「華がない人間」でも努力すれば「華がある人間」になれるのか?《川代ノート》
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私は、華がない人間である。
そしてずっと、華がない人間なりに、華がある人間になろうと、頑張ってきた人間である。
「華がある人間」と、「華がない人間」、この違いって、何なんだろう。
思えば、私は子供の頃からずっとこのトピックについて、悩まされていたような気がする。
今でも忘れない。幼稚園児の頃のことだ。
私は今とは違って天真爛漫で、明るくて、みんなを笑わせるのが好きな子供だった。絵を描くのも、鬼ごっこをするのも好き。学芸会では主役をやった。「不思議の国のアリス」のアリス役だった。物怖じせず、きちんとセリフも覚えて、演じることができた。そういうしっかりした子供だったのだ。
頑張り屋で、真面目。先生にはよく「何事にも一生懸命ですね」と言われる。一言で言えば、優等生。委員長キャラ。クラスのリーダーや、代表を選ぶ時も、必ず私の名前が出た。そういうタイプだったのだ。そして私自身、子供ながらに、自分が生まれつき「いい子」に分類される人間であるということを自覚していた。そのことを誇りに思ってもいた。自分がアリス役を演じることに対して疑問も抱いていなかったし、自分なら誰よりもうまく演じられるだろうという自負もあった。
だから事実、本番も全力で演じることができた。終わった後、会場は拍手喝采。家族にも褒められたし、先生にも「さきちゃん、上手だったね」とたくさん言われた。私は自分に課されたことをきちんと全うできた自分を誇らしく思った。
学芸会の帰り、私はご機嫌で、母と手をつないで幼稚園を出た。たぶん結構疲れていたのだと思う。母親が「さきちゃん、すごく上手だったよ」と言ってくれるのを聞いて、私はようやく緊張の糸を解くことができた。
満足げに、ふと前を見ると、かわいい妖精の役を演じていた、Sちゃんが歩いていた。
Sちゃんは美人で、スタイルがよくて、頭の回転も早かった。マイペースで、たまにわがままも言うけど、それでもSちゃんの周りにはいつも自然と人が集まった。不思議と何をやっても様になる子だった。幼稚園児ながらも、学年の女の子はみんな、Sちゃんにはどうあがいてもかなわないということを、本能的に察知していたのだと思う。誰もがSちゃんを褒めそやし、Sちゃんに憧れ、Sちゃんの言うことには必ず従った。
Sちゃんはいつも、輪の中心にいた。
その学芸会のあとも例外ではなくて、Sちゃんの周りには、たくさんの女の子が集まっていた。
Sちゃんを囲んで、みんなキャッキャと話をしていた。何の話をしているのかまでは聞こえなかった。劇の感想を言い合っていたのか、そのとき流行っていたポケモンの話をしていたのか。たぶん、どうでもいいようなことだったんだろうと思う。でも私はSちゃんたちが楽しそうに話している光景から、目が離せなくなった。
「さき、どうしたの?」
母親が急に黙り込んだ私に気がついて声をかけてきても、私の耳には入っていなかった。じっと前を、Sちゃんたちの方だけを見て、考えていた。
私には、何かが足りない。
そのときに、運悪く、ハッと、気がついてしまったのだと思う。
本当なら、ただ、ちゃんと劇を終えられて、ああ楽しかった、よかった、で終わっていればよかったのだ。何にも気がつかずにいればよかったのだ。
私は頑張り屋で、一生懸命で、いつも先生から褒められて、頼りにされて。親にもいい子だって言われて。アリスだって、先生の一押しで決まったのだ。きっとさきちゃんならアリスにぴったりって、先生が言ったから。だから。
私は主役に、ふさわしい人間。
でも、何かが、おかしい。
主役を任されても、ちゃんとできる子。ヘマもしない。セリフをとちったりもしない。緊張してカチコチになって、壇上で動けなくなることもなかった。むしろアドリブだってやった。会場の受けもとることができた。
そう、想い続けられていれば、楽だったのに。
