チーム天狼院

「悟りを開く系女子」の末路《川代ノート》


その昔、私は「悟りを開く系」女子だった。
何をかくそう、よく悟りを開いていたのである。何かと悟りを開いていたのである。事あるごとに悟りを開いていたのである。何かを悟り、学びを得ていた。新しい発見があり、気づきがあった。高校生くらいの頃だったと思う。

その頃の私は多くのことに気がついていて、「ああ、これはこういうことなんだ」とか、「世界はこういう仕組みで動いているんだな」とか、「あの人があんなことをしたのは、こういう心理があるからなんだな」とか、そんなことばかり考えていた。人間観察をするのも大好きだった。でももっとも好きだったのは、同じように人間観察が好きで、自分と同じような目線で世の中を、物事を見ている人と話し、そして「ああ、わかる」と共感し合うことだった。

そうやって語り合える人のことを、その頃私は「わかる人」と呼んでいた。そしてその「わかる人」というのは、大げさに言ってしまえば、世の中から選ばれた人種だと思っていた。物事に関して「わかる」か「わからない」かは生まれ持ったものが大きくて、訓練することによって「わからない」人が「わかる」人になれることはほとんどない。だから、人数も少ない。「わかる」人に出会えるチャンスというのはとても少なくて、だから、私は常に同種の人間を追い求めていた。

幸いなことに、私の母親はわかる人だった。お互いに考えていることを話し合い、語り合い、これってこういうことだよね、とか、こういう人は、こんなことを考えているから、あんな行動になるんだよねとか、そんな話ばかりしていた。友達の話もよくしていた。〇〇ちゃんはたぶん、人を傷つけるのが好きなんだよ。人を傷つけることによって、自分を優位に立たせて、それで満足してるの。ああ、わかる。おかあさんの周りにもそういう人、いる。

こんな具合に、何か嫌なことがあったり、もやもやした気持ちがたまるたびに、母親に話をするようになっていた。

残念ながら、高校にはわかる人はいなかった。私と同じような目線で物事を見て、同じように語り合える仲間はいなかったし、ちらりと話をしても、たいていの場合「さきの話って難しくてよくわかんない」と言われた。やっぱり私はおかしいのだろうか、と思った。こんな風に、世の中の仕組みを考えたり、人の心理や行動を分析するのが好きなのはおかしいのだろうか。クラスメイトの力関係を観察するような子は、同世代には存在しないのかもしれない。
なんか、つまんないな、と思うようになった。高校にいても、つまらない。
同じレベルで話ができる人と出会いたい。
恋愛、漫画、テレビ、お笑い、勉強、クラスメイトの噂話。
そんなことしか話すネタがない同級生たちは幼いなと思ったし、つまらないと思った。なんでそんなことばかり話していて飽きないんだろう。どうしてずっと同じ話をしていられるんだろう、と。

もっと広い世界を見たい。
きっと大学に行けば、同じような視点で物事を語れる人に出会えるはずだ。話のレベルも合うはずだ。こんな風に子どもっぽい子ばかりの中で生活する必要なんてない。

井戸の中に閉じ込められている蛙の気分だった。私を出して。ここから出して。もっともっと広い世界を見せて。
まさか、この高校という空間だけが、世界のすべてだなんて信じられないと思った。自分が生きやすい世界が広がっているのだと信じていた。

ようやく井戸からの脱出に成功した私は、大学で「わかる人」探しに奔走した。
思いの外、それはすぐに見つかった。入学した直後、よく飲むようになった三つ上の先輩。彼はよく本を読んでいて、頭がよくて、私が知らないことをたくさん知っていた。
私はぽろりと言った。なんか、高校の友達とかとはもう話が合わなくなっちゃったんですよね、と。私が言うこと、難しくてよくわかんないって言われちゃうし。
ああ、俺もそうだよ、わかる、と彼は言った。そういうのって本当に嫌だよね。でもこんな風に同じレベルで話せるやつが数人いればいいよね。彼は私と同じように村上春樹が好きだった。ますますわかる人だと思った。

けれども、何かが妙だった。母親と話しているような感覚とは少し違っていたからだ。たしかに私の話を理解してくれる。でも母親と話しているときのような、しっかりと、通じ合っているような、本当に理解し合えているような感じはなかった。

そして不思議なことに、自分の学校生活が忙しくなってくると、彼と話すことはほとんどなくなった。彼氏ができると、彼氏とのデートを優先した。あれほどまでにわかる人と話すことを熱望していたのに、どうしたんだろうとも思った。でもそれほど話す必要性を感じなくなっていたし、彼に理解してほしいという気持ちも薄れてきてしまっていたのだ。

どうしたんだろう、とも思ったけれど、それでも私はわかる人探しをやめなかった。たくさんの人が出入りする大学といえど、やはり気の合う人は少ない。まして、悟りを開いているタイプの人と出会えることもほとんどなかった。けれども、私はそんな人を探すのをやめなかった。

