できないんじゃない。あきらめたんだ。
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記事:芦野 雅代 (ライティング・ゼミ日曜コース)
「赤ちゃんの体重、減ってるので、ミルク足しましょうね」
第一子出産直後、入院中に優しく声をかけてくれる助産師さんの言葉に、私は愕然とした。
さっきは、「痛くてもおっぱいはたくさん飲ませた方がいいですよ。そうしたらもっと母乳が作られるんです」
と、教えてくれた助産師さん。
なのに、ミルクを足せというのか。
3744gで産まれた巨大児は、産後とにかくよく眠った。
時々息をしているか確認したくなるほど、長い時間まとめて眠ったのだ。
寝てばっかりでおっぱいを飲まないから、みるみる体重は減ってしまう。
おっぱいが痛いから、助産師さんにマッサージしてもらうが、その最中にも「出ないなら完母(完全母乳)にこだわる必要はない」とか「ミルクには、バランスの良い栄養があるから、併用していくとよい」などと、助産師さんや看護師さん、母も含め皆、口を揃えてミルクを勧め、母乳育児を頑張ろうとしている私の自尊心を傷つけた。
退院後、あまりの痛みから藁にもすがる勢いで、由緒ある? 母乳育児相談室へ、駆け込んだ。
そこには百戦錬磨のゴッドハンドみたいな助産師さん(以下ゴッドハンド)がおり、私のおっぱいの状態を丁寧に見て、施術をしてくれた。
たちまち天井に届くほどに吹き出すおっぱい。
あーぁ、私のおっぱいは、出ないのではなかったんだと嬉しさの余り涙がにじむ。
「もっとたくさん、授乳してください。ミルクは足さずに、赤ちゃんにおっぱいを飲ませてあげてください」と、指導された。
授乳の間隔は3時間以上は空けないこと。3時間以上空けると、おっぱいが古くなる。授乳が終わってもおっぱいが残っていたら、絞って捨てること。
それは夜も例外ではない。
「夜赤ちゃんが寝ていても、3時間おきに起こしておっぱいを飲ませてください」という、よく眠る息子には、至極スパルタな指導だった。
他に、私のおっぱいの状態はあまり良くないので、一週間おきに通うことや、
毎回、授乳の記録をつけて報告することなどが求められた。
痛くて岩のようにガチガチだったおっぱいを、痛みもなくフワフワにしてもらった私は、一瞬で洗脳された。
そして、寝ている子を起こしてまで頻回授乳をし、残ったおっぱいを絞って捨てた。
ゴッドハンドは、言う。
「おっぱいが、出ない人なんていません。最初から上手くいかない人は多い。だから、頑張りましょう」
その言葉は、授乳に自信を失い、痛みに負けそうになっていた私に力を与えた。
「よく、「私はおっぱいが出なかったから、ミルクで育てた」って言う芸能人とかいるでしょ。あの人達は出なかったのではなく、きちんと出るまで頑張らなかっただけで、あきらめた人なのよ」
「鉄棒の逆上がりできる? (首を振る私)あれもね、できないんじゃなくて、できるようになる前にあきらめたからできないままなの。母乳も同じ。できるようになるまで頑張りましょう」
優しいようで、厳しい教えだったが、その一つ一つが腑に落ちた。
確かに、私は、鉄棒に関しては、小学生のかなり早い段階であきらめた。
あきらめなければ、できたのかも。
だから私は、おっぱいが上手くあげられるようになるまで、頑張った。
そして授乳中、過去の自分を振り返った。
40年も生きてきて、できないことの多さに情けなくなった。
英会話ができない。ダイエットができない。泳げない。音符が読めない。他にも挙げたらキリがないほど。
でも、それは、できないんじゃない。あきらめたんだ。
少なくとも1度は挑戦したはずなのに、全てあきらめたから、できないままなのだ。
ゴッドハンドにお世話になって約4か月。
ついに授乳がスムーズにできるようになり、息子の体重も増えてきた。
しかし3時間おきの授乳指導は相変わらずで、私自身の睡眠の質を低下させ疲弊を招いた。
このスパルタ、一体いつまで続くんだろう……
夜中の授乳をサボっても、おっぱいは痛くないし、相変わらず息子も朝までよく眠る。
いつしか私は、報告用の授乳記録に、嘘を書いてごまかすようになった。
嘘の授乳記録は褒められ、頻回授乳をサボったおっぱいの状態は良好と言われた。
一回4,000円、月に4、5回。
いつまでも惰性で続けられる金額でもない。
ゴッドハンドは私の嘘を見抜けなかった。だから、自分の意思で卒業した。
痛くて辛かった時、ゴッドハンドの教え通りに母乳育児を頑張ったから今があるとは思うが、自分に合った授乳方法を見極めるのも同じくらい大事だった。
その後も私と息子のペースでの授乳は続き、眠る前、起き抜け、食後、転んで泣いた後など、息子が欲しがるタイミングで授乳する。
現在2歳4か月。
もう周りのお友達は、おっぱいは飲んでいないようだ。
そして、私は現在妊娠8カ月。
「お腹の赤ちゃんが大きくなれないからオッパイなんてやめなさい」と周囲の大人に反対されながらも、恐る恐る妊婦健診で担当医に聞いてみたところ、
「早産の傾向がないので、少しなら問題ないですが、もしお腹が張ってきたら中止してください」とのこと。
それを聞いて、安心した。
2歳を過ぎたといっても、やっと出るようになった貴重なおっぱいを、まだまだ欲しがる息子から無理やり取り上げたりはしたくない。
ゆっくり息子の卒乳を待とうと思う。
私はおっぱいを、あきらめなかったのだから。
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