でも、無理だった。その違和感を無視することはできなかった。
何かが、足りない。
どれだけ頑張っても、どれだけ褒められても、決定的な何かが、自分が本当に求めている何かが、私には、欠けているような気がした。
そして、私が本当に、主役の座より、真面目さより、先生の評価より、何より、本当にほしいもの。喉から手が出るほど、ほしいもの。
それを、Sちゃんは持っていた。
成長し、次第に大きくなって、中学や高校に入って、それを持っているのは、何もSちゃんだけではなかったのだということに、徐々に勘付いた。
それほど多くはないけれど、必ず、一定数は存在する。クラスに数人。
「やっぱりさ、あの子には、華があるよね」
華がある。
そうか、そうか。それだ。それのことを言いたかったんだ。
ふと偶然耳にした言葉が、妙にしっくりきた。
そうか、Sちゃんが持っていて、私は持っていないもの。私がずっと、ほしかったもの。
それは、華だ。
私は、華が欲しいんだ。
このクラスの人間を、「華がある子」と「華がない子」に分けるとしたら、絶対に、華がある方に行きたいと思った。
だからまずは、華がある子に近付いてみた。そして、その子の一番の友達になろうとした。ライバルはたくさんいた。華がある子の周りを陣取ることによって、自分自身こそが「華がある」タイプであると主張しようとする、「紛い物」もたしかに一定数、存在した。
そして私自身も、その「紛い物」の一部であることに、違いなかった。自分は本当に華がある人間ではないという事実に一度、蓋をして、クラスの中心的人物を演じようとしていた。真似をしているうちに、自然と自分にも華が身についていくような気がした。
変わらなきゃ。私も、持っている側の人間にならなきゃ。
でもどこをどうすればいいのか、何がどうなったら自分は「華がある」人間だと証明できるのか、明確にはわからなくて、ただ、その思いだけ抱えて、ずっと、もがいていた。
「華がある人間」と、「華がない人間」。
それ以来、私はずっと「華」を求めて、それを手に入れるための方法を考えて、日々を過ごしていたような気がする。
中2くらいから、つけまつげをつけて、目のまわりを真っ黒にして、スカートをギリギリまで短くして、学校帰りに渋谷のセンター街で遊んだ。
高校の頃は、結局ギャルになったところで何も変わらないんだと思うようになって、それで、自分を変えたくて、必死になって大学受験をした。
大学の頃は、留学して、就活して、自由なフィールドで動かなきゃいけなくなって、そこではじめて、自分が、ただ「華がほしい」からあれこれもがいていただけで、本当に自分のやりたいことが何なのか考えたこともなかったんだと、気がついた。
そして、今も。
今もまだ、私は、「華がない」自分自身を変えたくて変えたくて、仕方がない。
自分に華があるかないか、そんなことで悩むなんてくだらない、だいたい本当に華がある人間はそんなことで悩んだりしない。そう何度自分に言い聞かせてきただろう。でもいくら論理的に自分を説得しようとしても無理なのだ。華がほしい。華がない人間であることが、嫌だ。
だって、華がないということは、ひどく、寂しいことだからだ。
たとえば私は、友達と歩いていると、気がつくといつも、一人だけ列の後ろを歩いているということが、よくある。
4人で歩いていて、はじめは私が真ん中なのだけれど、気がつくと、両隣の3人の話が盛り上がって、私は後ろに追い出されるのだ。そして、私がその会話に参加していないことに、誰も気がつかない。そのまま会話は続く。
私がいなくても、誰も困らない。
困らないどころか、誰も、気がつかない。
ためしに、そのまま列から抜けて、ぼんやり立ち止まってみたことがあった。
歩き続ける。
みんな、前を歩き続ける。
4人が、3人になったのに、誰もそのことに気がつかずに、一人の声がなくなったことに誰も気がつかずに、ずっと前を歩いている。
そして、10メートルくらい歩いてからようやく、そのグループの中の「華のある」一人が気がついて、私の方を振り向いて、こう言う。
