チーム天狼院

私達は、いつになったら「今年は怒涛の一年だった」という謎の振り返りから卒業できるのか?《川代ノート》


こんなところでおおっぴらに語るべきことではないかもしれないが、2017年には、私の人生における一大トピックがあった。

離婚である。離婚したのである。
昨年の9月、私は夫とお別れをした。結婚してからまだ一年と少し。Facebookで「結婚しました!」報告をしたのが記憶に新しい人も多いらしく、だいたいの人には「あれ!? だってこの前結婚したばっかじゃなかった!?」「ってか、結婚してたことすら知らなかったんだけど!」などと驚かれた。まあ無理もない。私の周りの同級生にも結婚した人はそれほどいなかったし、この短期間に結婚も離婚もしたなんて、普通考えられないだろうと思った。

忘年会で約1年半ぶりに会った友人には、「さきの話ききたい! 何があったの?」と勢いよく聞かれた。その日、私には語りたいことが山ほどあった。なにしろ2017年は大変だったのだ。本当にめちゃくちゃ苦労した。色々あった。そういう大変だった出来事を吐き出すために忘年会に来たのだ。

本当に色々なことがあった。思い返せば、これほど激動の一年もなかったように思う。
1月、NHKのU-29の放送。6月、福岡天狼院の店長を辞め、東京に引っ越し。8月、池袋駅前店のオープン。9月、離婚。11月、大文化祭。
人生全体で見ても大きな転換機になるだろうなと思うイベントが連発していて、もうどうすればいいのか全くわからなかった。自分では計り知れない誰かによって、私の人生が操られているような気すらした。

激動の一年、というのか、怒涛の一年、というのか、とにかく変化が多く、辛い一年でもあった。嵐のように過ぎ去る日々に、泣いてばかりだった。もう何もかも投げ出してどこかの田舎に行って静かに余生を過ごしたい、などとらしくもない内向きな感情が浮かんでくることが度々あった。

この一年は、間違いなく私の人生の中で一番キツい年だったと思う。けれども、なんとかここまでこれた。年末までやってこれた。死ぬことなく、乗り越えられてよかった。

気の置けない仲間との忘年会で、そう言おうとした。この一年で味わった辛さを、ぶちまけたかった。酒もそれなりに入って、いい気分になっていた。そして私たちの間には、ちょうどよくふわふわとした空気が漂っていた。雑談などは一通り終え、そろそろディープな話題へいってもいい頃だった。

「で、さきの話を聞こうよ、そろそろ」

ちょうど良いタイミングで友人が私に話を振る。よし、今こそ語るときだと、私は2017年に自分の身に起きたことを語った。雄弁に語ろうとした。今年は本当に大変だったの! 何回死のうと思ったことか。来年はもっといい年にする!

自分の人生の一大トピックなのだ。熱く語っても良いだろう、それくらい。ビールももう3杯目だし。

友人と酒を飲むという行為自体が久しぶりで、私のテンションは上がっていた。楽しくて、浮かれていた。仕事の話、恋愛の話をあれこれと語りながら、気がつけば深夜になっていた。

翌日、目が覚めるとひどい二日酔いだった。
頭が重く、気持ちが悪い。胃の中がムカムカして、消化しきれていないアルコールが身体中に回っているのがわかる。
翌日は仕事だというのに、調子に乗って飲みすぎた。でも仕方がない。大学の頃よくつるんでいた仲間での飲み会だ。そもそもお酒を飲むのも久しぶりだった。ハメを外しすぎたとは思ったが、楽しかったという充足感で心は満たされていた。

しかし、仕事に向かう道すがら、何か、物足りなさを感じている自分に気がついた。

なんか、語り足りなかったかな。
もう少し、自分の話をしたかったのだろうか。もっと離婚の話をしたかったのだろうか。いや、違うな。もっと面白く話せたのに、という反省だろうか。せっかくのネタだ、もっと場が盛り上がるように面白く……。

そこまで考えて、あれ? と思った。

今私、心の中で離婚のこと、「せっかくのネタ」って言った?
ずきずきと痛んでうまく回らない頭で考える。何か。何かが変だ。物足りない。

私は2017年が怒涛の一年だったと本気で思っている。人生で最も荒れた一年だった、と。辛い思いも何度もした。泣いた回数だって一回や二回じゃない。それは事実だ。間違いないはずだ。なのに。

なのに、忘年会で散々苦労話を友達に聞かせた自分の記憶が脳裏に浮かんできたとき、妙な後悔を覚えた。

いや、そんな、と思いつつも、仕事をした。あっという間に年が明け、2018年になった。
けれど新年になっても、私の心はスッキリしないままだった。

お正月、ぼーっとした頭を抱えたままふと、Facebookを開く。すると、「1年前の投稿」として、私が2017年のはじめに書いた文章がタイムラインに上がってきた。懐かしい写真とともに、年末年始特有の振り返りをしている。

