チーム天狼院

お菓子の家からの脱出


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:佐藤千尋(チーム天狼院)

 
「あんなにかわいかったセルライト、もう見る影もないね」

風呂上がりに全裸でBCAAをあおるわたしの太腿を見て、さみしそうに彼が言った。

「二度と会えないよ、残念ながら」

嬉しいのか悲しいのか腹立たしいのか、自分でもよくわからないまま返事をする。太腿の裏側にぼこぼこと泡立っていたセルライトが消えるまで、わたしがしにものぐるいで15キロ減量した、その発端は半年前にさかのぼる。

 
その日、付き合い始めて5年になる彼のYシャツを珍しく洗濯でもしようと裏返すと、脱衣所の床の上に薄ピンクのチープなカードがはらりと落ちた。直感が警告する。

あっこれ、見てもいいことないやつだ。

けれど理性とはうらはらに脊髄反射で手をのばして、わたしはそれを拾ってしまった。生まれてこのかた行ったことはないけれど、それはどう考えても風俗のポイントカードだった。6回来店するとオプションが無料になるらしい。スタンプはすでに5つ。カードの下部には、女の子直筆のメッセージが書かれている。かわいらしい丸文字の書き手はあきはちゃんというらしい。メッセージの内容はとても口に出せるようなものではないがとにかく、ゆうべはお楽しみだったようですね。

なるほど、慌ててもいいことはない。とりあえず冷静に、グーグルのシークレットモードを起動して店名を検索だ。ヒットしたのはぽっちゃり体型専門の大人のセクシャルワンダーランド。

……ぽっちゃり専門店?

Windows95並みにたっぷりローディング時間をとる間、走馬灯のように脳裏をかけめぐったのは彼との5年間だった。

 
彼は「いっぱい食べるきみが好き」とかうさんくさいサプリのCMみたいなことを言って、とにかくごはんをおごってくれた。最低週一で焼肉、すしざんまい、夜食にはUFOを作ってくれたし、ナイススティック(ファットスプレッドっていうデブ大拡散みたいな成分が大量に入ってる菓子パン、めちゃうまい)を朝ごはんにとよく買ってきてくれた。わたしはここ数年で12キロ分体積が増え、洋服はMサイズからXLサイズになった。ユニクロでウエストに合わせてジーンズを買うと、詰める裾でもう1枚ハーフパンツができるレベルへと進化した。

 
彼はわたしを、自分好みの肉体につくりかえようとしていたのかな。なんだっけ、あの童話、ああ、『ヘンゼルとグレーテル』だ。彼はまるで、お菓子の家で子どもたちをおびき寄せて、まるまる太らせてから食べようとする悪い魔女みたいだ。

 
長いロードが終わって、意識が脱衣所に帰ってくる。開きっぱなしだったぽっちゃり専門店のサイトであきはちゃんのプロフィールを見た。名前のすぐ下は体重の欄。燦然と輝く、112キロの文字。ぽっちゃりの概念がゆらぐ。

 
5年以上一緒にすごしてきたけど、ふくよかな人が好みだなんて聞いたことがなかった。さっきまでわたしの部屋にいて、人をダメにするソファに寝そべってhuluを観ていたはずの彼が、他人よりもずっと遠く感じた。

 
3日後、彼が手料理をふるまうといって訪れた。できあがったクックドゥ麻婆茄子と餃子と豚キムチをつつきながら、「そういえば」と例のピンクのポイントカードをするりと食卓にすべらせた。ごぁ、と獣めいた鳴き声をあげた彼の顔が石のような灰色に染まり、横隔膜あたりから搾り上げた「……ごめん」が続いた。

「太ってる子が好きなの?」
「……うん」
「隠してた?」
「いや、あえて秘密にしてたわけじゃ、ないんだけど……」

わたしのこと112キロにしたかった? とは、ついぞ聞けなかった。どちらにせよ彼は否定しただろうし、万が一にでも頷かれたら耐えられそうになかった。
でも彼と付き合いはじめて体重が12キロ増えたことと、彼がぽっちゃり専門風俗店に少なくとも5回通っていることは息苦しいほどの質量を持った事実であり、怒りや悲しみよりもなお、自分の身体が徐々に、時間をかけてつくりかえられたことがただひたすらに気持ち悪かった。わたしはわたし自身を取り戻さないといけない、と思った。わたしを支配していいのはわたしだけだ。

 
そこから半年で15キロ減量した。今までダイエットしようと決意したその日の午後には天下一品(こってり)をすすっていたけれど、今回はどんなにつらくてもやめなかったし、これからも続けていくと思う。存分に甘やかされたお菓子の家から、決死の覚悟で脱け出そうとしている。

 
あきはさん、勝手なお願いだけど、もし彼がまたお伺いすることがあったら、そのやさしい肢体で包んであげてほしい。わたしはもう二度と、彼の望むような豊かでやわらかい安らぎを与えるつもりはない。

グレーテルが悪い魔女をかまどに閉じこめて焼き殺したように、わたしも身体中の脂肪という脂肪を燃やして、燃やして、燃やし尽くすのだ。

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