「あれ、さき、何してんの?」
その一人が言ってようやく、全員が、私がいなかったことに気がつく。「もー、さきは足遅いんだから」とかなんとか言って、そして、「置いてくよ」と言って、歩き出す。私を待たずに。
そして、私がこういうときに、言うセリフは、決まっている。
「ごめん、目になんかゴミ入って、痛い」
そして、追いかける。みんなのことを。置いて行かないで、と本気で思う。
そういう人生なのだ、ずっと。
それくらいで大袈裟な、という人もいるだろうか。いるかもしれない。事実、私の被害妄想が激しいだけなのかもしれない。
でも、私はこういう経験が何度もあるのだ。今までに。
そういう人間なんだ。
それはもう、認めるしかない、揺るぎない、事実だ。
世の中には、「華のある人間」と「華のない人間」、二種類の人間が存在する。
そして残念ながら、それはおそらく、努力でどうにかなるものではない。生まれつき、決まってしまっていることで、あとから変えられるものじゃない。限られた人間しか、それを持つことは許されないのだ。
私がこれからいくら努力しても、たぶん永遠に華を手に入れることはできない。
昔から、そうだった。
どれだけ頑張っても、周りに人が集まるのは、アリス役の私じゃなくて、かわいい妖精の役をやっていたSちゃんだった。
あの子がいるとその場が和む。
あの子がいると明るくなる。
あの子がいないとなんかつまんないよね……。
そういう存在になりたかった。
そう言われる存在になりたかった。
いつも必要とされる存在になりたかった。
主役の座なんかいらない。「えらいね」なんて褒め言葉も。真面目な子、というイメージも、「いい子」だというレッテルも。そんなもの、何もいらない。
何もいらないから、ただ、私は、友達がほしかった。
自分の周りに、人が集まる。輪ができる。仲間に入れて欲しかったし、自分が輪の中心にいたかった。あのSちゃんの場所からはどんな景色が見えるんだろう。それを一度、体験してみたかった。
それだけだったのだ。
私は、華がない人間である。
そしてずっと、華がない人間なりに、華がある人間になろうと、頑張ってきた人間である。
華がある人間と、華がない人間、この違いって、なんなんだろう。
ずっと、それが疑問だった。そしてどうすれば、自分は華を手に入れられるのか、考えてきた。
そして、23年、生きて来た私が、今のところ出せる結論は、ひとつだ。
華がない人間が、いくら努力しても、華がある人間になることは、できない。
なぜなら、「華がある」とは、何も努力しなくても、勝手に周りに人が集まる能力のことだからだ。その存在そのものだけで人を惹きつけ、離さない能力のことだからだ。
「華がある」人間になろうと努力している時点で、それは、自分には華がないことを、認めてしまうことになるからだ。
さて、じゃあ、ここで私は、どうすればいいんだろう。
華がある人間になろうと、努力すればいいのだろうか。
まだまだ、努力が足りないのだろうか。
もっと頑張れば、輪の中心に行けるのだろうか。
それとも、「自分が損している分、きっとSちゃんみたいに華のある子は、どこか別のところで損することがあるはず。人間は平等。人生にやってくるプラスとマイナスの割合は同じ」と、どこかで聞いたような定番の文句を繰り返して、無理やり自分を納得させればいいのだろうか。
いや、そうじゃない。
そういうことじゃない。
そんなことは、どうでもいいのだ。普遍的な理屈とか客観的な事実とか、根拠とか、そういうものは、どうでもいい。そんなことで、私は心から納得することはできない。
そういうことじゃ、なくて、ただ、自分の役割を、受け入れること。
事実は事実として、認めること。
そうするしかないのだと思う。たぶん。
草食動物が肉食動物になれないように、目の悪い人間がパイロットになれないように、おそらくこの世には、生まれつき与えられた役割が、何かしら、存在しているような気がする。
