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靴下を履いた椅子


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中野(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「靴下を履いた椅子」を見たことがあるだろうか。
 
こう書くと「長靴をはいた猫」みたいに見えるが、私が言いたいのは靴下を履いた椅子のことだ。
そう、あの実家でよく見かけるあれだ。
 
この間久々に実家に帰ると、4脚ある椅子すべてに犬の顔が入った靴下が丁寧に履かせてあった。椅子が4脚ということは、脚は全部で16本になるので犬の顔が16個並ぶことになる。しかもよく似た顔のペットの犬までいるので、合わせると17個もの犬の顔が並んでいた。
 
しゃがんでみると、17頭の犬たちが一斉に見てくるわけで、結構な圧を感じるのだ。それはそれである意味かわいいけれど。
 
「まあ、実家だからおしゃれさとか気にしてなさそうだし、(犬もかわいいし)無理に脱がせなくてもいいか……」そう思い特に何も言わずに実家を後にした。
 
普段の生活であまり靴下を履いた椅子に触れることはなかったので、それ以来すっかり忘れていたのだが、最近手に取った雑誌でまたしても靴下を履いた椅子を目にしたのだった。
 
新築のお家を紹介しているその雑誌は、こだわりのお家がたくさん載っていた。
にもかかわらず、結構な確率で椅子に靴下を履かせていた。
 
家も家具もおしゃれなのに、何故?
あのアイテムは実家だけで許されるものだと思っていたので驚いた。
 
でもよく見ると、靴下は靴下でもうちの実家のような犬の顔が入っているものはひとつもない。椅子の木の色とうまく合うように作られたであろう、ベージュやこげ茶で無地の靴下が大半だった。
 
また、もっとよく見てみると、今度は素敵な一枚板のテーブルの上にピカピカのビニールが敷いてあるではないか。これでは天然木のさらりとした風合いや経年変化を楽しむどころではない。
 
これらのアイテムが一体何のためにつけているか……。
 
理由は明白だ。
 
このピカピカのマットも椅子の靴下も「傷がつくのを防ぐため」に付けられたものなのだ。
 
きっとおしゃれだからという理由でつけている人は一人もいないはずだ。
その証拠に、目立たないように木と同じような色の靴下にしたり、せっかくの木目が見えるようにと透明のマットを選んでいる。
 
しかし、ものは使っていれば必ず傷つくし、汚れていくもの。
永遠に美しいものなんて一つもない。
当たり前のことだ。
 
ただし、自分のことになると話が変わってくる。
 
「せっかく建てた家だから、傷をつけたくない」
「高価な家具を買ったから汚されたくない」
 
そういった数多くの「傷つくこと」への恐怖を少しでも和らげるために、あの椅子の靴下やピカピカのマットが生まれたのだろう。その発想が実に日本人らしい気がした。
 
奥ゆかしさなのか、もったいない精神なのかわからないけれど、この「傷つくことへの恐怖心」はときに人を傷つけることにもなる。
 
5年ほど前。父の定年のお祝いに漆塗りの銅でできた素敵なお猪口をプレゼントしたときのことだ。
 
3万円ほどしたそのお猪口は、お金がない中奮発して買ったものだった。
プレゼントしたとき、父は早速そのお猪口で日本酒を飲んでこう言った。
 
「普段のグラスで飲むのと全然味が違う!」
「いいものは違うなあ」
 
そう何度も言ってくれた。
私も頑張って買ってよかったなと満足だった。
 
しかし、しばらくして実家に帰るといつものグラスでお酒を飲んでいる父がいた。
 
「あれ、あのお猪口使ってないの?」
 
そう聞くと、父はこう言った。
 
「高いからもったいなくて神棚の下にしまっているよ」と。
 
いや、使わなければあげた意味がないでしょう!となんだか悲しい気持になったのだ。
 
私は毎日お酒を飲む父に、もっと美味しくお酒を飲んでほしいと思って買ったのに……。
娘からもらったものを大切に飾ってくれている父の気持ちも分からなくはないが、使ってもらえなかったらあげた意味がない。
 
それ以来、実家に帰るたびに神棚をチェックするが、いつもそこに飾ってあって使われた形跡もない。一体いつ使うのだろう……。と少し悲しい気持になる。
 
物を大切にしたいという思いが強すぎて、人を傷つけてしまっては元も子もない。
 
そう考えてみると、「娘からもらったプレゼントを飾っていた父」と「靴下を履いた椅子」は同じなのだ。そしてこの傷つけたくない精神は、想像以上に多くの日本人が無意識に思っていることなのかもしれない。
 
傷や汚れがつくことは「悪」だということ。
いや、悪というよりは傷の無い状態が「善」という考え方のほうが正しいのかもしれない。
 
安くて便利なものに溢れた現代の暮らしでは、いざものが壊れてしまうと「直す」より「買い直す」ことが当たり前になってくる。もしかして買い直したくないから傷つけたくないのかもしれない。
 
でも決して傷や汚れは「悪」ではないし、傷の無い状態が「善」でもない。
物は使うことで輝きを増していくのだと思う。
 
昔の日本人はその良さを知っていたはずだ。
古い建物に行くと、100年以上前の床や柱が美しく光輝いているのを目にしたり、直しながら何十年も同じ家具を使い続けていたりと、ものが大切に使い続けられていた証をたくさん見つけることができる。
 
椅子が置いてあったであろう場所は、床の色が少し変わっていることに気が付く。きっといつもそこに座っていたのだと想像できるし、傷の付き方には使っていた人の癖がでるのも面白い。きっとその傷を見るたびにその人の癖のことを思い出すだろう。
 
たとえその人がもう二度と会えない人だったとしても。
 
使い込まれた家具や家には、その家族の想い出が刻まれているのだ。
 
だからこそ、椅子に靴下を履かせてほしくない。
 
傷も汚れも、あっていい。
 
大切なものを大事にしまっておくのではなく、大切に使い続ける方が絶対にいいに決まっている。
 
次に実家に帰ったら、椅子の靴下を脱がせてあのお猪口でお酒を出してあげよう。
父が元気なうちに、想い出を沢山刻んでもらえるように。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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