっと仕事ができる人間だと思っていた。とんでもない勘違いをしていたようだ。
入社前の、夢見ていた状況とのギャップ。
また同じミスをしてしまうのではないだろうかという不安。
また怒鳴られるのではないだろうかという恐怖。
日に日に、仕事をするのが怖くなっていった。
自分で自分を大嫌いになっていった。
 
そんなある日、肩を落としていた私に、先輩のひとりがかけて下さった言葉を、声のトーンもそのままに、今でもよく覚えている。
 
「あなたに足りないのは経験だけ。ひとつひとつ、できるようになっていこう。あなたは、この職場に必要な人だよ」
そう言われて、職場にもいるにもかかわらず涙ぐんでしまった私に、先輩はこうも言って下さった。
「あなたは、賢明じゃなくて、聡明な人。私はそう思っているから」
 
言われたその言葉に、私は少しもピンとこなかった。
「賢明と聡明……。どちらも私には遠い言葉だな。にしても、このふたつ、同じような意味じゃないの?」そう思った私は、帰宅してから「賢明」と「聡明」それぞれを辞書で引いてみた。
 
「賢明」とは「かしこくて、物事の判断が適切であること。また、そのさま」
とある。「聡明」とは「物事の理解が早く賢いこと。また、そのさま」とあった。
思わず吹き出してしまった。
「ひとつも私に当てはまるところ、ないんですけど?」
「ちがいもよく分からないし……」
結局、先輩の言葉の意味を理解しないまま、私はまた仕事に追われる日々を送っていた。
 
あれから10年。
今、私はどうしているかというと……。あの頃と同じ職場にいる。
よくもまぁ、こんな私が続けてこられたなと思う。
迷惑をかけた人、数知れず。自己嫌悪、なかった日の方が少ない。
なのに、私はまだこの職場にいる。なぜなのだろう。
 
ときおり、あの日の先輩からいただいた言葉が、思い出される。
「あなたは、賢明じゃなくて、聡明な人。私はそう思っているから」
10年たった今も、ずっとずっと理解できずにいる「賢明と聡明のちがい」の話。
もしかしたら、あの言葉の意味を知りたくて、私は今までこの仕事を続けてきたのかもしれない。
 
何年か続いたあの負のループから、私がどのようにして抜け出したか。
正直、よく覚えていない。ただただ、がむしゃらに、毎日毎日、目の前に飛んで来る球を打っては返す、打っては返す。そんな日々だったように思う。
最初はバットにかすりもしなかった球も、いつしか当たるようになり、めちゃくちゃな方向に飛んでいた球が一定方向に飛ぶようになり、やがて、飛ばしたい方向に飛ぶ確率があがっていった、そんな感覚である。
 
今でも仕事でミスをすることはある。周りに迷惑をかけてしまい、落ち込むことだってある。にもかかわらず、私は同じ仕事を続けている。ずいぶんと図太くなったものだなぁと苦笑いが出る。しかし、この図太さは、私の場合、ダメな自分を認めることができるようになった、そう言い換えることができるのかもしれない。
 
ダメな自分を認めること。失敗やミスをした自分を、ダメな自分としないこと。
少し矛盾した表現になるのかもしれないが、そこには、失敗やミスをしたという自分が存在するだけであって、ダメな自分がいるのではない。自分は自分のまま、そこにいていいのだ。図太さを味方にして、私はそんな風に思えるようになっていた。
 
「賢明と聡明のちがいってなんだと思う?」先日、ふと父親に聞いてみた。
すぐに「同じだろ?」という答えが返ってきたのだが、数日後、なにを思い返したのか、その答えを紙に書いて渡してきた。
そこには、こう書いてあった。
「賢明な人とは、上手に手際よく草を刈る方法を考え、それを実行する人」
「聡明な人とは、路傍の草花や雑草を愛で、それと対話できる人」
どうやら「賢明=父」「聡明=母」と言いたいらしい。
 
「あなたは、賢明じゃなくて、聡明な人。私はそう思っているから」
今も、その言葉の意味は模索中だが、いつか私なりのちがいが見つかればいいな、と思っている。先輩への感謝の気持ちとともに。
 
 
 
 
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2019-05-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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