たぶん、SちゃんにはSちゃんの、役割があって、「みんなの場を和ませる」という役割が与えられているのだ、生まれつき。それこそ、舞台の上で、物語を引っ張っていく主役ではないけど、その子がいるだけでこの世の中がふわっと明るくなるような、そういう役目が与えられているような気がする。
世の中を面白くする役割のやつ、引っ張っていくやつ、暗くするやつ、刺激を与えるやつ、バランスをとるために冷静でいるやつ……。
私には霊感もはないし、神様のお告げも聞こえないから、スピリチュアル的なことを言いたいわけではない。ただ、「自分の役割を果たす」という能力が、動物には、生き物には、全員に生まれつき備わっているのだと思う。たぶん、この地球という星の均衡を保つために、生物がそれぞれ、本能的に、バランスを保とうとして生きているのだ。ほんの少しでもバランスが崩れないように、自分がするべきことを、無意識にしようとして生きているのだと思う。
だから、華がある人間が役割を全うするためには、華がない人間が必要で、そして華がない人間が役割を全うするためには、華がある人間が必要なのだ。
その自分の役割がなんなのか、ちゃんと見極められた時が、「やりたいことが見つかった」っていうときなんじゃないのかなあ。
私もそうだけれど、若者が、「やりたいことが見つからない」っていうのは、たぶん、自分がほしい、憧れる役目が、自分に与えられた役目とは一致していないということを、認められないからなんじゃないかという気がする。
不安でカッコつけてみたり、無理して飲み会でお笑いキャラを気取ってみたり、別に本当はやりたくないのに、ただそれの方が人気だからといって、キャリアウーマンの道に進んだり、逆に、本当は大企業でバリバリ働きたいのに、その方が流行ってるから、価値のある人間に見えるから、自由に働くノマドワーカーを気取ってみたり。
「このままでいいのかな」と心のどこかで思ってしまう不安は、たぶん、そういう「役割の不一致」からくるのだと思う。
そんな気がする。
なんだか、こじつけみたいだけれど、そう考えるのが、一番、しっくり来る。
なら、私は?
華がない人間である役割って、いったい、何?
私は、華がない人間。
私は地味。
目立たない。
影が薄い。
いなくなったことに気付かれない。
そういう部分にばかり、目を向けていたし、どうしてそういうところばかり気にしてしまうんだろうと思っていたけれど、もしかしたら、それでいいのかもしれない。
多分、マイナスなことに目を向けるのが、私の役割なのだ。
色んなところをぐるぐる回って、ああでもないこうでもないと一人で悩んで議論して、あれこれ仮説を考えて、そして結局は、なんとか、プラスに抜けていく。
人には「どうでもいい」と言われるようなことを、延々と、考え続ける。
たぶん、それが私の役割だ。
些細なマイナスを、普通の人間は素通りするようなマイナスを、一つ一つ拾って行って、じっくり気がすむまで眺めて、どうすればそれがプラスに変わるのか、考える。
どうすれば面白く見えるか。どうすれば、どうでもいいことを、「どうでもよくなかったでしょ」と言えるように、変換できるか。
それが、私の役割。
まあ、かっこよく言えば、二酸化炭素を吸収して、酸素にして吐き出す、ものすごく小さい植物みたいなものだろうか。
いや、違うな。
もしかしたら、時計を持って逃げていくウサギを延々と追いかけて、ぐるぐる駆けずり回って、体が大きくなったり小さくなったり、変な芋虫に絡まれたりしながら、結局ウサギ見つけたと思ったら自分が捕まって。
はっと気がついたら、あーなんだ、よかった、穴ぬけられたわ、なんて言って延々と不思議の国を冒険している、アリスかもしれない。
やっぱり、私は、アリスの役割をやるにふさわしい人間なのかもしれない……?
ま、そんなん、植物だろうがアリスだろうが、どっちでもいいんだけどさ。
自分がアリスだって思うと、途端に全部がキラキラして見えるから、世の中は、不思議だ。
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