メディアグランプリ

もし、鶴が恩返しをしなかったら


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大原亜希(ライティング・ゼミ日曜日コース)
 
 
「あなたに恩返しをしたいと思って、人間の姿に化けていました。正体がばれた以上、もう一緒にはいられません」
 
童話「鶴の恩返し」の中で、約束を破って障子を開けてしまった主人公の与ひょうに、鶴が言う言葉である。
 
ケガをした鶴を助けた青年の優しさから、始まるこの物語。
鶴は恩を返すため人の姿になって青年の前に現れ、二人は結婚するのだけど、最後は正体がばれて別れる、という悲しいストーリー。
鶴が自分の羽根を犠牲にして織り上げた反物で、お金持ちになった与ひょうは、果たしてその後幸せだっただろうか?
 
初めてこの物語を読んでもらった時は、
「お嫁さんが来てくれただけで与ひょうは幸せだったんだから、さらに恩を返そうだなんて、考えなければ良かったのに!」
と、子供ながらに思ったものだった。
どうせなら、ハッピーエンドで終わってほしかった。
 
もらったものを返す、この「恩返し」という感覚は、日本人のDNAにどうも深く刻み込まれているような気がしてならない。
 
例えばSNSでの「いいね」返し、フォロー返し、とか。
不思議なもので、誰も「返しなさい。」と一言も言っていないのに、なぜか返さなければいけないような感覚に捉われる。
 
私の場合、いつもFabeookを見てくれていて、「いいね」を押してくれる人に、なんだか申し訳ないような気持ちになってしまうことがある。
私はその人達の近況を追いかけることが出来ていないから。
応援してもらってるのに、何も返せていないから。
 
でも、いざ「いいね」を返そうと思ってタイムラインを眺めていると、なんというかFacebook独特のキラキラオーラに、私は疲弊してしまうのだ。
応援してくれる方に、何か返したい気持ちはあるのだけど、どうにも疲れる。
タイムラインには、精気を吸い取る魔法でもあるんじゃないだろうか。
そう真剣に疑ってしまうぐらいに、疲れちゃうのだ。
う~ん、困った。
 
そこで私は考えた。
もう逆に「恩を返す」のを止めてみてはどうか。
もらっても、返さない、のである。
 
正確には、自分に対して「いいね禁止令」を出してみた。
SNSで「いいね」を絶対に押してはいけない、という決まりごとを作ったのだ。
とりあえず2週間、期間を決めて。
 
この実験には、ちょっと面白い発見があった。
 
最初の1,2日は、誤って何度も「いいね」ボタンを押してしまった。
その度に
「あ、押しちゃダメなんだった!」
と、ボタンを二度押して、キャンセルする。
 
恐ろしいものである。
無意識で「いいね」を押すことが、私の手のパターンに組み込まれていたのだ。
 
ところが、次第に押さないことが習慣化してくると、
「あ~押したい! でも押せない……くぅ~!」
という投稿があったり。
 
「押せないんだったら、見なくてもいいか」
という投稿があったり。(主にキラキラしてる投稿とか)
 
「押そうが押すまいが、私は読みたい」
という投稿があったのだ。
 
私はここで、自分の中にあった、一つの真実に気づいた。
どうやら「恩を返したい」ではなく「恩を返さなきゃ」で、私はタイムラインを眺め、そしていいねを押していたらしかった。
そりゃ、疲れます。
義務感とか責任感で、動いてたんだから。
 
「恩知らず」という言葉があるけれど、私は以前からちょっと違和感があった。
恩は返さなければいけないもの=義務、では無いような気がしていて。
返したかったら返せばいいけれど、しっかり受け取った時点で、一旦完結しているんじゃないか。
 
応援してくれる人には、心から感謝する。
その上で、もらったものを、自分の先にいる人へと、送っていければいいんじゃないか。
受けた恩を、その送り主ではなく、別の誰かに送る。
「恩送り」という言葉のほうが、私は圧倒的に好きなのである。
 
童話「鶴の恩返し」の中で、鶴は与ひょうに助けてもらうことで、命を救われた。
お話がそこで終わっていても、鶴も与ひょうも、別々の場所で幸せだったんじゃないだろうか。
鶴は与ひょうと同じように、別の鶴に優しくしたかもしれない。
与ひょうは与ひょうで、誰かまた別の人から受けた恩を、鶴に送っただけだったかもしれない。
 
恩は送り主に返すと、そこで流れが止まってしまう気がする。
しかも「返したい」が「返さなきゃ」に変わってしまったら、それではお互いに苦しいばっかりだ。
 
誰かがくれたものをしっかり受け取って、また別の誰かに送ったら、世界はもっと優しくなる。
誰かが感じさせてくれた「ありがとう」で、今度は自分が誰かの役に立ちたいと思えたら、それってすごく素敵なことだ。
 
自分の先に送っていく。
心を込めた「ありがとう」の一言を。
ふと目が合ったときの、会釈を。
誰かがくれた優しさを。
 
どんなに些細なことでもいいから。
どんなに短い言葉でもいいから。
 
私が世界に働きかけるとき、世界はほんの少しだけ、優しくなる気がする。
そして、私の起こした行動は、いつかどこかに繋がっていく。
 
そうやって、世界はやがて、変わっていくのかもしれない。
 
 
 
 

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2019-09-26 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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