 

「2016年、本当にいろいろなことがありました。
2月に引っ越し、4月に転職、7月に結婚、9月に福岡に異動、11月に劇団と、ほぼ2ヶ月おきに何かおきてるみたいな、本当に濃厚で怒涛の一年でした。まだまだ力不足で、穴があったり、欠陥があったり、余裕もなくいっぱいいっぱいのせいで、本当にたくさんの人に助けていただいた年でもありました。お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。2017年は、これまでにいただいた恩を全部、ひとつひとつ返していく一年にしたいと思います。そしてさらに怒涛の一年にしていきたいと思います。
そしてそして今年は何よりも11月11日までにデビューするというでかい目標があるので、これを達成せんことには終えられません!
どうにかこうにかやっていきたいと思います。天狼院ももっともっと盛り上げるぞ! 本ももっと読むぞ! とりあえず積ん読を消化します!
というわけで本年もどうぞよろしくお願い致します!」

 

うわ、と思った。これだ、これ、これ。なんか物足りなかったの。変に、後悔してたの。
その投稿を見て、妙にスッキリした。けれども、できれば気が付きたくない事実だった。

 

やばい。
これはやばい。

私、一体いつから「怒涛の一年だった」って言い続けてる?

 

急に怖くなった。もしかして、毎年毎年同じようなことを言い続けてるんじゃないか、と。
焦ってそれ以前の投稿を見直してみたが、似たような投稿はなかった。一旦、ほっとする。けれどもすぐに、思い返す。昨年に、親とした会話を。

「いやー、2016年はキツかった。マジで本当にキツかったわ」

そのとき私は福岡にいた。電話越しに優しく話を聞いてくれる母親に、愚痴をこぼした。そうだ。「大変だねぇ」とか「大丈夫?」とか言われるのを期待してなかったか? そんな風に、前の年がいかに大変だったかを熱弁する忘年会は、今年だけだったか、はたして。いや、そんなことはない気がする。毎年毎年、年末頃になると、一年を振り返って「今年はきつかった」とどこかの忘年会では必ず一度は言っているような気がする。

Facebookじゃないにしても、私、いつだって、どんなときだって、常に「怒涛の一年」とか「濃厚な日々」とか「とにかく忙しい」とか「今年が人生で一番辛かった」とか、言ってない?

大学一年生の頃は、「今年は大学に入学したことが一番大きかったかな。大学生活に慣れるので精一杯でした……」
大学二年生になったら、「今年は留学に行って、初めて親元から離れて暮らして、価値観変わったなあ」
大学三年生、「来年の就活に向けて、じっくり自分と向き合った一年だった。本当きつかった笑。死にたくなったこともたくさんあった」
大学四年生では、「あっという間の一年。大学最後だからとにかく忙しくて、将来についてひたすら考えた」
社会人になったらなったで、「今年は仕事が本当に忙しくて、怒涛の一年でした。色々あったなあ」

いやー、これ、まずい。
まずい、よね?

 

ねえ。
ねえ、おい、私よ。
私、いつになったら「今年は怒涛の一年だった」って言わなくなるの?

 

私、25になって、ある程度は大人になったって思ってたけど、もしかして。
もしかして、ちっとも成長していないんじゃないのと、とてつもなく不安になった。

年末になるとついついやってしまう、謎の振り返り。

素直に振り返りをして来年に活かせばいいだけのものを、何をどこでどう間違って、その年にした苦労の数を数えるためのイベントになってしまったのだろうか。

はじめのうちは、そんなつもりはなかったと思う。
ちゃんと一年にあった出来事を振り返り、思い出す。いいことも悪いことも。一年のうち、自分がどれくらいのことを成し遂げられたかを改めて思い返してみる。あ、これやろうと思ってたけどできなかったな。じゃあ来年はこれをやろう。そうやって、これからの人生をよくするための振り返りのはずなのに。

なのに、いつから、まるで苦労の数自慢大会のように認識していたんだろう?