それ以降も、大学で何度か、わかる人だと思う人に出会った。それは同じ大学の人でもあり、たまたま知り合った社会人であるときもあった。でもやはり彼らの中に、母親と話しているときのような安心感はなかった。
この差はなんだろう、と思った。この人たちと話していて面白いことは間違いないのに、それでも決定的な違いがある。自分には判断しきれない何かが、おそらく存在している。

「川代とは何か通じあうところがあると思った」と言ってくれた人もいた。
「他の子とは何かが違う」と言ってくれた人もいた。

そうだ。お互いに通じ合っている。お互い、やっぱり、話が合う人を求めている。自分を理解してくれる誰かを、「あなたと同じだよ」と言ってくれる誰かを求めている。そして、求め合った結果、私たちは出会って、話せている。はずなのに。なのに。

なのに、どうしてか、満足感は得られなかった。
自分の場所はここだ、と思えるような安心感はなかった。たしかに、同種の人間がいるのだという事実に、ホッとした感じはあった。けれども、それは本質を捉えてはいない気がした。私の心の中の核の、本当に重要な部分は、何も解決されていないのだ。私はそれを解決しないことには、この心にぽっかりと空いたような虚無感は、不安は、消えないのだと思った。

そうして生きているうちに、私は就活生になり、企業に就職した。転職をして、天狼院に合流した。アルバイトスタッフとして参加してから4年半、社員として参加してから2年ちょっとが経とうとしている。

よく聞く「社会に出てしまうと、時間の流れがあっという間」というのは本当で、就活をし、大学を卒業してからというもの、本当に一瞬で月日が過ぎた。新入社員として会社に就職したときのことなんて、ずっとずっと遠い昔のことのように思える。

毎日、がむしゃらに生きているうちに、気がつけば、私の生活の中から「わかる人探し」はほとんど、消えかけてしまっていた。
自分と気の合う人と話したいという気持ちが消えたわけではない。同じように、「社会の中でひとりぼっち」「理解してくれる人がいない」「周りの人と理解し合えない苦しみを共有したい」という思いが消えたことはなかった。自分は誰からも受け入れてもらえないんじゃないかと思うこともいまだにあるし、同じような苦しみをわかちあえる人ともっと知り合って、この思いを共有したいという欲求も変化することはない。

けれども今の私が働いている場所には、「わかる人」はいない。
いや、「わかる人」なのかどうかの判断をしなくなった、と言った方が、近いだろうか。

高校生や、大学生の頃は、新しく誰かと知り合うたびに、「この人はわかる人か、わからない人か」と、値踏みしていたけれど、そういう目で人を見ることはほとんどなくなった。そうやって人を分類分けする必要がなくなっていたのだ。いつのまにか。

どうしてだろう、と考えた。私はおそらく、誰よりも「わかる人」を求めていたはずだった。「わかる人」だけで集まり、お互いに気持ちを理解しあえる環境のなかで生きてければ、自分が傷つくことも、合わない会話の中で苦しむこともなくなるはずだった。精神年齢が合わないと思うこともなくなるはずだった。

へんだなあ、と思った。前ならとにかく、「面白い人」とわかりあえる会話を求めていたはずなのに。
25歳になった私は、20歳の頃の私が抱いていたような、妙な虚無感や、孤独感を抱くことがかなり少なくなっていた。
飲み会に行っても、「なんでこんなにくだらない会話してるんだろう」と思うことが少なくなった。普通に楽しめるようになった。
高校時代の友達と久しぶりに会っても、「子供っぽい」とは思わなかった。「みんなすごいなあ」とか、「大人っぽくなったなあ」とか、「私もがんばらなきゃ」とか、以前はとうてい抱いていなかったことを考えるようになった。

これは、素直になったと言うべきなのか、それとも、精神年齢が幼くなったというべきなのか。成長と呼ぶべきなのか、退化と呼ぶべきなのか。

はたして、どうなのだろう。わからない。

けれども、社会で生活するうちに、徐々にわかってきたのは、「わかる人」という種族はそもそも存在しないということだった。
私は本気で、この世の中で選ばれた人間のみが、「わかる人」の方に振り分けられるのであって、それ以外の人間とは理解しあえることはないと思っていたけれど、そうではない。
ただ単純に、「誰かに理解してほしい」「私は特別な人間だと言ってほしい」「誰も私を傷つけない場所で生きていきたい」という強烈な欲をもてあましていた。そのもてあました熱を押さえつける方法がわからなくて、どうにか自分に折り合いをつけたくて、そんなときに思いついたのが、「わかる人」という分類分けだった。

