チーム天狼院

秘境で暮らした10歳の私のその後


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記事:高野いづみ(チーム天狼院)

ぼぉーーーー
と腹の底に響くような汽笛を鳴らし、フェリーが港に着く。
約13年前、10歳の私は島民80人ほどの小さな島に降り立った。

「いづみちゃん!ようこそ竹島へ!」
ジャンベというアフリカ太鼓の演奏とともに、島のみんなが出迎えてくれた。
里親さんと、中学生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと、私の通う小学校のお友達。
1、2、3……4人。同い年の5年生は、どうやらいない。
5月に「しおかぜ留学生」としてその島に転校した私は、竹島小学校の5人目の生徒だった。

小学生で里親の元に、しかも日本国内とはいえ誰も知り合いのいない鹿児島……の中でも3時間船に乗らないとたどり着けないほど離れた小さな島に行っていたなんて、一体どんな事情があったのかと今でもよく訝しがられる。
「お母さんすごいねぇ」というのが、私がこの経歴を人に話した時に出てくる大体の感想だ。
おまけに制度名が「しおかぜ留学」といい、留学なんて単語がつくもんだからどんなに行動的で、向上心が高くて、ファンキーな娘と母だと思われがちである。

もちろん、母は反対していた。
10歳の娘を一人島に引っ越させるなんて、なかなか本当に度胸がいる話だと思う。里親さんだって島に1軒しかなくて、親戚でもなければ元々の知り合いでもない。自分の大切な娘が、どんな人と接して、どんなものを食べて、どんな生活をするのか一切予測のつかない環境に1年間送り出す。
いやぁ、改めて思うが私なら無理だ。

でも、送り出してくれたのは、私が熱烈に希望したからだった。
母は今でも、「あんたがあそこまで必死に、丁寧に親戚中を説得してまわってたんはあの時1回だけやわ」と思い出を語る。
当然のごとく反対、どころか本気にもしていなかった祖父母を説得し、心配する親戚を説得し、突然の転校の話に驚く学校の先生や友達に丁寧に説明した。らしい。
正直に言うと、もう私はあまり覚えていない。

実は元々は、こんな日本地図にたまに載ってないくらいの島を探し当てて希望していたわけではなく、私は種子島の山村留学に申し込んだのだ。
種子島には宇宙センターがあり、土日は宇宙センターで特別研修生として勉強ができる「宇宙留学」というプログラムがある。それに行こう、というのが父と弟と小学1年生の私がした約束だった。
しかし種子島の選考には落ち、なんのご縁か突然、鹿児島県三島村竹島という島の教育長から、「うちに来ませんか」との連絡があった。
種子島だから、宇宙センターがあるから、弟と一緒だから、なんて前提条件が全て白紙になり、当然断るものと家族も思っていた中で、私は断固主張した。
「行きたい!!!!」
どうやら、宇宙センターなんて関係がなくて
島に、田舎に大きく憧れを抱いていたらしい。

広い海と青い空、海を泳ぐ魚たちに豊かな海の恵み。
後ろを振り向けば大きな山々が広がって、山の幸だってたくさん取れる。
今日採れたものをおすそ分けして交換して、近所の人とのやりとりで成り立っていく生活……。
が昔からなぜか好きなのだ。書き出してみるとやたら食い気に走っている気もするが美味しいものは正義だから仕方ない。

実態は、(当時その島においては)電波はドコモしか繋がらないし、竹しか生えていない土地なので作物は採れないし、海が荒れると物資は届かないし台風がしょっちゅう来てはあらゆるものをなぎ倒していく、なんて現実も体験することとなったし、島にいた1年間はホームシックで泣き暮らしていた。
長期休みを実家で過ごした後島に戻る時は、毎回嫌でたまらなかった。
毎年お正月には、里親さんから私の名前を間違えた(笑)年賀状が届くけれど、きちんと連絡を返せたことはない。

だけど。
あれから13年が経った今、私はいたる所で島が好きだと公言しているし将来は島に住めるように自分の人生をリアルに設計している。

一体何が、私をそこまで虜にさせたのだろう。

実は私にもどうにもわからない。
あの島には本当になにもないのだ。
仕事もなく、お店もなく、ここで生活して行くのは大変だという実態を小学生ながらに感じたほどなにもない。

なにもない。けど。
なにもない。からこそ。
時折、無性に帰りたくなる。

日々のドタバタから抜け出して、ぽっかりした時間を過ごしたいのかもしれない。
いつも追われてパンパンな心に、すっと風を通したいのかもしれない。
私はこんな秘境を知ってるんだぞ、って誰かに自慢したいのかもしれない。
10歳のあの頃のわたしに、会いに行きたいのかもしれない。

最近、その竹島に20年ぶりにお店ができたという話を聞いた。
ホームページを覗いてみると、里親のおじちゃんとおばちゃんがバッチリ写真に写っていて、オープン記念のテープカットまでしていた。
島でも13年の月日が流れていて、きっと電波ももう通っているだろう。
でも、きっと島の風景は変わっていない。
大きな汽笛とともに港に辿りつくフェリーも、岬から見える種子島のロケットも、船のそばに転がっているおっちゃんが釣った青いブダイも、学校のジャングルジムのてっぺんから見える虹のかかった大きな海も。

ふふっと笑みがこぼれたと同時に、この夏は島に帰ってみようと決意した。

***

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