どの年からだったか、SNSで、友人たちの一年の振り返りを見るたび、妙な対抗心を覚えるようになってしまっていた。
今年は大変でした。転職して、こんな事件がありました。新しい資格を取りました。今はこんなことを学んでいます。目標はこれくらい達成できた。今年のベスト映画リスト。ベスト本リスト。今年行った旅先リスト。

なんだか、見れば見るほど、一年をきちんと計画的に過ごしていないのは自分だけのように思えてきて、寂しい。

みんな、なんでそんな風にちゃんと決めたことを実行できるの。あ、高校のとき同級生だった〇〇ちゃん、CAになるっていう夢叶ったんだ。すごいな。えー、〇〇ちゃんって今アメリカにいるんだ、知らなかった。うわ、あのとき自分と同じような境遇にいた〇〇さん、やりたいって言ってたこと着実に前に進めてる。

はじめのうちは、「みんなすごいなあ」と単純に関心していた気持ちが、徐々に、嫉妬へと変わっていく。「私だって」という黒い気持ちが心の中を埋め尽くす。みんなのリア充っぷりを見たくない。やめて。見せないで。そしてそのドロドロとした感情で満たされたとき、あえて穿った見方をしようとしてしまう。

あー、はいはい。リア充アピール乙!
出たよ、年末の振り返り。自分は頑張ったっていう主張、なんなの。自己顕示欲強すぎ!

そうやって心の中で他人を批判することで、なんとか自分の体裁を保つ。心を落ち着ける。
でもそれだけでは落ち着かないとき、どうしても対抗する何かが、充実した一年を過ごした人たちにでも勝てる何かが、必要になる。そうしないことには、この心のモヤモヤを取り払うことができないからだ。

それを取り払うための、最も有効で使い勝手の良いアイテムが、「苦労話」だった。
私はこれだけ苦労しました。怒涛の一年でした。大変な思いをしました。何があって、何があって、何があって、こんなに忙しかったんだよ。ひどいでしょ? 聞いてよ、だってね、離婚なんてしちゃったの! 24歳で離婚だよ、離婚! どう? 大変じゃない? 辛くない? かわいそうじゃない? あなたより苦労してると思わない? こんな風に人生経験積んでる私、あなたより、あなたより、あなたより……。

それに対抗したところで、何も得られないのは知っている。だいたい、何を基準に張り合っているのかすら、自覚していないのだ。どうなったら勝ちで、どうなったら負けだというルールも存在しない。だけれども、対抗せずにはいられない。「苦労話」という武器だけが、私の異常なほど強い虚栄心を守ってくれるのだ。

「離婚」というトピックは、あるいは、私にとっては好都合だったのかもしれなかった。
周りに対抗するために手に入れた、最強の武器のはずだった。

だから、みんなに対抗したくてそれを語ったのに、とても優しい友人たちが本気で心配している顔を見て、なんだか不完全燃焼してしまったのだ。

いっそのこと、同じように、「俺はこんなに大変だった」よか、言ってくれればよかったのに。張り合ってくれればよかったのに。

なのに、みんなはそんなことはなくて、純粋に、私が言ったことに対して、心配している。

思えば、毎年、それの繰り返しだった。
毎年毎年、年末になると、楽しかったことより、嬉しかったことより、人にしてもらったことよりも、辛かったことを一つでも増やそうとする。

そんな人生。
そうやって張り合って、対抗してひたすらに生きてきたことを気がつかせてくれたのは、1年前の私の投稿だった。

はあ、とため息をつく。Facebookに出てきている、「1年前の投稿」を見ないように、別のページに飛ぶ。

ふと見ると、私がよく知っている人が年末の振り返りをしていた。

幸せな年でした。
たくさんの人に助けてもらった年でした。
いい一年だったな。

素直に、その年にあった、「よかったこと」がシンプルに書かれている。

それを見て、張り詰めていた何かが途切れるのがわかる。

 

もう、いいだろう。
もう、いい加減、「苦労しなければならない」スパイラルに陥っている自分を、解放してあげよう。

 

いいじゃないか。今年1年がだめでも。来年また、頑張ればいいんだから。
目標が達成されなくたって、それはそれだ。仕方がない。もっと必要なことがあったと思って、また気持ちを切り替えて、頑張ればいい。

もっと自分のことを認めてあげてもいいのかもしれない、と最近やっと思えるようになった。

苦労したと思うなら、辛かったと思うなら、思った分だけ、自分のことを褒めてあげてもいいのかもしれない。
自分はこんなにダメだと追い詰めるのではなく、大丈夫だよ、と声をかけてあげても、許されるのかもしれない。

苦労した人が、偉いわけじゃない。
楽しい1年を過ごした人が、偉いわけでもない。

誰がどう、とか、どちらの方がとか、そんな次元で生きるのはそろそろ、卒業してもいい頃だ。

 

ふう、となんだかすっきりとした気持ちでパソコンの画面を閉じようとして、また、開く。

さっき見た友人の振り返り投稿に、心の中でありがとう、と言って、そっと「いいね」を押した。

 

 

 

 

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*この記事は、人生を変える「ライティング・ゼミ《ライトコース》」のフィードバック担当でもあるライターの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。

http://tenro-in.com/event/44700

 
 

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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2018-01-10 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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