この世には、二種類の人間がいる。「わかる人」と「わからない人」である。
自分にとって都合の良い理論を作り出し、自分にとって都合の良い理論がこの世の「真実」であると結論づけようとした。私はさまざまなことを悟り、学び、気づいていた。そしてそれは紛れもない真実だと思っていた。変わることのない、普遍的な真理だと。そしてその真理を理解できない人間はバカであり、下等な種族だと思っていた。見下していた。そうやって排斥することで、自分のメンツを保とうとしていた。でも本当は違う。全然違う。

私が社会に出て知ったのは、この世の中に「絶対的に正しいこと」なんて存在しないということだった。

普遍的な「正義」も、「正論」も存在しない。いつの時代でも、誰にとっても正しいことなんて存在しない。「これは絶対に正しい」と思うことがあるのなら、それはあくまでも「私」という個人にとっての「正義」であって、みんなにとっての正義ではない。私が信じる「真理」の数だけ、他の人にも「真理」があるし、私が信じる「悪」の数だけ、他の人にも「悪」がある。

私はこの社会に怯えていた。自分を傷つける人間が潜んでいるんじゃないかと。自分のことを批判してくる人間がいるんじゃないかと。私のことを認めてくれない、わかってくれない、その考えいいねって言ってくれない。そんな人ばかりの世界で生きていたくないと思った。「私のことをわかる人」を求めていたのだ。そう、まるで母親のように。大きな愛で、私を包み込んでくれる人ばかりがいる世界で生きていたかった。

「わかる人」がいると思った。私の話をうんうんと興味を持って聞いてくれる人がいると思った。それでも妙だと思ったのは、母親が私に対して抱いているような「無償の愛」がなかったからだった。私が大学で出会った「わかる人」と行っていた会話は、結局お互いの心の中に開いた穴を見つめあって、ああ、同じところが痛いよね、わかる、と言い合っていただけだったのだ。たしかに同じ傷を持っている人同士で話すのは楽しかったし、一瞬は心が安らいだ。けれども、そこに愛情がなければ、本当に通じ合うことはできない。傷の舐め合いで終わってしまうことだってある。
お互いの傷を一通り舐め合い終わったら、それで役割は終了。なんだかもう、会う必要がないように思えてくる。

はたして、私はどうするべきだったのだろうか。そしてこれからどうするべきなのだろうか。自分は「わかる人」なんていう特別な存在なわけでもなく、そして社会人として社会に出ている以上、母親のように無償の愛情を注いでくれる人を見つけるのなんて至難の技だ。

働くしかないのかもしれない、と思った。がむしゃらに働いて、人の役に立つという行為を繰り返すしかないのかもしれない。

どういうわけかひどくこじらせてしまっている私は、今でも社会が強い。私を傷つける可能性がある社会で生きていくのがとても強い。優しい人に、ぬるま湯のような環境で甘やかされながら過ごしたいし、私のことを怒ったり、蔑んだりするような人とは一切かかわらずに生きていきたい。
それが本音だ。

でも、そんなの無理だ。無理なんだ。
社会で生きていく以上、そう決まってしまった以上、私は傷つくことを前提として、自分に幻滅することを前提として生きていかなければならない。何千万、何億、何十億人もの人がいるこの世界で、自分と気の合う人とだけ関わりあって生きていくなんて、到底無理だ。

ならば、今、私がやるべきことは、たった一つだ。

強くなること。
誰にも負けないくらい、強くなること。
粘り強く、自分を鍛えて、人の役に立てる人間になること。経験を積んで、自分に自信をつけること。自分の嫌いなところを、一つ一つ、潰していくこと。
そんなことを繰り返していくうちに、徐々に、自分を好きになっていくしかない。他人を蔑まなくても、「自分は特別だ」と言い聞かせなくても、それでも大丈夫な自分に、なんとか育てていくしか、方法はないのだ。

だから、働くしかない。
働き続けるしかない。
働き続けて、粘って、強くなる。自分一人をちゃんと成長させる。
大事なことから逃げているという罪悪感から、自分を解き放つ。

それしか、方法はない。

自分は「わかる人」だから仕方ない、と言い訳し続けられる自分のほうが、あるいは、よかったのかもしれない。
私はわかるけど、みんなはわからないから。だから、しょうがないよね。
わかってもらえなくても、しょうがないよ。
そうやって言い続けられたほうが、楽だったのかもしれない。

でも、私はそうやって言い訳する自分と別れる決断をした自分を、「わかる人」「わからない人」で区別していた頃の自分より、好きだと思う。

だから、大丈夫。
すぐにめげてしまうような、弱い人間でも。自分のことを甘やかしてくれる人がいないとダメになる、めちゃくちゃに弱い人間でも。

いつか誰かを救えるような、強い人間になれるって、信じてるから。

 

 

 

*この記事は、天狼院スタッフの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。

http://tenro-in.com/zemi/50985

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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