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乳房

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:タムラユキコ(ライティング・ゼミ書塾)
 
 
「早期で良かったじゃん」
「先生は部分切除でもいいって言ったけど、全摘しようって決めたんだよね」
「全摘?」
「そう。だってこれから先、ビビリながらって恐怖じゃん」
「確かにねぇ」
「それに、もう、おっぱい使わんし」
「わかる!母乳で2人育てたしね」
「男におっぱい見せることもないし 笑」
友達の真由子に乳がんがみつかって1ヶ月。彼女は乳房の全摘を決めたと言う。最近、近所に出来たカフェで、少し濃いカフェラテを飲みながら、私は彼女の決断を聞いていた。彼女は、何かふっきれたように、「全摘を決めた」といつもの笑顔で私に宣言したけど、30年の付き合いの私には、その笑顔が、どうしても不安を隠す仕草でしかないってことが痛いほどわかった。50歳になった私たちにとって、当たり前にある乳房は、確かにその役目を終えた感はある。だけど、乳房は自分が女だという誇りのシンボルでもあるのではないか。垂れようが、張りを失おうが、大きかろうが、小さかろうが、乳房がある人間を生きてきたのだ。病魔を抱えた乳房を自分の身体から切り離すというのは、病いと戦うためとわかっていても、肉体の変化を受け入れるだけだはなく、女だというアイデンティティーの変化を受け入れなくてはいけないのだ。
「今さぁ、3人に1人が癌になるって言うじゃん。真由子だけじゃないし、私の知り合いも結構いるよ」
「だよねぇ。私の職場も今年に入って3人」
「医学が発展し過ぎて、小さいのまでみつかるんだろうねぇ」
「そうよ。よかったり悪かったりじゃない?」
「ほんと、知らないまま気がついたら末期だったっていう方が、ある意味楽かもね」
真由子がぺろっと舌を出しながら言った。今の彼女は、きっとこう言って強がってみせてるのだろうと思った。
少し残ってたガムシロップを継ぎ足しながら、彼女は続けた。
「びっくりするのがさぁ、全摘しても入院1週間だって」
「え〜!!全摘して たった1週間?」
「なんかさぁ、私のおっぱい、インフルエンザレベルじゃない?片胸無くして1週間後には仕事してるって信じられるぅ?」
正直、私も驚いた。もちろん、肉体的なことでもそうだったが、女のシンボルを無くしたという心の回復が、たった1週間でできるのだろうか?命の重さに比べると、もちろん「乳房」という部位でしかないことはわかっている。
女=乳房ではない。
でも、命をかけて女として生きてきたのも事実なのだ。身体の部位というだけでなく、女としての人生を乳房と歩いた。もちろん、ほかの臓器も同じくらい大事だ。でも、乳房は、外見上も、内面上も自分が女であることをわかりやすく表現する「臓器」なのだ。小さな頃、男の子と一緒に野球したり、かくれんぼしたり、プールで遊んだりしてても、乳房が出てくると、その関係はどこかよそよそしくなったものだ。そして、女の子は大抵、乳房が特別なものだと気付き、それに合わせて
自分が女という生物だとわかってくる。
「この歳になったらさぁ、女とか男とかじゃなくて、人間になるってことだよ」「そーだよねぇ。煩わしいものいらないよねー」
「真由子、ヒゲ生えたりして」きゃはは。
と、明るく、冗談にして
「乳房を取ることは大したことではない」という雰囲気を作った。
2人のカフェラテは氷だけになったので、
「なにか頼む?」といつもの調子で真由子に聞くと
「今日はもういいかな」と彼女は言った。そして、
「あんたも検診だけはちゃんと行っておいてね」と鋭い目つきで私に言った。
そして、テーブルの上のお勘定表を手に取って立ち上がると、ぽつりと
「ヌード写真撮っておけばよかった」と言った。その言葉は、乳房全摘という決断をした真由子の最後の迷いの表れだったのではないだろうか。
彼女を抱きしめたくなった衝動を抑え、自分がここで泣くということを避けた。この日から私は、自分がもし、乳がんになったらどうするだろうと真剣に考えるようになっていた。真由子のように、潔く全摘ということを決断できるだろうか?
全身鏡で自分の上半身をマジマジと見る。
けっして美しいとは言えない身体だが、全部、生まれたときのままだ。
この身体が私。左右対称にあるこの乳房。身体のどこよりも柔らかく白い。そして思い出していた。 人間は異性を愛するとき、本能で左右対称であることを確かめ、遺伝子を判断する」という文章を本で読んだことを。この説がどのくらい真実なのかはわからないが、左右対称というのは絶対的な安定であるのは確かだろう。私は、片方の乳房を無くしたとき、心と身体のバランスを保てるのだろうか?
自分の年齢が50歳だから、乳房は要らないのだろうか?
乳がんになった友達に励ます意味で、「命の方が大事なんだから、おっぱいなんてもう使わないし、取って安心したほうがいいもんね」なんて簡単に言ってたけど、それって本当にその人の心を感じ取れていたのだろうか?
女にとって命と変わらないくらいの価値が乳房にはあったのかも知れない。
私は、もしかしたら命と乳房ともに果てることを選択してしまうかも知れない。
今は乳房再建の技術も相当進んできている。そして様々なサポートも進化している。早期発見で助かる命と乳房があるのだ。と同時に癌は3人に1人というデータもある。癌はすぐそばにある病気だということだ。検診への意識とともに、自分が癌になった時、どう生きたいかということを真剣に考えてみることで、「今」自分が生きているということを見直す機会になると思う。
 
真由子といつものカフェで待ち合わせした。
「ごめ〜ん。渋滞してた」と手を合わせて席についた彼女は、身体のラインがはっきりわかるカットソーを着てきた。
「あれぇ〜なんか、胸大きくない?」
「へへへ。パット入りブラよ」
「前よりいい感じじゃん!!」
「でしょう。これからは、両性類として仕事バリバリやっちゃうもんね」
真由子は乗り越えたと思った。強くなって美しくなった。そして何より
生き生きしていた。死を考えた人間は、生きるを味わうのだとわかった。
「まだ、温泉には行けないけど、近いうち行けるようにするさっ」と彼女は私にウインクしてみせた。
 
 
 
 
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2019-09-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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